ロスリンの森 6
さて。アイク殿と別れてから、俺たちは野営の準備を始めた。
水は用意されているので、まずは火を起こそうと思って、枝を探した。ところが、これほど木々が茂っているというのに、どういうわけが辺りの地面には枝が一本も落ちていない。一緒に探していたラキアもどうやら見つけられなかったようだ。
仕方なく木の枝を切り取ろうと剣を抜いたところで、それまで不思議そうに俺たちを見ていたレティから物凄い勢いで止められた。
「ちょ、ちょっと! 何するつもりよ、あなた」
「いや、薪になりそうな枝が落ちてないから、少し切り取ろうかと思って」
生木は燃えにくいし、爆ぜるから本当は使いたくないんだけど。そう思いながら答えた俺に、彼女は信じられないという顔を向けた。
「まさか森の木を傷つけるつもり? 絶対に駄目よ。そもそも、木を燃やすなんて論外」
「え、薪を使っちゃダメなのか?」
「じゃあ、どうやって火を起こすの?」
驚く俺の横で、ラキアも困ったようにレティへ訊く。それに彼女は、とにかく剣をしまうよう俺に言ってから、腰に下げていた物入れへ手を入れた。
「これを使うのよ」
そう言って彼女が取り出したのは、クルミほどの大きさの琥珀色をした塊だ。
「なんだコレ」
「綺麗ね……蜂蜜?」
差し出された塊を手に取って、ラキアと二人でしげしげと眺める。ラキアの言ったように、確かに蜂蜜の塊に似ているが、それにしてはべたつかない。甘い匂いもしない。そして石のように固い。
「それはジルコネルの樹液を固めたものよ」
塊を不思議そうに見つめている俺たちへ、レティがそう説明した。
そもそもこの森の木は枝を落とすことが無いそうだ。そこで、エルフたちは火を起こす際に、これを使うのだという。
レティに言われるがまま火打石で(逆に彼女はこれを興味深そうに見ていた)火をつけてみると、思ったよりも大きく火が燃え広がる。塊を四つほどまとめて燃やしておけば、焚火としては十分な大きさの炎になった。
ジルコネルの樹液を固めたものは薪よりも断然長く燃え続ける上、煤も出ないのだという。すごい、エルフの知恵。
ようやく火を起こせたので、次に湯を沸かそうと広場の中央に据えられている水盆から水を汲んだ。
夏場だというのに、水は氷のように冷えている。その冷たさにつられて、一口飲んでみた。
水は冷たいだけでなく、ほんのりと甘さを感じた。喉を滑り落ちていった後で、鼻腔の奥に花のような香りが広がる余韻は、まるで上等な酒を飲み干したあとのようだ。
信じられないくらい美味しい。
これで商売ができるぞ。いや、俺はしないけど。
その上、どんな仕掛けなのかは知らないが、水盆からどれだけ水を汲んでもなくなることはないのだという。すごい。エルフの知恵、すごい。
水を鉄鍋で沸かして、幾つかのハーブと干し肉を放り込んでスープを作ったのだが、自分で作ったとは信じられないほど旨かった。レティは人間の食べ物に興味津々と言った様子でスープに口を付けてから、「人間の料理も美味しいのね」と言っていた。
たぶん、水がすごいんだと思う。
食事をしながら、俺たちは色々と話をした。
レティはどうやら森の外、つまり、俺たち人間の世界に興味があるらしく、あれこれと質問してくる。俺とラキアは彼女の質問に答えながら、逆にエルフのことについて教えてもらった。
ラキアとレティはすっかり仲良くなっている。というより、レティがラキアのことを随分気に入っているといった方が正しいのか。あれこれと話しかけては、彼女の反応を見て楽しそうにころころと笑っている。
食後に、ラキアがお茶を淹れた。一緒に旅をしている間に、いつの間にか出来上がった習慣で、食後のお茶は必ず彼女が淹れるのだ。
「良いなぁ。森の外には、そんなにも広い世界が広がっているのね」
ここに来るまでの旅について話し終えたところで、レティが羨望に満ちた呟きを漏らした。
「危険なことも多いけどな」
「それでも、よ」
水を差すようなことを口にした俺に、彼女がいう。
「レティは森の外に出たことが無いの?」
横からラキアが訊いた。それにレティは飽き飽きとした様子で頷いた。
「そ。ていうか、外に出してもらえないのよ。みーんな、私のことを子ども扱い。一人で森へ行っては駄目。外へ出てはいけない。迷子になったらどうするんだ、って。やんなっちゃうわ」
「それはまあ、過保護だな」
レティの言葉に、俺は深く頷いた。
彼女の気持ちは良く分かる。俺も里にいた頃はそうだった。昔のアルドなんて、一人で里の外を出歩くことすら許してくれなかったのだ。任務に就くようになってからも、決して俺を一人にはさせなかったし。こっそりと抜け出すのにどれほど苦労したことか。
そんな思い出に耽っている俺の横では、レティが唇を尖らせている。
「まあ、私以外に若い人がいないってのもあるだろうけどさ」
「ええと、そうかな? みんな若いように見えたけど……」
今日出会ったエルフたちの顔でも思い出しているのだろうか。人差し指をついと顎に当てながら、ラキアが答える。
それを聞いたレティが噴き出した。
「どこがよ! みーんな、千才軽く越えてる人たちばっかりよ。うちのお父様なんて、何万年生きてるんだか。まあ、誰も正確な年齢なんて数えてないでしょうけど」
