うまくいかないもんだ
「どちらへ行かれるおつもりですか?」
着地した体勢のまま固まっている俺に、ラキアがもう一度尋ねる。
「……ちょっと、夜の湖畔を散策に?」
「では、私もお供します」
苦し紛れに適当なことを口にすると、彼女は当然のように頷いた。
「いや、ちょっと待て」
こちらへ一歩近づく彼女を制するように片手を上げる。
そこで初めて、ラキアの服装がメイドのお仕着せでないことに気付いた。
私服なのだろうか。ゆったりとした袖の、淡い水色のワンピースに身を包んでいる。
ちょっと理解が追いつかない。どういう状況なんだろうか、これは。
「……こんな時間に、どうしたんだ?」
とりあえず、最大の疑問をぶつけてみる。
「それはルシオ様もでしょう?」
ぐうの音もでない返答をされた。
「いや、俺は。その~……」
視線をあらぬ方向に飛び回らせながら、どうにか誤魔化せないかと言葉を探す。
が、そう簡単にも行かない。そもそも、こんな深夜に完全武装でどこへ行くというのだ。
今さらの言い訳に何の意味がある。
「……ラキア」
意を決したように咳払いをして、彼女を呼ぶ。
「はい」
ラキアはなんでしょうかといった顔で俺を見上げた。
「その、すまん。夜の湖畔をっていうのは、嘘だ」
「はい」
正直に白状してみれば、知ってますとばかりに頷かれてしまう。
そりゃまあ、そうだろうな。
「だから、つまり……すまん!」
そう詫びて、俺はくるりと踵を返した。
「あっ」
駆け出した俺の背後でラキアが小さく声を上げた。
そもそも。言葉で状況を打開しようなどというのは賢者の所業だ。そして賢者ではない俺がこの状況を打開するためにとるべき手段は一つ。ただ行動あるのみ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
呼び止めるラキアの声を振り払うように、門へ向けてまっしぐらに走る。
門までおよそ三十歩の距離を、指輪の魔力によって強化された脚力で一息に駆け抜けた。
門は施錠されているようだが、それも織り込み済みだ。この屋敷の鍵は全てサラさんが管理している。俺がリタを見送った後に鍵を閉めたのだろう。
当然だが、門柱は俺の背丈よりも高い。身長の二倍ほどはあるだろうか。
しかし、今の俺には障害にもならない。
駆ける勢いそのままに地面を蹴る。指輪によって強化された脚力は、あっさりと門柱の高さを飛び越えた。空中でわずかに身を捩って後方を確信すると、追って来ようとしているラキアが見えた。門を飛び越す俺を見て、ぽかんとした顔をしている。
そんな彼女に心の中で詫びつつ、白石で舗装された通りへと着地した。
ずるいことをしたという申し訳なさはあるが、これですぐに追いつかれることはないはずだ。
そう思った時だった。
「待ってくださいって、言ってるのに!」
頭上から、ラキアの声。
「え」
思わず顔をあげた先に、彼女がいた。落下とともにワンピースの裾がふわりと広がる。下に短いズボンを穿いているのが見えた。
茫然としている俺の目の前に、ラキアがすとんと着地した。彼女が背を伸ばすと、切り揃えられた髪が月光を浴びて真紅に輝く。
しまった。すっかり見慣れてしまったのと、メイド姿が板についてきたせいで忘れていた。
妖精人の血を引く彼女の、並外れた身体能力を。
そもそも、屋敷を脱出するための参考にしたのは彼女だったじゃないか。
己の不甲斐なさに舌打ちを漏らしつつも、いつまでも戸惑ってはいられない。
すぐさまラキアに背を向けて駆け出す。
「あ、また……!」
やはり追いかけてくるラキア。
こうなってくると、なんで彼女があんな場所にいたのかも予想が付く。俺が屋敷を抜け出さないように見張れと、リタ辺りから言われていたのだろう。
しかし、ここまで来たら俺も後戻りはできない。
背後に感じるラキアの気配に、さてどうしたものかと頭の中で貴族街の地図を広げる。
