三ヶ国通商協定 3
「でもそれ、簡単に真似されないか?」
これまでの話で、とりあえずその紙きれが金貨や銀貨の代わりになる、という事だけは理解できた。
だが、現物の金貨や銀貨と違って、それさえも偽物が出回ることがあるというのに、ただの紙にちょっと複雑な模様を描いたくらいじゃ、似たようなものをすぐに作られてしまうんじゃないだろうか。
そんな指摘をした俺に、リタはやけに自信たっぷりの笑みを浮かべて応じた。
「ええ、もちろん。その点については抜かりありません」
そう言って、もう一度紙切れを俺の目の前に持ってくる。
「まず、ここに使われているインクには、ムトユルグで使われているシェルピーという通貨にも使われている晶石を砕いたものが混ぜ込まれており、光の当て方によって違った色に見えるという特徴があります」
俺は紙きれを受けとると、窓から差し込む陽光に透かした。
なるほど、確かに。角度を変えるたびに、黒いインクの中で赤や黄色、緑の小さな粒がきらきらと光って、それが虹のような色合いを見せた。
「一枚一枚には発行した年月日と、各国の王印が捺され、発行数は厳格に管理されることになっていますし、無論、偽造したことが発覚すれば、その者は厳しい抜を受けることにもなるでしょう。しかし、何よりも偽造防止に重要なのは、その紙全体に描かれている模様なのです」
「はあ」
気の無い返事を返しつつ、描かれている模様を眺める。
やけに曲線が多様されたそれは確かに複雑だが、真似できないかと言われれば首を傾げざるを得ない。
そりゃまあ、完璧に同じものを、ってのは無理だろうけど。
そう考えている俺に、リタが説明を続けた。
「それは我が国とムトユルグの魔術師たちが共同で組み上げた魔術印で、一種の召喚陣のようなもの、なのですが。実は、それそのものには何の効果も力もありません」
「……どういうことだ?」
完全に話から置いて行かれてしまい、正直もうこの話には興味が無いのだが、一応そう訊き返しておく。
「その魔術印は、線一本、点一つ正確に描かなければ、とんでもないことが起こるようになっています」
「……とんでもない事って?」
「さあ? それはどう間違えたかによります」
なんだか突然、話が物騒になったなと眉を顰めた俺に、リタは無責任な態度で肩を竦めた。
「ただ、そうですね……わざと失敗する実験に参加した魔術師の内、七人が愉快なことに、もう三人がさらに愉快なことに、もう一人はまだ行方が分かりません」
「おい、大丈夫かそれ」
とんだ危険物だよ。
そう思っている俺に、リタはまあ大丈夫でしょうと答えた。
「真似しなければいいんですから」
いっそ突き放すような言い方だが、まあ、その通りか。
真贋を見分けるための術を掛けたところで、街の商店で店番しているような者に魔術の心得があるはずもないし。
それならいっそ、偽造しにくいように作ってしまえと、そういう事なのだろう。
王印の偽造も大罪だしな。
まあ、何をやっても偽物を作ろうとするヤツは出てくるだろうが、そんなヤツの心配まではしていられないと。
話のほとんどは理解できなかったが、だいたいそんなことなのだろうな。
そう納得したところで。
「ちなみに、この新しい通貨単位の名称は“ルシオ”です」
「 絶 対 に や め さ せ ろ !!」
たぶん、これまでで一番この話に食いついた瞬間だった。
「冗談です」
思わず立ち上がって大声をあげた俺に、リタは平然とした顔で肩を竦める。
くそ。真顔で冗談をいうのは辞めてくれ。本当に。
「まあ、案が出たのは確かなのですが」
出たのかよ。誰だ、そんな恐ろしい提案をしたヤツは。
「存命中の方の名前を、通貨の名称として使うのはどうかとなりまして」
却下になった理由がそれだけ?
もっと他にないの?
そもそも人名を通貨の名称として使うことに何の疑問もなかったの?
じゃあ、なんだ。
もし俺が死んでたら使うつもりだったのか。
いや、俺が死んだら使う予定なのか。
まさか、そんなと一笑にふしたいところだが、これまでの事を思うと疑念は拭えない。
……こうなったら、何が何でも長生きしてやる。
俺のことを知っている最後の一人が逝くのを看取るまで、生き延びてやる。
そんな悲愴な覚悟をしている俺の横で、リタは考えこむように頬に手を当てていた。
「実は、この名称に関してだけ話し合いが難航しているそうなのです。どこの国も、元々自国で使っていた名称をそのまま使いたいと思っているのでしょうし。その方が混乱も少ないでしょうから。……何か、良い案はありませんか、将軍?」
「なんで俺が……」
言い返すが、このまま話し合いが難航し続けたら、もうルシオで良いか、となってしまう可能性が全くないとも言い切れない。
屋台で肉串を買う時、代金は三ルシオだよ、とか言われる世界を想像してみる。
どんな地獄だ。
その事態だけは絶対に避けねばならない。
だが、通貨の名称なんてどう考えたらいいものか。
「そうだなあ……」
ここは例えば、無難に、昔話に登場する伝説の宝物の名前から取る、とかか。
「太陽の玉石、月の玉石……白輝の宝玉とか、か?」
有名な物語に出てくる宝の名前を呟きながら、指を折る。
全部、大昔のエルフたちが作り出した宝石の名前だ。
エルフにとって、宝石とは大地から掘り出すものではなく作り出すものだった。
ソアレンディアとルシンディアは、あるエルフの細工師が神々の偉業を模倣して作り上げたもので、その名の通り、それぞれ太陽と月の輝きを模したものであるとか。
そういったエルフの至宝の中でも、もっとも美しいとされているのが白輝の宝玉、セルマリオンだ。
この世界の最初に灯った白い焔を封じ込めたというその宝玉の美しさは、神々ですらも称賛したという。
と。そんな話を語って聞かせたところ、リタは感心した様に頷いていた。
「なるほど……それは、良い考えかもしれません」
そう呟いていてから、彼女は考え込むように顎の先を指で撫でる。
「しかし、普段使いするのにセルマリオンでは長すぎますね。……セル、マリオン、セルマ、リオン、セルオン……セリオン、セリオンではどうでしょうか」
どうでしょうかと言われても。
「いや、それだと意味が通じない……」
エルフ語でセルは“白”、マリオンは“輝くもの”から転じて“宝石”を意味する。
この二つを繋げて、白輝の宝玉なんだけど……。
でも、まあ。今時、エルフ語が分かる人間もそうそういないし。良いのか、別に。
「それにしても、一体どこでそのような知識を仕入れてくるのですか、貴方は。エルフの伝承にまで通じているなんて」
「故郷で、まあ。色々と教育されるから」
不思議そうに訊かれても、そう答えるしかない。
化け物との戦い方から、大昔の伝承。女性との接し方に至るまで。
色々と、北の一族には覚えなければならないことがたくさんあるのだ。




