終章 新しい旅へ 5
「ルシオー!」
散り散りに逃げてゆくオークどもを目で追っていると、何処からか名前を呼ばれた。
声の方へ顔を向ければ、馬に乗ったレティが片手を振りながらこちらへ来る。
見た所、怪我はしていないようだ。そのことに少しだけほっとした。
「さっきは助かった。ありがとう」
ウータヴァルの動きを止めてくれたことに礼を言った俺に、別に、と答えながらレティが馬を下りる。それから彼女はしげしげと俺の顔を見つめた。
「どうかしたのか?」
「いや、なんか。思ったより普通だなと思って」
「普通?」
なにが、と聞き返す俺に、レティは呆れたように息を吐く。
「七人の幽鬼の一人を滅ぼしたのよ? 神代の英雄にも比肩するくらいの偉業じゃない。もっと喜んでるのかと思った」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
けれど。
「まだ六人も残ってるしなぁ」
「なにそれ。まるで全部ひとりで滅ぼす気満々って言い方ね」
「そう出来たらいいけど」
肩を竦めて答える俺に、レティはますます呆れたような顔つきになる。
結構、本気なんだけどなぁ。
「アルバイン将軍」
などと気の抜けたやり取りをしていたところへ、背後から声が掛かった。
振り返り、慌てて頭を下げる。
馬上から俺を見下ろしているのは、ローセオンの騎士王、レイズゲル王だった。
「陛下。ご無沙汰しております」
とりあえず、当たり障りのない挨拶をしておく。
レイズゲル王のすぐ後ろにはいつも通り、サルタン侯爵が矍鑠と控えている。
その二人に続く騎士たちの中にはノーバスター卿の姿もあった。額を少し切っているようだが、こちらも無事なようだ。
「ノーバスター卿から話は聞いた。また世話になったらしいな。その功労に報いてやりたいところなのだが、今はその時間がない」
言って、王が顔を向けた先には逃げてゆくオークどもがいる。
追撃するつもりなのだろう。当然だ。ここで獲り逃した連中はどこかで人を襲う。そして奴らが数を増やせば、また今回のような大事に発展してしまうだろう。
その前に、今ここで徹底的に殲滅しておかねばならない。
「お手伝いします」
俺は至極当たり前にそう申し出た。
少し休んだから、身体の痛みはほとんど消えている。疲れは残っているが、オーク相手なら問題はない。
しかし、そう言った俺にレイズゲル王はいやいやと手を振った。
「いうと思ったが、まずは休め。まる一日以上戦っておったのだろう? そなたらはもう十分な働きをした。ノーバスター卿と部下たちも置いてゆく」
「これくらいの連戦で精魂尽き果てるほどやわではありません」
臣下への慈愛に満ちた言葉なのだろうが、それでも俺は食い下がる。
それにレイズゲル王は意地悪そうな笑みで背後に振り返った。
「将軍はそう言っておるが、ノーバスター卿?」
「体力底なしの将軍と一緒にしないでください、陛下……」
水を向けられたノーバスター卿が嫌そうな顔で言う。
「いや、これは俺が勝手にすることですから、彼らは休ませてやってください……」
「上の者が休まねば、下の者も心安らかに休めぬものですよ、若」
そう口を挟んだのはアルドだ。
「追撃には私が参加しましょう。若は少し休んでください」
「アルド、いや、でもな……」
どこからか引いてきた馬の背にひらりと跨るアルドに、俺はなおも言い返す。
「上とか言われても。そもそも将軍ってのもみんなが勝手に言ってるだけで俺は別に」
「若」
「はい」
真顔になったアルドに短く呼ばれて、思わず背筋が伸びた。
不味い。これは説教する時の声だ。
「若、良いですか。これは貴方のためでもあるのです。今や、貴方は我が一族の長になったのですから、人の上に立つ者としても心構えをですね……」
まさかこんなところでガキの頃から滾々と聞かされてきた説教をまた聞かされることになろうとは。もう耳にタコだよ、と。心の中でそう思いつつ、口では「はい。はい」と素直にアルドの話を聞く。
子供の頃から刷り込まれてきたせいか。教育係のアルドとミリアにはどうにも逆らえない。まあ、ミリアには誰にも逆らえないのだが。
「流石のアルバイン将軍も、剣の師の言うことは聞くようだな」
そんな俺たちを面白そうに見ていたレイズゲル王が笑いながら口を挟んだ。
「しかし、今は時間が惜しいのでな。悪いが、余はもう行かせてもらうぞ」
そう言った王が、馬を進ませる直前にふと、思い出したような顔で俺を見る。
「そうそう。砦から避難していた者たちは無事に保護されたそうだ。誰も怪我一つしておらぬというぞ」
「そうですか」
その知らせに、思わず安堵の声が漏れる。そんな俺を見た王は満足げに頷いた。
「ではな」
短い別れの言葉を残して、騎士たちを引き連れて掛け去っていく。
つまり、ラキアも無事だったわけだ。良かった。
どうしてこんなに早く避難民たちの無事が確認できたのかは不思議に思わない。リタが気を使ってくれたのだろう。
そう思って、王たちが突撃を始めた丘の上を仰ぎ見る。続々と増援が駆けつけてくる中に、黒衣の魔女は立っていた。
本当に。何から何まで彼女には世話になりっぱなしだ。
「あとでリタ殿にもきちんとお礼を言ってくださいね」
そう言って、アルドも騎士たちを追いかけてゆく。
「とりあえず、砦に戻りますか」
その後ろ姿をぼうっと見送っていると、ノーバスター卿から声が掛かった。
彼にゆるゆると頷いていると。
「おい」
