ロスリンの森 8
その後も、エルディン卿からの質問は続いた。とはいっても、彼が持つ巻物には俺が故郷を発ってから今に至るまで、幾つかの細かい点を除いて正確に記録されており、修正する必要はほとんどなかったのだが。それでも何度か、答え辛い質問に答えなければならなかった。ちなみに、祖父さんの家から一族の秘宝である魔法の指輪を持ち出したことについて怒られなかった。
「ふむ。これで質問は終わりだな。ありがとう、協力に感謝する」
全ての質問を終えたらしいエルディン卿は、最後に流麗な筆跡のエルフ文字を巻物の隅に書きつけながらそう言った。
「お役に立てたのであれば」
俺は小さく頭を下げて応じた。聞かれたことには正直に答えたが、正直、自分の行動記録が何の役に立つのか分からない。
そんな俺に、エルディン卿は色々と書きつけた獣皮紙を巻き取りながら、薄い笑みを浮かべた。
「では、今度は君の番だな」
「え?」
「私に聞きたいことがあるのだろう?」
何もかもを見通すような彼の目が俺に向けられる。
聞きたいこと。確かにあるにはあるが。さて、何処から聞いたらいいものか。
そう迷っていると。
「だが、始めに言っておこう。我々はもう二度と、人間やドワーフたちと同盟を組むことはない」
あまりにも唐突に、あっさりと告げられてしまい、言葉に詰まった。
「というよりも、我らにはもうその力が無いといった方が正しいのかもしれない。いや、君たちは南方王国とはまた別の盟約を結んでいるのだったな。だが、エアーグウィルの枝族にしても同じ意見であると私は思う。すでに同胞の多くが星々の海を渡って、この世を去った。世界からは神性が失われつつあり、私の力もまた衰えている。我らにはかつてのような、強大な敵と戦うだけの勢力が残されていないのだ」
「ちょ、ちょっとお待ちください」
どんどん話を進めてしまうエルディン卿を、俺は混乱しつつ遮った。
突然、話が大きくなってしまい理解が追いつかない。同盟の話なんてしたか、俺。いや、そりゃエルディン卿ほどの人物から助力を得られるならこれほど心強いことはないけれど。
だとしても、いま彼が説明したように彼らには彼らの事情がある。俺の我儘に付き合わせるわけにはいかない。
「あの、エルディン卿、貴方は自分のことを過大評価されておられるようです」
そう口にした俺に、エルディン卿はどういうことかねと尋ねるような目を向けた。
「私は別に、かつての同盟を復活させようと思ってここへやってきたわけではありません」
「ほう?」
それを聞いたエルディン卿は、意外そうな顔を浮かべた。
「では、何のためにこの地へやってきた?」
その質問には、これまでのどんな質問よりも返答に困った。本当のことを言ったら怒られるんじゃないか。いや、しかし。嘘を吐いたところで、すぐにばれるような気もする。
仕方ない。怒られたら、それはその時だ。
覚悟を決めて、俺は来訪の理由を正直に白状した。
「……観光です」
途端、エルディン卿は妙なものを見るような顔になった。
「観光」
静かに、エルディン卿が繰り返す。
「それだけのために、わざわざこのような森の奥深くまで来たと」
「ええ、あの。はい。すみません」
決して叱っているような声ではないが、なんとなく申し訳なくなって謝ってしまう。
まあ、俺にとってはそれだけの価値があったんだが。
「再び、かの敵と戦うための勢力を作り上げるため、諸種族を糾合せんとしたわけでは無いと」
そこでようやく、俺はエルディン卿が壮大な勘違いをしていることを知った。
どうやら彼は、俺が闇の勢力と戦うために古の同盟を復活させようとしている、と思っているらしい。いつも思うんだが、どうしてみんな、俺のやろうとしていることをそう大げさに捉えるんだろうか。
「それは賢者と呼ばれる方々の仕事でしょう」
俺はやんわりとエルディン卿の勘違いを正した。それに、彼は小さく頷いた。
「確かにそうかもしれん。だが、君にもその資格はある」
「資格があることと、それだけの能力があるかどうかは別です」
「既に十分、君はその資質を示したと思うのだが」
言いながら、エルディン卿はテーブルの上にある巻物を軽く叩いた。それに俺はゆっくりと首を横に振る。
「私は誓いを果たそうとしただけです。少なくとも、英雄などと呼ばれるようなものではありません」
「人間たちはそうは思っておらぬようだ」
「いずれ忘れ去られます」
リタやシェルヘルミナ殿下には聞かせられない話だろうなと思いながら、俺は肩を竦めて答えた。
「彼らは幻想に希望を抱いている」
その一言に、エルディン卿は深く考え込む顔つきになった。
「では、何故、君は故郷から旅立った」
しばらく無言で思索を弄んだあとで、彼はおもむろに口を開いた。
「闇の化け物どもに苦しめられている人々を救うため。或いは、今もなお大陸中の人々から謂れの無い批判を浴びる一族の現状を変えるためではなかったのか」
「まさか」
そう訊かれて、俺は思わず失笑を零してしまった。
「失礼しました」
慌てて表情を取り繕いながら、俺はエルディン卿からの誤解を解くために言った。
「私が故郷から旅立ったのは、世界を見て回りたかったからです。それ以外に、理由はありません」
「何のために」
「確かめるためです」
