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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第二部 サモルタ王国編
89/150

83話 寵姫の真実


レオノーレ視点


※残酷な描写、過激な表現が含まれます。

 苦手な方はブラウザバックを推奨いたします。




 日が沈みかけた夕暮れの空を寝室の窓から見上げながら、わたくしは小さく息づいた。



「寵姫って思っていたよりも大変な仕事よね。突然の来訪でも笑顔で迎えなくてはいけないし、アーダルベルト様に愛されなくてはならないんだもの。はぁ……憂鬱だわ」



 はしたなく思いつつも、わたくしは窓枠に腰掛けた。そして左手に摘まんでいるラピスラズリを、か細い夕日の光にかざす。



「シャロンは陽光にあてた空色がお気に入りだたけれど、わたくしは夕日にあてた群青色のラピスラズリが好きだわ。まるで、あの人と――導師様と見上げた夜の星空みたい」



 うっとりとラピスラズリを眺めていると、寝室に人の気配を感じた。



(女性の寝室にノックもなしに入り込むのは彼しかいないわ)


「レオノーレ」


「予定よりもお早い到着ですね、アーダルベルト様」


「里帰りを許したが、やはり其方に会えないのは辛くて来てしまった」


「わたくしも、アーダルベルト様に会えない時間を寂しく思っていましたわ」



 窓枠から降りると、わたくしは歓迎の意味も込め、いつも通り柔らかい笑みを浮かべる。

 だがアーダルベルト様は顔を強ばらせ、一歩後ろに身を引いた。



(……おかしいわね。いつもは抱きしめるか、口づけの一つでもするのに。いつも傲慢なアーダルベルト様が、子ウサギみたいに怯えるなんて)

 


 不思議に思いつつも、わたくしはアーダルベルト様との距離を縮めるように、一歩踏み出す。すると足下で、ぴちゃんっと水を踏む音がした。

 足下を見れば、白いヒールが朱に染まり汚れてしまっている。さらにヒールの中に水が入ったことで指先がぬめり、気持ちが悪い。



「あら? 申し訳ありません、アーダルベルト様。お掃除をするのを忘れていました。これでは、アーダルベルト様が不機嫌になるのも頷けますわ」



 汚れた部屋で王太子であるアーダルベルト様を迎えるなんて、不敬極まりない。わたくしは素直に頭を下げた。


 しかし、アーダルベルト様はわたくしの謝罪程度では許せなかったらしく、口をぱくぱくと魚のように閉口しかと思うと、揺れる神眼でわたくしを射貫く。



「れ、レオノーレ! どうしてダムマイヤー伯爵が死んでおるのだ……!!」


「きゃあ!」



 わたくしはアーダルベルト様の怒声に驚き、右手に持っていた肉塊を落としてしまう。

 ベチャッという音と共に床に落ちた肉塊は、ころころと楕円を描くように転がり、アーダルベルト様の足下で止まった。そして乱雑に扱ったからか、肉塊に埋め込まれていた、父親だったモノの丸い眼球がこぼれ落ちる。



「う、うぁぁああああああああああああ!」


「まあ! 何かいいことでもあったのですか、アーダルベルト様。今日は随分と機嫌が良いのですね」



 アーダルベルト様は後ろ座るように倒れると、屋敷中に聞こえるような大きな叫び声を上げた。



(懐かしいわ。昔はよく、皆でアーダルベルト様のような歓喜の声を上げたものよ)



 故郷の孤児院を思い出し、わたくしは暖かな気持ちになる。



「レオノーレ! 其方が……其方がダムマイヤー伯爵を殺したのか!」


「そうですよ。だって悪いことを考える頭と、余計なことを言う口は必要ないんですもの」



 何を言っているのだろう。

 わたくしは理解できず、キョトンとした顔でアーダルベルト様に答える。



「お前……、実の父親を……!」


「ダムマイヤー伯爵は、わたくしの父親ではありませんよ?」


「なっ……!」


「ダムマイヤー伯爵が侍女に生ませた本当の娘は、10年前にわたくしが殺しましたから、もうこの世にはいないと思います」



 導師様が運営するディアギレフ帝国の孤児院から独り立ちした後、わたくしはサモルタ王国に送られた。行き倒れそうになっていたところを、運良く王都の孤児院の修道女に拾われ、そこでダムマイヤー伯爵の娘に出会ったのだ。



 ――レオノーレは一番のともだちだから、あたしのとっておきの秘密を教えるね!



