気ままな旅路 2
湖の畔を離れて山を下った翌日、ローセオンの領地に入った。
ローセオン騎士国は、その国号からも分かるように騎士によって治められる国だ。
その為、国民の間でも武芸が盛んな、尚武の気風に満ちた国柄であり、また領内の草原を駆ける野生馬を乗りこなせた男子だけが一人前として認められる風習から、民の大半が馬術にも長けている。
実際、騎士王レイズゲルに率いられた騎士団はもちろん、この国の民は一人残らず勇敢な戦士だ。
三年前、魔軍の侵攻がこのローセオンから始まったのは不幸中の幸いだったかもしれない。
三ヶ国の中で最も歴史があるのはアンヌ―レシア王国だが、積み上げた年月の弊害というべきか。アンヌ―レシアでは本来の役割を忘れた貴族主義が蔓延し、貴族の名が半ば形骸化している。
それに対してローセオンでは、貴族とは騎士であり、そして騎士とは王に忠誠を誓う者であると考えられている。そのため、何か事があった際には王の一声で国中の騎士団を招集することが出来た。
だからこそ、突如として起きた魔軍侵攻による混乱からの立ち直りも早く、その後に続く戦乱も上手く切り抜けることが出来たのだ。
もしも、魔軍が最初に魔の手を伸ばしたのがアンヌ―レシアか、西のムトユルグ公国だったとしたら、あの戦争の災禍はこんなものでは済まなかっただろう。
もちろん、だからといってこの国の民が受けた戦傷を無視するわけにもいかない。
主戦場となっただけあって、国内には魔軍の残党も多く残っている。
実際、この国に入ってから立ち寄った村の少なくない数が、化け物に悩まされていた。
近くの山に棲みついたゴブリンの群れが家畜を攫ってゆくだの。森の中にある古い砦をオークが占拠したせいで、故郷を捨てざるを得なくなっただの。
あっちへふらふら、こっちへぶらぶらと気の向くままにラキアを連れまわしながら、そんな話をよく耳にした。
騎士団も頑張っているようだが、人手が足りていないようだ。ローセオンの南には前大戦で失陥して以来、化け物の巣窟になっている谷があるとも聞いている。そちらへの備えにも戦力を割かねばならないから、どうしても細かいところまでは手が回らないのだろう。
化け物の噂を聞くたびに、俺はその近くの村や街で宿をとった。
そして夜中、ラキアが寝静まった頃合いを見てこっそりと抜け出し、化け物退治に向かう。一晩かけて化け物どもを殲滅し、翌朝、彼女が目覚めるより前に宿へ戻り、何事も無かったようにそそくさと村を離れる。といったことを繰り返す。
村人たちには、化け物を退治したことは教えない。放っておいても、その内に気付くだろうし、わざわざ教えて、化け物を退治して回っている旅人がいるなどと評判になってしまうのは困る。
ラキアにまで秘密にしているのは、村に泊まる度に俺がそんなことをしていると知ったら気にして休めないかもしれないし、何より彼女の性格から見るに、自分もついて行くなどと言い出しかねないからだ。
ただ、そうしているうちに、それなりの数の討伐証明が集まった。
ちょうど路銀も尽きかけている。今度、大きめの街か村を見つけたら換金しよう。
そんなことを考えていた矢先に、ちょうど良く街を見つけた。
周囲を石の壁で囲まれ、小さいが立派な門のある町だ。ここなら交易所もあるだろう。
「旅の者か。鑑札は持っているか? 無ければ、入市税を払う必要がある」
門に近づくと、その脇にある警衛所から軽鎧に身を包んだ衛兵が出てきてそう言った。
兜の隙間から俺たちを見る目つきは鋭い。俺は銀髪を隠すためにフードを目深まで下ろしているし、ラキアはこの通りの髪の色だ。怪しまれるのは無理もない。
衛兵がいった鑑札というのは、各地の領主や大きな街の運営を任されている代官などが領民に発行する、言うなれば身分証明書のことだ。
発行者の権威によってその者の身分を証明するもので、時にはこれが無いと街の中へ入ることができない場合もある。また、発行した者の格にもよるらしいが、各街で入市税を払う必要もなくなる。普通、鑑札は遠くへ遣いに出す部下や、頻繁に街を行き来する商人などに対して発行されるのだが、それ以外だと例えば手柄を挙げた者や、恩のある者へ対して振り出される場合もあった。
もちろん、俺はそんなもの持っていない。
