馬蹄砦の合戦 2
鉄を叩きつける音がそこかしこから響き、第一の壁がガラガラと土煙を上げながら崩れ落ちてゆく。木製の門戸も瞬く間に叩き壊され、壁内にオークどもが雪崩れ込んできた。
周囲の兵たちが続々と迫りつつある化け物を前に息をのんでいる中、俺はそれを黙って見ていた。ノーバスター卿やヴェルダン卿も同じく、同様している様子は見られない。
それもそのはず。第一の壁は元から捨てるつもりだったからだ。
元々、城壁として造られた第二の壁とは違い、第一の壁は単に石を積み上げただけのものに過ぎない。拡大した居住区を囲うために築かれたものであり、合戦を想定した者ではないのだから、容易く打ち壊されて当然だ。城壁から弓の射線が確保されているからといっても、この距離では射撃の有効性にもそれほど期待できなかった。
そんなものを無理して守る意味はない。
化け物の隊列はご丁寧にも行く手にある民家を叩き壊し、田畑を荒らしながら、城壁の真下まで達した。
長い槍を持ったオークどもが、その穂先を一斉にこちらへ向ける。その隊列の後ろでは、ゴブリンどもが野次を飛ばすようにきぃきぃと甲高い声で喚き始めた。砦の周囲で一斉に魔狼どもの遠吠えが連鎖する。
威嚇のつもりだろうか。
まさに地獄の釜の底といった光景に、ちらと横に目をやるとノーバスター卿が弓を構えようとしていた兵を止めていた。
彼が率いる弓隊は元々この砦にいた守備兵の他に、臨時で雇った者の中から弓が扱える者も混じっている。浮足立った臨時兵が、命令を待てずに攻撃を開始しないように気を配る必要があった。戦というのは、主導権の奪い合いだ。先手を取るにしても、それは計画されたものでなければならない。
まあ、彼のこの努力はすぐに水泡に帰すのだが。
開戦へ向けて俄かに緊張が高まる中。敵陣の最後衛で動きがあった。
居並ぶ化け物どもの列が左右に割れて、その中央を大きな黒い全身鎧を着けた巨大な人影がまるで皇帝のような足取りで歩いている。
その背は通常の人間と比べても大柄なオークよりも、さらに倍はあるだろう。
人の形をしていながら、人にあるまじき巨体だ。
纏う全身鎧はところどころから棘のような突起が突き出しており、奇妙に捩じくれた角のようなものが付いた兜の隙間から覗く目元には、青い鬼火が灯っている。
「闇の王の最も忠実な配下、七体の悪霊の一つ。黒鉄の幽鬼、ウータヴァル」
いつの間にか隣に来ていたレティが、罵るような声でその名を口にした。
かつて、この世を暗闇に落とさんとした悪神。闇の王の陣営には竜や巨大な獣を始め、ありとあらゆる穢れた存在が集結していた。
その中でも最も闇の王に忠実であり、最も強大な力をもつとされたのが七体の悪霊たちだ。彼らは長い戦いの末、英雄たちによって数多くの闇の僕が討ち取られ、滅ぼされた後も生き残り、今なお大陸の闇に紛れて暗躍しているという。
ヤツはその一人。
黒き鉄槌の名を冠す黒鉄の幽鬼、ウータヴァル。
まあ、出てくるような気はしていた。
「二年ぶりだな」
城壁から化け物に囲まれ、傅かれている巨影を見つめながらそう呟く。
「あら、知ってたの?」
「まあな」
尋ねたレティに、肩を竦めて応じる。
そりゃ知ってるさ。
何せヤツは、二年前に中央三ヶ国を襲った魔軍の総大将だったのだから。
「貴方は死なないわよ、ルシオ」
あまり愉快ではない思い出に浸っていると、ふいにレティからそう声を掛けられた。
いきなりなんだと思って彼女を見ると、翡翠色の大きな瞳がこちらを見つめている。
「私がいるもの」
そのセリフは俺が言うべきなんじゃないかと首を捻っていると、彼女の手が襟元に伸ばされた。ぐいぐいと下に引っ張られるのは、腰を屈めろという意味だろうか。
されるがままに腰を折って視線の高さを合わせる。
レティは真顔だった。普段のお転婆さが鳴りを潜め、見れば見るほど完璧に整ったその顔の造形はどこか神聖さすら感じられる。
その唇が、ゆっくりと開いた。
〈ルシオ・アルバイン。私、レティスリリアが祝福します。私に授けられた恩寵が、わずかにでも貴方を守りますように〉
歌うようにエルフ語を口ずさんだレティはそのまま、屈んでいる俺の額に口づけした。
「じゃ、頑張りましょ」
そして顔を離した途端、それまでが嘘のように彼女は屈託なく笑う。
「ああ、うん。その、ありがとう?」
なんとなく気恥ずかしくなって、頭を掻きながら一応、礼を言っておく。
周りを見ると、みんながぽかんとしてこちらを見ている。まあ、エルフから祝福される人間なんて滅多にいないだろうしな、と思っていると。
「相変わらずですね、将軍」
どこか気の抜けた顔でノーバスター卿がため息を吐いた。
「リタ殿が可哀そうだ」
何言ってんだコイツは。