そこへ誰かからの呼び声。見れば、いつの間にか近くにレイブンがいた。無事だったのかと声を掛けようとした俺に、彼は抜身のまま手にしていた剣の切先を突きつける。
「戦が終わったのなら、約束通り相手になってもらう」
そういえば、そんな約束をしていたなと思い出す。戦に手を貸す代わりに、終わったら一対一で決闘してやると。そもそも牢から出してやっただけでも十分な気もするのだが。
「今か?」
「今だ」
聞き返す俺に、レイブンは当然だとばかりに頷いた。
「すぐやろう」
言いながら、レイブンは剣を握る右手をだらりと下げる独特の構えを取る。
どうやら戦闘の興奮がまだ醒めていないようだ。やけに鼻息が荒い。
「貴様、何を言うか!」
そこへノーバスター卿が割り込んだ。しかし、レイブンはそんな彼に目もくれない。
「アンタは約束しただろう」
まっすぐに俺を見つめながら、剣を胸の前で立てた。
「一手、死合いてもらいたい」
相変わらず、そこだけは律義なんだなと思いながら、大きく息を吐いた俺は答える。
「ああ、いいぞ。やろう」
「将軍」
ノーバスター卿が怪訝そうな顔をするが、それをまあまあと抑える。
約束してしまったのだから仕方がない。あの時は反故にする気満々だったのだが、今は不思議と相手してやってもいいと思えた。
霊光の短剣を腰の後ろに納めてから、精霊鋼の剣を構えなおす。
それを決闘開始の合図だと受け取ったのか。
剣を構えた途端に、レイブンが突っ込んできた。
爆発的な踏み込みから一気に距離を詰めて、剣を突き出す。予備動作の一切ない神速の一突き。それがまっすぐに俺の喉を狙って迫る。俺はそれを無造作に精霊鋼の剣で受けた。
きーーん、という澄んだ音。
響いた剣戟はそのただ一度だった。
甲高い音がいつの間にか晴れあがっていた空に吸い込まれていったあとで、レイブンの手にしている剣は半分の長さになっていた。
レイブンは短くなった剣をぽかんとして見つめている。その顔を、横合いから思いきり殴りつけた。
痩せすぎの身体が気持ちいいくらい吹っ飛んで、地面に転がってから動かなくなる。
今回は、一発で気を失ってくれたようだ。
昏倒しているレイブンから目を離すと、ノーバスター卿たちが唖然とした顔でこっちを見ていた。
あまりにもあっけない決着に驚いているらしい。
でもまあ、前回は指輪なしで戦ったから苦戦したわけで。魔力で強化されている今なら、たとえレイブンが万全の状態だったとしてもこんなもんだったはずだ。
ちょっとずるい気がしなくもないが。疲れているのだ。
こんな剣士の相手など真面目にしていられるか。
ま、何はともあれ。勝負あり。俺の勝ちだ。
それでは。
「レティ! 行くぞ!」
剣を鞘に納めるなり、俺はレティを呼んだ。
そして、茫然としているノーバスター卿たちを置き去りにするように走り出す。
「しょ、将軍! どこへ行くのですか!?」
「悪いな、まだ旅の途中なもんで。また今度なー!」
そう言い残して、俺は全速力で馬蹄砦を離れた。
だって、ここに留まっていたら絶対に面倒なことになるもの。
俺が大人しく言うことを聞くとでも思ったのか。
「ちょっと、ちょっと! どこ行く気なの?」
そんな俺から引き離されることもなく着いてくるレティは流石だ。
「予定通り、西に向かおう」
前回に引き続き、今回もオークどもは南から大河を渡ってきた。
エルディン卿も南で何かが起こっているらしいと言っていたし。南方王国がどうなっているか。それを確かめる必要がある。
アンヌ―レシアの西にあるムトユルグ公国は中央三ヶ国の中で唯一、南方王国と交易を行っている国だ。交易には船が使われており、その為の大きな港もあるという。
そこまで行けば、大河を渡る方法もあるだろう。
とはいえ、目的はそれだけじゃない。
ムトユルグの西端は海に面しているという。
海が見たいのだ。
どこまでも続く水の平原というものを、一度でいいから見てみたいと思っていた。
それを見に行こう。
「それは良いけど……ラキアはどうするのよ?」
奔りながら旅の目的を語る俺にレティがそう訊いた。
「おいて行く」
俺は短くそれだけを答えた。
どうにも、俺には平穏な旅というものができないらしい。
今回は結果としてどうにかなったが、今度も無事に済む保証はない。
それにこれからの旅路は少し危険かもしれない。だから、置いて行く。
レティもそのことを薄々分かっているのだろう。ラキアを置いていくといった俺にも、反論しなかった。
不思議と彼女を置いて行くという選択肢は思いつかなかった。まあ、置いて行こうとしたところで無駄だろうし。
「まあ、帰ってくればまた会えるでしょうしね」
レティの前向きな呟きに、そうだなと頷いた。
なにもこれが今生の別れというわけでもない。また今度。再開することもあるだろう。
だが、その前に。
「まずは逃げていったオークどもの残党狩りだけどな」
「はいはい。そうだと思った」
朝焼けの草原を俺たちは何処まで駆けてゆく。
新しい日の始まりに、新しい冒険が始まった。
駆け足になってしまいましたが、ルシオの冒険はひとまずこれで幕引きとなります。
お付き合いいただいた読者の方々へ、心からの感謝を。
軽い気持ちで書き始めたら楽しくなっちゃって風呂敷を広げ過ぎた感が否めませんが、予想以上に多くの方にお読みいただけ、ありがたく思っています。
今後も色々書いていきたいと思っているので、応援していただければ幸いでございます。
ありがとうございました!