「ま、万……?」
唐突に壮大な話が始まったからか、ラキアが困ったように目を白黒させている。
エルフは不老不死の種族だと教えてあるはずだが。まあ、知っていても実際にそんな話をされると実感が追いつかないのかもしれない。
「良いなぁ。貴女みたいな私よりずっと若い人間の女の子でも、ちゃんと旅ができるのに」
「ちゃんとかどうかは……私はルシオについてきただけだし」
羨むようなレティにどう答えたらいいのか分からない様子で、ラキアが言う。たぶん、今の今まで同年代だと思っていたんだろう。
と、そこで。レティが思い出したように、真面目な顔を俺に向けた。
「そういえば結局、貴方はここへ何をしに来たの? ルシオ・アルバイン」
その質問に、俺はお茶を一口飲んでから答えた。
「観光」
「え?」
「観光」
聞き返したレティに、まったく同じ言葉を繰り返す。
「そ、そう……」
彼女は妙なものを見る目で俺を見た。
「え、それじゃあ、お父様に何の話があるの?」
そう首を捻って訊く彼女に、俺もまた首を捻り返す。なんでここで、彼女のお父様が話に出てくるのか。
「いや、別に君のお父上に対して特別な用事はないけど」
「でも、明日会うんでしょ?」
「明日……?」
そこでようやく、点と線が繋がった。
同時に、頭からさっと血の気が引いてゆく。
「……レティ、もしかして、君のいうお父様って、エルディン・エノストメス卿のことか?」
恐る恐る聞いた俺に、彼女は。
「他に誰がいるのよ」
当然のような顔でそう言った。
途端、瞬時に頭の中を様々な考えが高速で駆け巡った。
レティはエルディン卿の娘。エルディン卿は、このロスリンの森を治める領主。エノストメスの枝族長。人間の国でいえば、国王にあたる人物。という事は、この目の前の彼女は。
「姫じゃねぇか!!」
俺は叫びながら立ち上がった。慌ててレティ、いや、レティスリリア姫に跪拝するため膝を地につける。
あっぶねえ。シェルヘルミナ殿下と同じ過ちをまた繰り返すところだった。
あの時は王宮に招かれて、セルゲイン王の御前に通されるまで気づきもしなかったが。今回は最悪の事態だけは回避できたみたいだ。
「姫君とは露知らず、数々のご無礼を……」
つらつらと謝罪の言葉を並べ立てている俺の後ろでは、同じく立ち上がったラキアが姿勢を正している。が、その顔はまだ話が分かっていない様子だ。
そしてレティスリリア姫はといえば、何を今さらと白けた目で俺を見ている。
「まあ、面倒なことになりそうだから名乗らなかったのは私だけど。急にそんな態度を取られても」
軽口を叩くように、姫が肩を竦める。
名乗れよ。いや、名乗ってくれよ。
シェルヘルミナ殿下の時もそうだったけど。なんで姫君たちは身分を隠そうとするんだ。
「ていうか、そういう堅苦しいのが嫌だから名乗らなかったのよ。そもそも私と貴方の間に君臣の関係があるわけでもないし。ことさら敬意を払われたところで面倒なだけだわ」
「む」
そう言われてしまえば、彼女に一理あるような気がしてきた。
よくよく考えてみれば、アンヌ―レシアとここでは俺の立場も違う。
アンヌ―レシアでは軍の主将を任されていたとはいえ、俺はあくまでも客将の身分だった。王国に対して忠誠を誓う身だ。だから、シェルヘルミナ殿下に対しても臣下としての態度で接する必要があった。
一方で、今の俺はただの旅人に過ぎない。たとえ相手がロスリンの姫君だったとしても、ことさらに敬う必要は……ない。のか? 本当に?
そんなわけねえだろ!
そう叫びたいのを我慢して唸っていると、レティスリリア姫が思い出したような声とともに立ち上がった。
「そもそも。それを言ったら貴方もじゃない、ルシオ・アルバイン。北方王国王家の枝流なんでしょ?」
「う」
痛いところを突かれて、俺は押し黙った。そんな俺を見て、彼女はさらに言葉を続ける。
「かの大英雄、エルダルシオン最後の直枝。てことは、枝流の格は私と同格。いいえ、そういえば、貴方は北方枝族の長だったわね? それなら、立場的には貴方の方が上なのかも。大変、私ったら、そんなお方相手にこんな口の利き方をしてしまって。ルシオ様、数々の非礼、どうかご容赦くださいませ。なにぶん、わたくしは浅学な娘でございますれば」
そんな言葉とともに、彼女は流れるような動作で恭しく腰を折ってみせる。
しまった。ロスリンのエルフなら、俺の一族のことを知っていてもおかしくないことを忘れていた。
冗談じゃない。こんな森の奥深くまで来て、人からそんな風に畏まれるなんて。
「やめてくれ」
「だったら、貴方もやめてよね」
同じことを言い合ったところで、俺たちはしばし見つめ合った。どちらともなく、笑いが零れだす。
「ねえ、今の話の中に聞き捨てならない言葉があったような気がするんだけど。ルシオが、王家の人間だって」
しばらく二人で笑い合っていると、ラキアからそんなことを訊かれた。
「ああ、気にするなよ」
「そうそう。この話はもうお終いよ」
俺とレティは、二人してはぐらかすような返事をした。
どうやら、俺たちは似た者同士のようだ。
それにどうせ、国はもうとっくに滅んでいる。そんな王家の血筋になど、何の意味があろうか。




