第十七話 悪鬼(オーク) 2
短い通路を駆け抜けると、やや広まった部屋に出た。
建物の入り口に当たる部屋のようだ。壁際の燭台には松明が灯されている。
普段から山賊たちがたむろしているのだろう。粗削りな木の机が一つと、椅子代わりにでも使っているらしい輪切りにされた丸太が幾つか、床に転がっていた。
その入り口に、いた。
背格好は大柄な人間のように見える。
だが、くすんだ灰色とタールのような黒色が交じり合った不気味な肌に、醜く捻じれている顔面は、人間とは似ても似つかない。頭に毛はなく、その代わりに茨の棘のような小さな角が幾つも生えている。落ちくぼんでいる眼窩に光る濁った黄色の瞳や、大きく裂けた口から覗く乱杭歯など、その見た目はまさに悪鬼そのもの。
この醜い化け物が悪鬼だ。
その昔。暗黒の神によって、この世に破壊と殺戮を齎すためだけに生み出された化け物の一つ。
出来損ないの緑猿鬼とは違い、暗黒の軍隊で兵士として用いるために生み出されただけあって、背は高く、腕も足も太い。
分厚い筋肉で包まれた肉体はがっしりとしていて、身に着けている黒い防具はボロボロだが、全て鉄製だった。
その手に握られているのも、黒い鉄の剣だ。刀身は幅広く、分厚い。だが、鋭くはない。
剣というよりは、持ち手の付いた鉄板と言った方が正しい。ものを斬るというよりも、力任せに打ち砕くための武器だ。
やはり。東の山で討ち漏らした魔軍の残党か。
野良のオークならば、これほど装備が整っているはずがない。
部屋の飛び込んできた俺を見て、オークが吠えた。
猛獣のような唸り声で俺を脅しているつもりなのだろう。
その足元には、山賊の死体が転がっていた。
すでに十分すぎるほど汚れている装備が、赤黒い血でさらに染まっている。
俺は駆けこんできた勢いそのままに、咆哮をあげているオークへ剣を叩きつけた。
オークがそれを、鉄板のような剣で受け止める。そのまま組み合う形になってしまった。
剣を打ち合わせたまま、オークがもう一度吠えた。
臭い息が顔に当たる。
まったく。どこまでも不快な化け物だ。
舌打ちを漏らしながら、俺はオークを睨んだ。
見れば、そのオークは鼻が削げている。
恐らく。戦いで失ったものではなく、自ら切り落としたのだろう。
オーク族特有の美意識のようなもので、こいつらは産まれて間もなくから、自らの鼻や片耳を自ら削ぎ落すのだ。なんでも、その不完全さを尊んでいるのだという。
中には片目を抉っているようなヤツまでいるのだから、心底から理解に苦しむ。
俺が顔を顰めていると、オークは組み合っている剣をじりじりと押し返してきた。
やはり、生身のまま化け物と力比べをするのは無理があるか。
こいつらの肉体、特に腕力などは、人間のそれよりも遥かに強靭なのだ。それが修練によって身に着けたものではなく、産まれながらに備わっている種族的な特性なのだから、この化け物が人間にとって、如何に脅威なのかが分かる。
だが。力で勝てなくとも、やりようはいくらでもある。
俺は一歩踏み込みつつ、組み合っている剣を大きく弧を描くように回して、押し込んでくる力をいなした。そのまま、わざと体勢を崩したようにしてみせる。
思った通り。オークはそれを好機と見たようだ。重い鉄剣を大きく頭上に振り上げると、まるで勝ちを誇るかのように大きく吠えた。
まったく。相変わらず愚鈍な連中だ。
心の中で毒づきながら、俺は大きく空いているその口に鉄の剣を思いきり突き出した。
膝をバネのように使って繰り出した突きは、オークの口蓋を突き破り、切先は後頭部にまで達した。
びくんと痙攣したきり、硬直しているオークの腹を蹴って、剣を引き抜く。だが、その途中で鉄の刀身は音をたてて折れてしまった。
