ハイ・オーク 2
夜中。細い上弦の月が中天に差し掛かった頃。
誰かが来る。悲鳴のような声を上げながら、恐らくは焚火の明かりを頼りに、こちらへまっすぐ駆けてくる。
立ち上がり、既に剣を抜いていた俺は、右手の人差し指に金剛石の指輪を嵌めた。
魔力によって強化された視力が、夜陰を見通す。
走ってくるのは、二人の男だ。酷く焦っている。何かに追われているらしい。
「そ、そこのアンタ! た、助けてくれ!!」
俺に気付いて、そう声を上げる男たちの背後に目を凝らす。
夜の底を這いまわるような小さな影の正体は、ゴブリンだった。
ゴブリンは一言でいえば、緑色の醜い猿だ。
猿とはいっても、似ているのは背丈くらいだが。その他は似ても似つかない。
緑色の体表に毛は無く、骨と皮ばかりの身体には不釣り合いなほど大きな頭部が乗っている。細い腕は立っていても地面に付くほど長く、反対に足は短い。
熟れる前に萎びた林檎のような頭部からは蝙蝠の羽のような耳と尖った鼻が突き出し、眼窩から半ば飛び出した黄色い眼球は血走り、赤く裂けた口からは乱杭歯が覗く。
男たちの悲鳴に、ラキアも目を覚ましたらしい。
慌てて天幕から這い出してきた彼女に、火の傍から決して離れないよう言って、俺は駆けだした。
途中、逃げてきた二人とすれ違った。そのうちの一人は、昼間の村で会ったあの村人だった。もう一人に見覚えは無いが、同じ村の住民なのだろう。
その彼らを、げぎゃげぎゃと耳障りな声を上げながら四匹のゴブリンが追っている。
手には動物の骨を削って尖らせたものが握られていた。小動物の骨を使ったものだろう。小振りなナイフよりもさらに小さい。毒が塗られているかもしれないが、気にするほどの脅威ではない。
村人二人とすれ違ったところで、まずは先頭を駆けるゴブリンの頭頂部めがけて剣を振り下ろした。闇夜の中であってさえ煌々とした輝きを放つ精霊鋼の刃が冷たく閃き、一切の抵抗もなくゴブリンを真っ二つに両断する。これまでにも何度か試し切りは済ませていたから、今さらその切れ味に驚きはしない。
勢い込んで駆けてきた二匹目の胴体を上下に切断して、そのまま三匹目の首を刎ねる。
他よりも少し遅れていた四匹目が、瞬く間に仲間が切り殺されたのを見て、悲鳴のような絶叫をあげた。素早く身を翻して逃走を図ろうとする。その後頭部めがけて、右手で抜いたダガーを投げつけた。鋭い切先が頭に突き刺さり、げぎゃ、という嫌な断末魔を挙げてゴブリンが地面に倒れ伏す。
ナイフを回収して、化け物の血で汚れた刀身をゴブリンが腰に巻いていた粗末な布で拭っていると、ごぼごぼという汚らしい水音が聞こえた。
見れば、胴体を切断したゴブリンがまだ生きている。
戦闘力こそオークと比べるまでもないゴブリンだが、同じ暗黒の王によって産み出された怪物の一つだ。常軌を逸した生命力というか。生き汚いというか。
せっかく綺麗にした剣をまた血で汚すのは嫌だったので、這って逃げようとするゴブリンの頭を思いきり蹴りつけた。脆い骨が砕ける音とともに、ゴブリンの軽い身体が吹き飛ぶ。
ぐしゃりと音をたてて地面に激突したゴブリンの姿勢から見て、もう生きてはいないだろう。
戦闘とも呼べない、一方的な殲滅を終えて焚火の元へ戻った。
怯えたように震える村人二人をどうにか落ち着けて、何があったのか聞く。
二人の話によると、夜になってすぐ、村がオークに襲われたそうだ。数は十匹ほど。それから多くのゴブリンが一緒だった。
男たちは必死に応戦したが、そこに特に身体が大きくて装備も立派な一匹が現れ、村一番の力自慢があっという間に殺されてしまった。
村中の人々が逃げ惑う中。この二人は北の街に助けを呼びに行こうとしたらしい。
だが、混乱と夜の闇のせいで方向を見失い、まったく逆の方角へと駆けてきてしまった。
そこへ、後ろからゴブリンたちが追ってきていることに気付いた二人はさらに恐慌に陥った。必死に走っていると、行く先に焚火の明かりを見つけ、助けを求めたのだった。
なるほど。これでゴブリンが二人を追っていた理由が分かった。
残虐さだけならオークとも肩を並べられるゴブリンだが、本来は臆病な性格だ。人間を襲う時も、決して一匹や二匹では襲わない。少なくとも十匹ほどの群れで一人の人間を、それも女子供か老人ばかりを狙う。よほどの数が揃うか、森や山の中といった自分たちに有利な場所でもない限り、人間の男には近寄ろうともしないはずなのだ。
夜とはいえ、たかが四匹で大の男二人を襲おうとしていたことがどうにも腑に落ちなかったのだが、彼らの話を聞いて納得した。
傍にオークがいるから気が大きくなっていたのだろう。如何にも腰巾着の奴ららしい。
話を聞きながら、一人は腕に怪我をしていたので、手持ちの薬草を使って手当てをしてやった。それから鍋に湯を沸かして、簡単なスープを作る。ちぎった干し肉を煮て、少し塩で味付けしただけのものだが、それでも二人とも有難そうに飲んでいた。
昼間、あの村であった男は助けを求めた先が俺たちだと気付いてから気まずそうにしていたが、俺がまったく気にしていないのと、差し出されたスープの温かさに、そんなことはすっかり忘れてしまったらしい。
ただ、ラキアだけが釈然としない顔をしていた。
昼間、あれだけ邪険にされた相手に、どうしてそこまで親切にするのかと思っているのかもしれない。
だが、今はまずオークだ。
村には全部で、三十人ほどが住んでいたという。
そのうちの七人が若い女だった。ここでいう若いとは、子供を産むことのできる年齢という意味だ。
襲撃は陽が落ちて間もなくだったというから、村が襲われてからもうすぐ五刻は経つ計算になる。
今から駆けつけても、村人の救出は絶望的だろう。少なくとも、男は皆殺しにされているとみるべきだ。
本当なら今すぐにでも飛び出していきたいのだが。一人ならともかく、今はラキアと村人たちがいる。ここに放り出していけば、別のゴブリンかオークに襲われないとも限らない。
逸る気持ちを押さえて、ともかく夜が明けるのを待つことにした。
二人の村人はよほど疲れていたのだろうか。スープを飲み干すと、沈み込むように眠りに落ちた。




