馬蹄砦の合戦 18
「なんとまぁ」
馬蹄砦を見下ろせる丘の上まで馬を進ませたリタ・クレインバースは、眼下に現れた光景に思わず呆れた声を漏らした。
ある程度の事態は予想していたが、目の前の光景は完全に彼女の理解を超えていたからだ。
夥しい数の化け物に包囲された砦はまだ分かる。
だが、どうして真夜中だというのに太陽が出ているのか。
その上、砦を守っていた騎士隊はどうやら籠城の利を捨てて打って出たようだ。誰がそんな無茶をそそのかしたのかは聞くまでもない。
見下ろす先で、リタはその人物を見つけた。
薄闇の中でも目を惹く銀髪。闇さえも切り裂くように煌々と輝く神代の宝剣を手に、彼は戦場の真ん中で黒い全身鎧を纏った巨人と対峙していた。
「これはまた……」
リタと轡を並べていたアルドもまた、彼女と同じような声を漏らしている。
北の一族であることを証明する銀髪に、貴公子然とした面立ちの彼はアンヌ―レシア王軍で将軍職にある者のみが着用を許された黒地に銀の星を散りばめたような意匠の服を着ていた。
「ローセオンから報せを聞いた時はまさかと思いましたが。あの人は本当に運が悪いというか、巡り合わせが悪すぎるというか」
せっかくあれほど出たがっていた放浪の旅に出られたというのに、どうしてこんなところで化け物の軍勢と合戦などしているのだろうかと、リタは呆れたように溜息をつく。
まあ、たとえ大陸の端にいたとしても話を聞けばすっ飛んできそうな人だから別に不思議はないのだけど。
「運が悪いというか、私には若が何かに導かれているように思えます」
やれやれと思っているリタに、アルドが言った。
「導かれている?」
誰に、と聞き返すリタに、アルドは遠くを見るような顔になる。
「ええ、まあ。大いなる意思、とでも言いましょうか。或いは神々と言い換えても間違いではないでしょう」
昔からそうでしたと、彼は続けた。
「少し散歩に出ればそれまで見つかっていなかった敵の拠点を壊滅させて帰ってくるような子供でしたから。だからこそ、私は若の旅立ちには最後まで反対だったのです。何時か、取り返しのつかない危険に巻き込まれはしないかと」
だから、一族最高の剣士になることを彼が旅立つための条件にしたのだという。
リタにとっては意外な話だったが、北の一族は別に故郷を離れることを禁じてはいないのだという。彼らには大陸中に秘密の協力者たちがいて、その支援を受けて人知れず化け物との戦いを続けていたらしい。
そういえば、リタも彼と出会う以前に王都で銀髪の人物を見かけたことがあったことを思い出す。そもそも、北の一族が荒野から出てこないのであれば、人々は彼らのことなど忘れ去っていたはずだ。それが、今もなお銀髪に対する偏見が根強く残っているのはそれだけ北の一族を目にする機会があったことの証左に他ならない。
もちろん、北の荒野を出て行った者の多くは戻らないのだという。
戦いで命を落としたのか、或いは使命を忘れてどこかへ行ってしまったのか。それは分からないが、彼に関してのみそれでは困る。
族長の血筋とはそれほど、一族にとって大切なものだった。
だから、一族の戦士全員と一騎打ちをして、これを打ち破らねば旅立ちは許さないという条件を突きつけた。
もちろん、その中にはアルド自身も含まれていた。
「いずれは抜かれると思っていましたが、あれほど早く負かされるとは予想だにしませんでしたけどね」
「それで、彼が何者かに導かれていると思うのは何故ですか」
脱線した話を元に戻す質問をしたリタに、ああ、それはと思い出したようにアルドは答えた。
「まあ、確信に変わったのは三年前ですが。若が旅立つと同時に、中央三ヶ国を襲った魔獣の大群、そして魔軍の侵攻が始まった。それを風の噂で耳にした私はようやく観念しましたよ。あの時期に若が旅立ちの課題をすべて達成したのはたまたまでした。偶然にしては出来過ぎている。神々には若に解決してもらいたい問題が山積みなのでしょう」
「なるほど。面白い話だ」
話終えたアルドの後ろから、絢爛な騎士装備を身に纏ったくすんだ金髪の壮年がやってきた。
彼に気づいたリタとアルドは慌てて首を垂れる。
豊かなひげを蓄えた口元に不敵な笑みを湛えている彼こそが、このローセオンを統治する騎士王、レイズゲル・シンダリオールであるからだ。