そのまま後ろ向きに倒れ込んだオークが死んでいることを確かめてから、空いたままになっている扉へ近づき、外の様子を確かめようとした時だった。
風切り音と共に、何かが頬を掠めた。
黒い鉄の矢尻がついた矢だ。それが背後の壁にぶつかって弾かれる音を聞きながら、慌てて扉を閉める。
「に、兄さん……」
ようやく一息つけたところで、部屋の隅から怯えた声が聞こえた。
そちらへ目を向けると、街で門番をしていた男が腰を抜かしたようにへたり込んでいる。
確か、ボッツとかいう名前だったか。
「大丈夫か?」
扉を押さえつけながらそう訊くと、ボッツは昼間、あの大男に殴られた痣が残っている頬を震わせながら頷いた。
「俺の荷物がどこにあるか、分かるか?」
「あ、ああ。それならきっと、お頭の部屋に……」
尋ねた俺に、ボッツはこの部屋から奥へ通じる三つの通路の内、一番右側を指さした。
探しに行こうとした途端、扉が強く叩かれた。残りのオークどもが集まってきたらしい。
どうやら、扉を破るつもりのようだ。黒い鉄の剣が叩きつけられて、木でできた扉板の一部が弾け飛ぶ。
ボッツがひいと悲鳴を上げて蹲った。俺は舌打ちをしながら、部屋の置かれていた机を持ち上げると、扉を塞ぐように置いた。
無いよりはましだが、あっても無駄か。
この程度、すぐに叩き壊されるだろう。
「おい、俺の剣と荷物をとってきてくれ!」
「や、し、しかしよぉ……」
お頭の部屋から勝手に物を持ち出すことを躊躇っているのか。
ボッツの返答は歯切れが悪い。
そこで、思わぬ方向からオークの咆哮が轟いた。
部屋から奥へ伸びる三つの通路の左側から、左耳のないオークが現れる。
「なっ」
どうやって中へ。
一瞬、その疑問が頭に過ぎる。
が、すぐに昼間、外からこの建物を見た時、壁が大きく崩れていた部分があったことを思い出した。そこから侵入してきたのだろう。
「ひっ、ひぃいい!!」
オークは悲鳴を上げたボッツではなく、扉を抑え込んでいる俺を獲物として見定めたらしい。鉄剣を振り回しながら襲いかかってくる。
それを折れた剣でどうにか受け止めて、俺は叫んだ。
「皆殺しにされたくなかったら、さっさと俺の剣と持ち物を持ってこい!!」
事ここに至って、ようやく躊躇いを捨てたのか。俺が怒鳴った途端、ボッツは弾かれたように右の通路へ駈け込んでいった。
しかし、状況はかなり悪い。
黒鉄の剣を力任せに何度も叩きつけてくるオークの攻撃を、折れた剣でどうにか捌く。だが、そう長くはもたない。押さえている扉も、今にも破られそうだ。
「兄さん、これで全部のはずだ!」
そこへ、俺の剣を抱えながらボッツが戻ってきた。
「指輪はあるか?」
「え、あ、ああ。たぶん、この中に」
訊き返した俺へ、ボッツは手にしている小さな袋を持ち上げて答えた。
「よし!」
オークがもう一度、剣を叩きつけてくる。それを前に踏み込んで受け流しながら、俺はボッツの前へ転がり込んだ。
背後では、遂に扉が破られた。
狂喜に吠えながら、二匹のオークが部屋に飛び込んでくる。
それを見たボッツがぎゃあと叫び声をあげると、手にしていたものを全て放り捨てて、砦の奥へと逃げ出した。
入り込んできたオークの片方が、剣を振り上げながら突っ込んできた。
折れた剣を投げつけてその勢いを削いでから、ボッツが投げ捨てていった剣を拾い上げる。片膝を突いたままの俺に、再びオークが鉄の塊を振りかぶった。それを引く抜いた鋼の刀身で受け止める。刃をわずかに反らして敵の攻撃を横へと捌き、その足に切りつけた。
傷は浅いが、オークが痛みに吠えて、片足を折った。
その隙に体勢を立て直す。
あとは、指輪があれば……と、ボッツが投げ捨てていった小袋を拾い上げたところで。
ふっと、部屋の中が暗くなった。
俺を襲っているヤツ以外のオークが、松明の火を踏み消したからだった。