彼の質問に、俺は先回りするように答えた。
「確かめるとは?」
さらに問いを重ねるエルディン卿に、少し考えを組み立ててから答える。
「……我々は祖国滅亡後も、長きに渡って人知れず北の地を守り続けてきました。もしも我らが絶えず北壁を越えて押し寄せる化け物の群れを押し止めてこなければ、今頃、この大陸は死の大地と化していたかもしれない。街という街、村という村は廃墟に変わり、人々は殺されるか、奴隷に堕とされていたかもしれない。わずかに逃れることが出来た人々とまた、夜の闇に怯えて過ごさなければならかったかもしれない」
かもしれない、ばかりの不確かな予想ではあるが、エルディン卿はその未来図を肯定するように頷いた。
「しかし、そなたたちがそうはさせなかった」
そうだ。俺たちが、いや、北の一族がそうはさせなかった。
そして、これからもそうはさせないだろう。
「そして人々は、そなたらのそうした功績を知りもせずに平穏を謳歌し、君たちを蔑んでいる」
それで良いのかと、エルディン卿の目が問いかけている。俺はまっすぐにそれを受け止めると、頷いた。
「はい。それで良いのです」
あっさりと答えた俺に、エルディン卿はわずかな驚きを浮かべた。だが、何も言わない。黙ったまま、続きを促している。
「私は旅に出てから、わずかではありますが、世界を見て回りました。そこで出会った人々はやはり、私の銀髪を見て顔を顰め、時には侮蔑の言葉を投げかけられることもありました。けれど、彼らは化け物の齎す恐怖や不安などとは無縁の、平穏な生活を営んでいました。我らが絶えず、北の地で戦い続けていることなど知りもせずに」
唇を舐めて湿らせてから、熱に浮かされたような気分で俺は続けた。
「けれど、それで良いのだと思います。自分たちが絶えず、誰かによって守られている。そのために戦っている者たちがいる。それを知るという事は同時に、真に恐るべき敵の存在について知るということです」
それはオークやゴブリンなどの雑魚とは決定的に違う。世の始まりから在って、誰にも滅ぼすことのできない悪意そのもの。しかし、そいつらは容易くこの世界を滅ぼすことができる。俺たちや、俺たちのご先祖様、そしてエルディン卿のような人々が、何時だって最後の一線を守り通してきたからからこそ、今日という陽は昇っているのだ。
だが、それを人々が知ったところでどうなるというのか。
自分たちの穏やかな生活が、実は容易く崩れ去ってしまう程度のものだと知ってしまえば、どうなるだろうか。見えない影に怯え、ありもしない幻想を恐れるようになりはしないか。何処かで、奴らが恐るべき計画を練っていることを想像して眠れない夜を過ごすことになりはしないか。
きっと、そうさせないために俺たちがいるのだ。
恐怖や不安に晒されなければ、人々は素朴なままでいられるのだから。
「だからこそ、我らは隠れていなければなりません。人々が恐怖に怯えることなく、素朴に生きてゆくために。今にも足元が崩れてしまいそうな不安とは無縁の、平穏な一生を送ってゆくために。それこそが、我らに残された最後の誇りなのです。もしも、我らが人々から感謝される時があるとすれば、そう、三年前の戦いの時のように、それは我らが任務に失敗した時なのですから」
俺が言い切った後。金色の庭は暫しの静けさに包まれた。爽やかな風が吹いて、木の葉をさわさわと撫でてゆく。その中で、エルディン卿がゆっくりと口を開いた。
「誰にも知られないことこそが、誇りか」
空に向けられていた翡翠色の瞳が、俺へ向けられる。
「見事な返答だ、ルシオ・アルバイン」
彼は心からの称賛を示すように両腕を広げた。俺を見つめる瞳には、先ほど出会った時と同じ、何かを懐かしむような光があった。
「私はかつて、これこそが気高さであると体現するかのような人間に会ったことがある。後にも先にも、私の長い人生で人間に対してあれほどの敬意を抱いたことはない。そなたは、その彼によく似ている」
「それはあの、あまりにも畏れ多いことで……」
冷静になってみると、とんでもなく偉そうなことを口走ったんじゃないだろうかと恥ずかしくなってきた俺は、俯きながらもごもごとそれに答えた。
「だが、そなたはもう少し己の立場というものを重視すべきだな。その身に流れている血には、君が思っているもの以上の意味があるのだ」
そんな俺に、エルディン卿は釘を刺すように言った。
「いいか、ルシオ・アルバイン。我らの敵は、いま君が言ったように、恐怖を最大の武器としていた。我らエルフの中でも最も優れた戦士であっても、蛮勇に溢れるドワーフの戦士であっても。かの敵を前にすれば恐怖で四肢は萎え、心は挫けた。だが、ただ一人。彼だけがかの敵の前に立ち、一歩として退くことなく相対することができた」
そして彼は、まっすぐに俺を見つめながら告げた。
「初めに言った言葉を訂正するとしよう。もしも、我らエルフがそなたら人間ともう一度、手を結ぶことがあるとしたら。それは相応しい者が王座に着いた時だ。この意味が分かるな、ルシオ・アルバイン。我らが認めた人間の王はただ一人。当然、その血脈も一つきりだ」
「……お言葉は、胸に刻んでおきます」
何時か、そんな日が来ればいいな。そんなことを考えながら、俺は深々とエルディン卿に首を垂れた。