少し考えてから、入市税は幾らか聞いてみた。一人銅貨五枚だと答えがある。
となると、ラキアと二人で銅貨十枚が必要ということになるのだが、困ったことに今の手持ちでは足りない。ここまでの道中、村に泊まったり食料を買い足したりなどで、いつの間にか財布の中はすっからかんだ。
さて、どうしたものか。手が無くはないが。
そう思って隣を見ると、ラキアと目が合った。どこか切実な表情で俺を見上げている。
たぶん、久しぶりにまともなベッドで眠れると思っていたのだろう。これまで泊った村には宿などなかった。当然といえば当然で、交易商人なんかが立ち寄るような特産品のある村でもない限り、住民の数を超えたベッドを抱えている余裕などないからだ。粗末な小屋の中で藁を敷いて寝転ぶのは野営よりもマシとはいえ、やはりラキアも女の子。柔らかいふかふかのベッドが恋しかったのだろう。
仕方ないか。
小さく溜息を漏らしつつ、俺は胸の隠しから金貨とよく似たメダルを取り出した。以前、この国に来た時に貰ったものだ。これをくれた人は、鑑札の代わりにもなると言っていた。
できれば使いたくは無かったが。そう思いながら、メダルを衛兵に手渡す。衛兵は訝しげな顔で手の中のメダルを検めた。
途端、その両目が驚きに見開かれる。
「こ、これは……!? 王家の紋章! た、大変失礼いたしました!!」
「え? いや、うん……」
衛兵が大慌てで腰を折って詫びてくるが、こっちは何のことだか分からない。
ここまで効果があるとは思わなかったのだ。
このメダルをくれたのは、王下親衛騎士団長のサルタン侯爵という人だ。
親衛騎士団とはアンヌ―レシアでいうところの王都近衛騎士団と同じく、ようする王に最も近く侍るこの国の最精鋭。サルタン侯爵はその筆頭騎士であり、王を除く、この国の騎士の頂点に立つ人物である。騎士とはかくあるべしと絵に描いたような厳めしい初老の騎士で、愛想は欠片もないが、誰よりも王への忠誠心に厚く、民を思う気持ちは人一倍強い人だった。
前回の戦いが終わった時、また王城を尋ねる際にはこれを使えと、あの武骨な老騎士が投げて寄こしたのがこのメダルだった。侯爵は詳しく説明してくれなかったが、これ一枚あればローセオン中の街で鑑札代わりに使えるし、王城の門すら素通りできると言っていた。
使いたくなかった理由は、その便利さの理由が良く分からないからである。
少なくとも、王城の門を素通りできるような代物をただの旅人が持っているだけでもおかしい。そんなところに行くつもりはないが。
悪い予想は的中した。メダルを渡してからの衛兵のへりくだりようは凄まじかった。
何故か、領主の館までご案内しましょうかとまで訊かれた。俺を一体、どこの王侯貴族と勘違いしているのだろうか。
「いや、旅の途中で立ち寄っただけなんだ。すぐに立ち去るし、特に用命があるわけでもないから、会いに行ったところでご領主にも迷惑だろう」
領主の館になんぞ招かれて堪るか。俺のことを知ってるヤツだったらどうするんだ。
そう思いつつ、やんわりと衛兵の申し出を断る。次いでに俺のことはあまり周囲に吹聴しないでくれないかと頼んだ。
「なるほど……お忍びの御行幸なのですね」
何がなるほどなのか知らないが、やけに得心のいった顔つきで衛兵が頷く。俺とラキアを見比べるその目には、どこか下世話な光があった。
内心で俺たちのことをどう思っているのか知らないが、俺がフードを目深に被っているのも、あまり人に顔を見られないようにしているのだと好意的に解釈してくれたようだ。
衛兵はすぐに門を開けてくれた。名前すら聞かれなかった。いざとなればユースタスの名前を使おうと思っていたのだが。
「……凄いわね、ルシオ」
街に踏み込んだところで、ラキアが感心した様な目を俺に向けた。
「……うん、すごいな」
俺は手の中にあるメダルを見つめながら、そう答えた。
後で知ったのだが。このメダルはローセオン王家が特に功績のある貴族以外の者に対して贈呈するものであり、メダルの色ごとに対応する爵位と同様の身分が与えられるものだった。
俺が持っている金色のメダルが示す爵位は侯爵。
つまり、この国で俺は侯爵と同様に扱われる。そりゃどこの街でも入れるわけだ。
というか、そんなもんを投げて寄こさないでくれと思った。




