ロスリンの森 9
「そういえば、一つお聞きしておきたいことがありました」
大きく脱線してしまった話を元に戻そうと、俺は顔を上げた。
「三年前、魔獣の大群が大陸中央諸国を襲い、化け物の軍勢が侵攻を始めた時。何故、事前の警告が無かったのでしょう」
尋ねた俺に、エルディン卿はああ、それはと申し訳なさそうに眉を下げた。
「済まないとは思っている。だが、申し開きをさせてもらえるのならば、あれは警告しなかったのではなく、できなかったのだ」
そう言って、彼は空を仰いだ。
「薄闇が世界を覆っている。それが星々の輝きを翳らせ、我らの目を曇らせている。今や、見通すことのできる未来は酷く朧げなものでしかない」
エルディン卿の言葉につられて、俺も空を見上げる。
突き抜けるような蒼天に大きな入道雲の白が映える、何の変哲もない夏の空だ。少なくとも、俺の目には翳っているようには見えない。
だが、エルフの目で見ればまた違うのだろう。エルディン卿の横顔は、何かを憂うように翳っていた。
「ふむ。随分と長く話し込んでしまったようだ。そろそろ館へ戻るとしよう」
しばし、一緒になって空を見上げていたエルディン卿が、何かを思い出したように椅子から立ち上がった。
「まあ、そなたの目的がなんであれ、我々は君を歓迎しよう。ルシオ・アルバイン。もちろん、ともに来たあの炎髪の少女も。しばらくはゆっくりと、身体と心を休めてゆくと良い。少なくとも、この場所に危険はない」
そう言って、俺が通ってきた大樹の洞へ向けて歩き出す。その後を追いながら、そういえばと思い出したことを訊いてみた。
「あの、エルディン卿、この館まで一緒に来たあの娘は」
あの娘とは、もちろんレティのことだ。色々と話をしたせいで忘れていたが、正直、一番気になるのは彼女のことだった。
「私の娘だ」
エルディン卿は隠そうともせずに答えた。
「今年で八十四になるか。恐らく、この世で最も若いエルフだろう。妻はあれを産んだのち、星々の海を渡った」
思いがけず踏み込んだ事情まで教えられてしまい、なんと答えていいのか分からない俺に、エルディン卿が微笑みながら振り返った。
「君たちはもう随分と仲良くなったようだな、ありがとう」
「いや、そんな……」
礼を言われるようなことじゃないと、身体の前で両手を振る。
それにしても、八十四才でまだ幼い、なのか。この事はラキアには黙っていた方が良さそうだな。
館まで戻った俺は最上階の庭でエルディン卿とは別れ、アイク殿に案内されてラキアたちと合流した。
「お、戻ってきたわね」
「あ、ルシオ。お帰り」
二人が待っているという部屋に踏み込むなり、それぞれ黒と白のローブを着た少女二人がこちらへ振り返った。
「じゃーん、どうよこれ」
白いローブを着た見知らぬ美少女が、隣の黒いローブ姿の少女を両手で示す。
ラキアだった。落ち着きのある黒と、燃えるような真紅の髪という対比が中々似合っている。というか、ラキアと一緒にいるという事は。
「……君、レティか?」
「なに驚いてんのよ、失礼ね」
思わず指さしてしまった俺に、その美少女は怒ったように両手を腰に当てた。
その仕草は確かにレティだ。森で出会った時から見慣れていた活動的な服装から、白い清楚なローブに着替えている。
こうしてみると、確かにお姫様にも見えなくはない。というか、見た目は完全にラキアと同年代くらいの、年下の少女にしか見えないのだ。とても八十四才とは思えない。いや、それも俺が人間だからそう思うだけなんだろうけど。
と。
「なによ、ジロジロと人のことを。私よりも、こっちを見なさい、こっちを」
そう言ってレティはラキアの腕を掴むと、ぐいっと俺の前に立たせた。
「どう、似合ってるでしょ? 」
己が作品を誇るように胸を張るレティの前で、ラキアはもじもじとしている。着慣れない服だから、恥ずかしいんだろうか。
「まあ、似合ってるな」
とりあえずレティのいう事は真実だと思うので、同意しておいた。
「でしょでしょ? いやあ、ここに行き着くまで結構、試行錯誤したのよ。私たちって、あんまり黒い服は着ないから。私としたことが、盲点だったわ」
「私はいつも通りの服で良いって言ったんだけど。これ、ドレスを着てるみたいで落ち着かないし……」
どこかキラキラとしているレティとは対照的に、ラキアは少しげんなりしていた。どうやら、俺が居ない間に随分と遊ばれていたようだ。
「だって、食事は正装でするものでしょ」
「え、そうなのか? お、俺は? 俺はどうすればいい」
食事。
レティが口にしたその単語に思いっきり反応してしまう。
そうなのか。エルフは食事の際、正装をするのか。どうしよう。俺、今着てる服しか持ってないぞ。
まさか、こんな森の中に着てまで宮廷のような作法を要求されるとは思ってもみなかった。しかし。せっかくここまで来たのに、エルフ料理を味わわないという選択肢はない。
男にも客人用の服とか用意されているんだろうか。そんなに金はないが、売ってくれたりするだろうか。最悪、恥を忍んでアイク殿に一着借りるという手もある。
「いや、何その必死な反応。あなたは別にそのままでいいわよ」
そんな俺に、レティが言った。
「なんだ、良かった」
ほっと胸を撫でおろす。若干、彼女から引かれているような気もするが。何はともあれ、エルフ料理にはありつけそうだ。
「良くない! なんでルシオはそのままで、私は着替えなきゃいけないのよ」
そしてラキアは不満そうだった。しかし、レティは聞く耳ももたない。むしろ、寝る時の服はー、と口に出しながら考えている始末だ。たぶん、食事の際は正装するというのも嘘なんだろうな。
そんなレティの独り言を聞きながら、ラキアが困り果てたような目で俺を見てくる。
「まあ、なんだ。がんばれ。それにちゃんと似合ってるぞ」
「あ、ありがと……」
励ますつもりで声をかけると、彼女は頬を赤く染めて顔を逸らした。
「……ねえ、あなたのそれって、素なの?」
やりとりを聞いていたのか、レティからそう訊かれる。
なに言ってんだ、そんなわけないだろ。こういう場面ではこうしろと、ミリアに教えられた通り実行しているだけだ。と、まあ。そんなことを口に出せるわけないが。




