三ヶ国通商協定 1
「飲み物と、それから何か、軽いものでも持って来させましょう」
椅子にぐったりと沈み込んでいる俺を見ながら、リタは机の上に会った呼び鈴を鳴らした。軽やかな鈴の音に誘われるように、すぐにメイドがやってくる。
リタがお茶と軽食を持ってくるように頼んでいる間に、俺は椅子から立ち上がると全身を伸ばした。凝り固まっていた関節がバキバキと、自分でもびっくりするくらい大きな音をたてた。
「ああ。疲れた……」
身体を解しながら、そう吐き出す。
「お疲れ様です。溜まっていた書類も、大半が片付きましたから。今日は家に帰れますよ」
そう労いの言葉をかけてくるリタも流石に疲れたのか。眼鏡を外して目頭を揉んでいる。
そうこうしている内に、メイドがお茶と軽食を持ってきた。
「お二人とも、お疲れでしょうから」
そういってメイドが淹れてくれたのは、芳しい香りの立ち昇るハーブティーだった。
いそいそと執務机から、部屋の中心に置かれている来客用のソファへと移動した俺は、差し出されたカップを、お礼を言って受け取る。
空気の中へ溶け込むようにして立ち昇る湯気を少し吸い込むと、目の覚めるような芳香が鼻腔を刺激した。
どこかで嗅いだことのある匂いだ。
なんのお茶だろうか。そう思いながら、確かめるように香りを嗅いでいると。
「カミツレの花を陰干しして作ったお茶ですよ」
そんな俺に気が付いたらしいメイドが教えてくれた。
「疲れにまで利くかどうかは分かりませんが、薬にもなるお花で、何より香りが良いでしょう?」
そう言って笑いながら、ティーポッドの中を見せてくれる。お湯の中には、ふやけた白い花が浮かんでいる。
カミツレ、という名前は知らなかったが。
「ああ、風邪ひいたときに齧るやつか」
ちょっとがっかりしながら、その花の正体に思い至る。
あった、あった。痩せた土地でも育ち、寒さにも強いらしく、北の荒れ地にもよく生えていた。
身体を温めたり、毒気を抜く効果なんかがあるらしく、故郷では調子のすぐれない時には、良くこれを摘んできて齧ったものだ。
「苦いんだよな、これ……」
嚙めば噛むほど、真ん中の黄色い部分が粉っぽくほぐれて、苦みと共に口中に広がるあの味を思い出しながら呟く。
「えーっと、そ、そのまま食べるのは、ちょっと、聞いたことが無いですけど……」
そんな俺に、メイドは戸惑っているような声で口を開いた。
「え? そうなの?」
「はい……普通はお茶にしますね」
聞き返すと、若干引きつった笑みのメイドが答える。
そうだったのかと、お茶に口をつける。
「……苦くない」
いや。苦くはある。だが、ほどよい苦みだ。
あの背筋が泡立つような食感が無いのが大きいのだろうか。
清涼感のある香りが口中に広がって、心地よく鼻に抜けてゆく。
「そ、それは良かったです……」
こんなに香りのよい花だったのかと、衝撃を受けている俺に、ぎこちない笑みを浮かべながらメイドが応じる。
「ちなみに、陰干ししたものをそのまま食べても不味いだけですからね」
「それくらいは分かるわっ」
対面に座ったリタからの指摘に言い返す。
その程度の想像力もないと思われているんだろうか。
枯れ葉ぐらい食ったことある。どんだけ不味いかなんて、改めて説明されるまでもない。
メイドは最後まで若干引き気味のまま、甘い菓子の乗った皿を置いて部屋を出ていった。
砂糖で煮た木の実を、練った小麦の生地に乗せて焼き上げた焼き菓子だ。一口齧ると、素朴な甘みが疲れた頭に染み渡る。お茶との相性も抜群だ。
「もう一生分働いた気がする」
「何を言っているんですか。たかだか、半月分です」
口の中に残っていた菓子をお茶で流し込んでから一息ついた俺に、リタから冷たい言葉が飛ぶ。
「……ですが、まあ、朝から休みなしでしたからね。もう少し、休憩しましょうか」
しかし、すぐに表情を和らげた彼女は俺のカップに二杯目を注いでくれた。
自分のカップにもお茶を注いで、ふうと対面のソファに腰を下ろす。それから、ふと思い出したように顔をあげた。
「そうそう。これは将軍の仕事とはあまり関係ないのですが。貴方が失踪している間に、一つ大きなことがありました」
「へえ、何?」
また一つ。焼き菓子を頬張りながら訊き返した俺に、リタは何やら自分の机まで行くと、引き出しから長方形の紙きれを取り出して戻ってきた。
「軍事同盟に次ぐ、通商協定が中央三ヶ国の間で結ばれることになりました」
「ふーん」
通商ってことは、商売の話か。
なら、俺には全然関係ないことだな。
そう思って、他人事のように相槌を打っていると、リタが先ほど取り出してきた紙切れを俺の前に置いた。
「なにこれ?」
俺はその紙きれを摘まみ上げて尋ねる。
そこには何やら、複雑な模様と共に幾つかの記号と数字が書かれている。
「それは、金貨や銀貨などに代わる新たな貨幣。言うなれば、紙幣、です」
「……?」
そんな、すごいでしょう、みたいに胸を張って言われても、全然意味が分からない。
だが、そんな俺にはお構いなしにリタは話を続けてしまった。
2021/02/15 再登校。