本来なら下馬する必要があるが、ここは戦場。略式の敬礼を送る二人に、レイズゲルはよいと片手を上げた。
「では、あれもまた神々がアルバイン将軍に解決してもらいたい問題ということかな」
黒鉄の巨人と一騎打ちを演じているルシオを一瞥した王が、アルドににやりと笑いかける。
「ならば、ここへ来た我らもまた神々に導かれたということになりましょうな」
アルドが答えるよりも先にレイズゲル王の背後でそっと口を開いたのは、騎士という金型にぴったりと嵌るような風貌をした老齢の騎士だった。
「それは良いな、サルタン候」
彼の言葉に、レイズゲル王が呵々と大笑する。
「つまり、この戦いを神々が見守っておられるというわけか。これは一層、奮闘せねばならんな」
そう言って、彼は腰に吊っている剣を引き抜いて声を張り上げる。
「ローセオンの騎士たちよ! 前へ!!」
王の号令に答えるように、丘の稜線に騎乗した騎士たちが一列に並ぶ。
馬蹄砦の苦境を知って、急遽呼び集めた精鋭五百騎。その中にはローセオンの騎士ではない顔ぶれもある。
「なんだありゃ。やけに明るいと思ってたら、夜なのに陽が出てやがるぞ」
驚いたように口を開いたのはアンヌーレシア王国近衛騎士団長のユースタス・レンベンドルフだ。〈剛剣〉という二つ名に相応しく、身の丈ほどもある大剣を背負っている。
「なにせ、神々が御覧になられているらしいですからな。夜中に太陽くらい上がるでしょう」
横から茶化すように元近衛騎士マルクロメイン伯爵が口を出した。〈鉄槍〉の二つ名が示すように、唯一無二の槍術の達人である。
「まあどうせ、将軍が何かしたのでしょう」
何でもないことのようにリタが言うと、ユースタスはなるほどと納得したように頷いた。
「陛下」
なんとも緊張感のない大戦の七英傑たちを尻目に、アルドがレイズゲルへ話しかける。
「畏れながら、あの敵は若……アルバイン将軍に任せるべきかと。我らは周囲の取り巻きを片付けることに専念いたしましょう」
「ふむ。それでよいのか」
「アレもかつては高名な戦士だったと聞いています。しかし、力を求めるあまり闇の王の配下となり、今や鎧に憑りつく悪霊と成り果てた。肉体を失ったヤツを滅ぼすには、力の源である主人を滅ぼすか、或いは神代のエルフが鍛えたという霊光の剣でもない限り、傷一つ付けることはできません」
「それではアルバイン将軍でも勝ち目などないのでは?」
「どの道、若でも勝てないのなら、我らではどうにもできません」
聞き返す王に、アルドは何処か諦めたように肩を竦めた。
「そういわれると納得してしまうのが、ルシオ・アルバインという男よな。あい、分かった。将軍が戦いやすいように、我らはオーク殲滅に注力しようぞ」
「では。私はここで後続の部隊を待ちます」
そう言ったリタにレイズゲル王が頷く。
灼眼の魔女などと大層な二つ名を賜っていても、彼女がクレインバース家の家祖より受け継いだ妖精人の力はわずかなものだ。大軍を撃滅するような大魔術はおろか、魔力を繰る暇さえない乱戦では彼女は役に立てない。
だとしても、各地で暴れまわる化け物を掃討するための支援を要請してから、たったの五日足らずで軍を動員してみせたリタの手腕はアルドやマルクロメインといった戦の玄人から見ても舌を巻くものだった。
期間限定で討伐報酬を引き上げるという案を出したのも彼女だ。そのおかげで、小規模なオークの群れは傭兵たちが狩りつくしてくれる。
彼らでは対処しきれない大規模な群れに対して戦力を集中させることが出来たからこそ、これほど早く馬蹄砦へ駆けつけることができたのだ。
「うむ。ご支援感謝する、リタ殿。セルゲイン王にもよろしくお伝えくだされ。貴国の迅速なる支援が無ければ、我が国は手遅れになっていたであろう」
「いえ。私は何も。すべてはあちらにいるアルバイン将軍のおかげです。もう一度、あの大戦が起きても戦い抜けるだけの戦力を作り上げたのは将軍ですから」
間違いなく、この戦における最大の影の功労者は彼女だ。
しかし、その賛辞から身を引いて、あくまでも上官の手柄であると口に出すリタの謙虚さにレイズゲルは好意的な笑みを浮かべて頷いた。
「では。旗手よ、角笛!」
王の号令とともに、旗手が角笛を高らかに吹き鳴らす。
それを受けて、五百騎の精鋭は一斉に丘を駆け下りた。




