ロスリンの森 4
小川に架かる小さな橋を渡り、エルフの里の入口までやってきた。
先ほど見た白いアーチは、二本の白い木が互いの枝を絡ませたものだった。その脇に立っている衛兵が、橋を渡り終えた所で先頭に立っていたレティを呼びとめた。
何やらエルフ語でやり取りをしている二人の会話を聞き流しながら、俺は衛兵を静かに観察した。
白銀の軽鎧で包まれた肉体は細身だ。旗の括りつけられた槍を握る腕もほっそりとしている。兜の下から覗くのは屈強な戦士というよりも、品の良い好青年といった面立ちだった。
まあ、レティを見た時から分かってはいたが。エルフは男性だろうが女性だろうが美形しかいないのだろう。
だがしかし。その全身からは見てとれるほどの武威が発せられている。こうして相対してみれば嫌でも分かるが、この人、間違いなく俺よりも強い。
それは当然といえば当然だ。人間の戦士は決して、エルフの戦士には敵わない。
剣であれ、弓であれ、槍であれ。人間は一生の大半をかけて、そのどれか一つを極める。そして全盛の力を振るうことができるのは精々十年かそこらだ。
しかし、基本的に不老不死であるエルフは違う。彼らにはあらゆる武技を極めてなお余りある時間が与えられているからだ。
これは何も武芸に限った話ではない。まったく同じ理由で、人間はあらゆる技術の面で彼らエルフには敵わない。
それならば、俺たち人間よりも彼らエルフのほうがこの世界で繁栄していてもおかしくないと思うのだが、どうやら彼らはそういったことにはあまり関心が無いらしい。
衛兵はやや早口なエルフ語でレティに話しかけている。
最初は俺たちについて訊かれているのかと思ったが、よく聞いていると「また勝手に里を出たな」だとか、「危険だから一人で森をうろつくんじゃない」といった小言を言われていた。レティはそれに対して「いつまでも子ども扱いしないで」などと言い返している。
レティの見た目はどうみても十七、八歳くらいの少女にしか見えないが、エルフの年齢は外見から判断することはできないというし。先ほどはラキアと似たような年頃と表現したが、実際は幾つなんだろうか。
しかし、幼い頃から受けた教育によれば女性に年齢を尋ねるのはご法度なのだ。気にはなるが、だからと言って馬鹿正直に尋ねるのは気が引ける。
まあ、エルフの中では子ども扱いされるくらいには若いんだろう。
一人でそう納得してから、俺は白い木のアーチの奥へ目を向けた。
アーチの先には小道が奥へと伸びている。まっすぐに黄金の大樹へと続くその道の左右には、アーチを形作っているものと同じ白い木が等間隔で植えられていた。
まるで神殿のような厳かさのあるその道を、まっすぐにこちらへ向けて歩いてくる人物がいた。
光の当たり方によって、白にも黒にも見える不思議な生地で織られた、ゆったりとしたローブを着た男性のエルフだ。どうやら、エルフの貴人のようだった。
近づいてくる彼に気付いた衛兵が、慌てたように直立不動の態勢を取った。レティはといえば彼を一目見るなり、げっ、と乙女にはあるまじき声を漏らすと、隠れるように俺の背後へと回り込む。
やがて、彼はアーチまでやってきた。
エルフだからもう言うまでもないが、その顔立ちは非の打ちどころがないほど整っている。だが、柔和な笑みの浮かぶその顔からは年齢が読み取れない。とても若く、活力に漲っているようにも見えるし、酷く年老いているようにも感じられる。
彼はまっすぐに俺を見つめている。
俺はやや緊張しながらも、レティにしたのと同じように挨拶をした。彼は少し驚いたような、嬉しそうな顔になると、同じように返してくれる。
名前はアイクウェンディといった。
俺が挨拶を終えると、ラキアもサラさんから教わったという貴人に対する挨拶とかいうものをしていた。
それから、自分のエルフ語はこれが限界だと詫びた俺に、彼は穏やかな笑みを作ると言った。
「いやいや、見事なものです。ルシオ・アルバイン。人間相手にも、我らエルフ同士でも、古い正式な作法で挨拶を交わしたのはかれこれ数百年ぶりですから」
そう笑う彼は、当然のように俺の名前を知っている。
「ま、そうね。普通は“ウェスコンネン”くらいで済ませるものね」
背後でレティがそう言ったのが聞こえた。
え、そうなの。そんな簡単でいいのと思っていると、アイクウェンディ卿が間に俺を挟みながら、渋い顔で彼女を見た。
「それは貴女だけです、レティス。また勝手に里を抜け出していましたね。この事は、お父上に報告させてもらいますからね」
「ほほほ、どうぞどうぞ。どうせお父様のことだもの、報告なんてしなくてもとっくにご存じのはずよー」
叱るような口調の彼に対して、レティは何処までも気にしている様子が無い。
「まあ、それはそうでしょうが……」
反省の色が全くない彼女に、アイクウェンディ卿はほとほと困り果てた顔をしていた。
先ほどの衛兵との会話からなんとなく察していたが、どうやら彼女、相当なお転婆娘のようだ。
それはそうとして、そろそろ話を先に進めたい。
「あの、それで、アイクウェンディ卿」
「貴方から“卿”などと呼ばれるほどの者ではありませんよ、私は」
おずおずと口を挟んだ俺に、彼は苦笑のようなものを浮かべた。
「私のことはどうぞ、アイクとでもお呼びください」
そんな軽く言われても、困ってしまう。エルフの身分階級なんて知らないが、彼はたぶんこの里でもかなり高位の立場にある人物のはずだ。でなければ、衛兵が彼を見てから今まで微動だもせずに直立不動の体勢をとり続けていることの説明がつかない。
対して俺は、ただの放浪人。とてもではないが、気軽に呼びかけることなどできない。
「では、アイク殿」
幾つかの候補と妥協を組み合わせた結果、俺は彼をそう呼んだ。アイク殿はまだ何か言いたげな顔をしていたが、特に何も言われなかった。
「貴方がたは、私がここに来ることをご存じだったのですか?」
レティの言動から半ば確信していたことではあるが。一応、確認のために聞いてみたところ、アイク殿はもちろんと頷いた。
「我が主、エルディン・エノストメス卿より仰せつかっております。ルシオ・アルバイン、それにラキア。我々は、あなた方二人の来訪を心より歓迎します」
そう言って、彼は丁寧に腰を折った。まるで王侯貴族に対するような礼だ。
なんとも居心地が悪い。そう思ってふと横を見ると、ラキアもどうしていいのか分からないといったようにそわそわと身を捩っていた。
どうだ、俺の気持ちが少しは分かったか。
なんとなく復讐を果たしたような気になっている俺に、アイク殿が顔を近づけて、小さな声で言った。
「我が主は、貴方との対談を望んでおいでです、ルシオ・アルバイン。どうぞ、我が主の館までお越しください」
聞いた途端、頭の中が真っ白になった。
それくらいとんでもない大人物からの呼び出しだった。