王宮を中心に広がる貴族街の道は、それほど入り組んでいるわけでは無い。むしろ、きっちりと区画整理されているから分かりやすい。王宮から八方に伸びる大きな通りを、家々の間にある細い、それでも馬車二台がすれ違える幅の道が繋いでいるだけだ。
つまり、入り組んだ路地を利用して追っ手を撒くという手は使えない。となると、単純に速度で撒くしかない。
指輪の魔力によって強化された肉体は、全力を出せば五十歩を一息で駆け抜けられる。一つ、二つ角を曲がって、姿を見失わせさえすれば、あとは夜陰に紛れて街から脱出するだけ。
などと考えていたのだが。
「ちょっと、ま、って、って、言ってるん、です!」
隣からラキアの声。気付けば、彼女は俺のすぐ隣にいた。
嘘だろ。
思わず、そんな呟きが漏れる。
指輪によって肉体を強化された状態で追いつかれ、併走されているという事実が信じられない。
そもそも北の一族が持つ魔法の指輪は、ゴブリンやオークといった雑魚ではなく、より強大な敵、竜や不死の怪物などを相手取るため、上古の昔にエルフから授けられたものだ。
体力、腕力、脚力は言うに及ばず、視力、聴力、反射神経とあらゆる感覚を研ぎ澄まし、強化する魔法の指輪。
そんな全身強化人間の俺に遅れるどころか、追いつき併走しているラキアはどう考えても異常だ。
いったい、何の妖精人の血を引いてるんだこの子は。
一口に妖精人といっても、その種類は様々だ。神と呼ばれるような存在から、神性を帯びた獣たち、果ては小さな花の精に至るまで。そういった存在が人の似姿をとったものが即ち、妖精人と呼ばれる。
妖精人たちが姿を消し、その血が薄まっているとはいえ、どんな妖精人を先祖に持っているのかは、見た目からある程度の当たりは付けられるものだ。
たとえばラキアなら、その真紅の髪。リタなら赤銅色の瞳といったように、妖精人の血がその身に色濃く発現した人間は、祖となった妖精人の身体的特徴を受け継ぐことが多い。
リタの家は、祖先が妖狐との混血だったと聞いている。
ラキアだと、なんだろうか。分かりやすいところから予想すれば、火や炎の精。真紅と金色の羽を持っていたという不死なる霊鳥という線もある。あとは……炎髪の戦乙女?
いやいや、それは流石に。大物すぎる。神話に登場するような存在じゃないか。
などとあれこれ予想している間にも、もう二度、三度と角を曲がり、幾つかの通りを駆け抜けていた。
「ああ、もう。なんでそこまでして着いてくるんだ」
「リタ、様に、ルシオ様、から、目を離さない、よう、にと」
併走しているラキアにぼやくように訊くと、切れ切れの返答があった。
やっぱりか。
「まさか、毎日?」
ああやって見張っていたのかと訊き返した俺に、ラキアは息を呑み込むようにして頷く。
我知らず、大きな溜息が口から漏れた。
頭の中に、まさかその為にこの子を雇ったんじゃあるまいなという疑問さえ浮かぶ。
と、そこで。あっ、という短い声を残して、視界の端からラキアの姿が消えた。何事かと振り返ってみれば、通りに伏している。どうやら、足が縺れて転倒したらしい。
石畳に両手をついて蹲る彼女を見て、思わず立ち止まってしまった。
ラキアの背中は激しく上下している。通りに響く、ひゅー、ひゅーという小鳥がすすり泣くような小さな音は、彼女が懸命に息を整えようとしているものか。
どうやら、脚力は並外れていても、体力はそうでもないらしい。まあ、指輪のおかげで三日三晩でも全力で走り続けられるだろう今の俺と比べるのは、そもそも無理があるが。
困ったな。
考える間でもなく、これは好機だ。今なら誰に邪魔されることなく王都を抜け出せる。
だが。
そのために、息も絶え絶えに地面に崩れ伏す少女を放置して?
「ああ、もうっ」
両手で頭をばりばりと掻いた。
そんなことができるはずない。
一つ、諦めるために息を吐いて、通りに蹲るラキアへ近づく。
「大丈夫か?」
声をかけると、彼女は苦しそうな顔で俺を見上げた。
「安心しろ。もう逃げない。降参だ」
何か言おうとするラキアを遮って、俺は両の手を広げて見せた。