 寒さに耐えるために身を寄せ合いながら、彼女はわたくしに自分が貴族の庶子であることとを打ち明け、ダムマイヤー伯爵家の紋章が刻まれた指輪を見せてくれたのだ。



「本当に、彼女は良い子でした。でも、わたくしが伯爵令嬢になれば、導師様が喜んでくれると思って、悲しい気持ちに耐えながら冬の井戸に、彼女を突き落としたんです」



 彼女が亡くなってから、わたくしは三日三晩泣き続けた。わたくしにとっても、彼女は一番の友人だったからだ。


 その後、孤児院を支援してくれている貴族に指輪を見せたことで、ダムマイヤー伯爵がわたくしを娘として迎えに来た。それなりに整った顔立ちのわたくしを、政略結婚の道具にするためだったらしい。



 わたくしはアーダルベルト様の前でしゃがみ込み、そっと彼の青白く染まった頬に触れた。



「でも、良かった。アーダルベルト様がわたくしを見初めてくださったから……天国の彼女もきっと笑って許してくれます」


「近寄るなぁぁああ! 誰か! 私をこの狂人から助けろ!!」



 アーダルベルト様が床を這うようにして扉へと向かう。すると、アーダルベルト様が扉に触れる前に扉の廻し手が動き、若い執事が入室する。



「何かありましたか、アーダルベルト王太子殿下。レオノーレ様」


「別に何もないわ。少し、アーダルベルト様が興奮していらっしゃるみたい」


「そのようですね」



 アーダルベルト様は締め上げるように執事の足に抱きついた。



「おい、お前! 私を助けろ! お前たちの主人がレオノーレに殺されたんだぞ!」


「はて? 俺の主はただ一人。偉大なる導師様だけですよ」



 そう言うと、執事はアーダルベルト様を蹴り飛ばした。

 わたくしは急いでアーダルベルト様を抱きしめると、執事を厳しい目で見上げる。



「いくら今から殺す相手だからって、乱暴に扱ってはいけないわ。アーダルベルト様は、サモルタ王国の王太子殿下なのよ!」


「死んだら身分も何もないでしょう」


「屁理屈言わないの! わたくしに助けられた恩を忘れたの!?」



 わたくしがそう言うと、執事は舌打ちをしたが、アーダルベルト様に頭を下げた。



「大変申し訳ありませんでした、アーダルベルト王太子殿下。……これで気が済みましたか? レオノーレ姉さん」


「ええ、許すわ」



 この執事は、ディアギレフ帝国の孤児院で共に育った、血の繋がりのない兄弟だ。


 驚いたことに、わたくしがダムマイヤー伯爵令嬢になった後、路上で死にかけていた彼を見つけた。どうしても見捨てられなかったわたくしは、彼を保護してダムマイヤー伯爵家の執事として教育したのだ。


 わたくしのように運のいい者は僅かだったようで、孤児院を独り立ちした者の中には、目的を果たせず生きることすら難しい者が多い。そんな同郷の仲間をわたくしと執事は保護し、導師様の願いを叶えるため、彼らと共に行動を始めたのだ。



「私を……神に等しい私を……殺す、だと……?」



 アーダルベルト様は、信じられないとばかりに目を見開いた。

 わたくしは頬を膨らませ、アーダルベルト様に抗議の視線を送る。



「だって、アーダルベルト様が悪いのよ? 本当は、わたくしが王妃になって、裏からサモルタ王国を操ろうと思ったのに……いつまで経っても、わたくしを孕ませてくれないんですもの」



 アーダルベルト様はわたくしを見初める前には、たくさんの女が後宮に召し上げられていた。それなのに誰も懐妊しなかったのは、アーダルベルト様が子を作れない身体だったから。



「レオノーレ姉さんの言うとおり、アーダルベルト王太子殿下が不能だったのが悪いですね」


「そんな言い方しないの! アーダルベルト様だって、好きで不能な訳じゃないもの。神眼信仰故に繰り返された、近親相姦のなれの果てだもの」


「俺は不能ではない!」



 耳に心地よいことしか言わない臣下に囲まれていたからか、アーダルベルト様は自分が子を成せないことを知らなかったようだ。


 

「可哀想なアーダルベルト様。皆、知っているからこそ、リスターシャ第六王女を王に押す貴族がいるというのに」



 サモルタ王は密かにリスターシャ王女を守っていた。寵姫であるわたくしでさえ、リスターシャ王女と言葉を交わす機会すら与えられなかったのだ。



(先日の夜会で、リスターシャ王女を押す貴族は増えたでしょうし、そろそろ潮時よね。それに今なら、彼女がこの国にいる)



 ぼうっと考え事をしていると、いつの間にかアーダルベルト様がわたくしに剣を振り上げていた。



「私は神だ! ここで殺されるような人間では――がはぁっ」



 わたくしはアーダルベルト様の腕を蹴り上げて剣を奪い取ると、そのまま腹部に剣の柄を突き立てた。嘔吐くアーダルベルト様を見下ろすと、わたくしは彼が美しいと褒めてくれた笑みを浮かべる。



「また会いましょう? アーダルベルト様」



 アーダルベルト様と見つめ合いながら、彼の首へ剣を振り下ろす。最期に見たアーダルベルト様の顔は、別人のように美しく、思わずわたくしも見惚れてしまった。



「……わたくし、今になってアーダルベルト様に恋をしてしまったかもしれない」


「何を馬鹿なことを言っているんです?」


「酷いわ。わたくしは馬鹿じゃないのに」



 わたくしは剣を放り投げると、ベッドの近くに立てかけられていたキャンバスを手に取った。



「血がついちゃったわ。シャロンに謝らないとね」


「ああ、レオノーレ姉さんがえらく気に入った画家ですか。この絵に描かれているレオノーレ姉さんは、純粋で優しくて、残酷な妖精みたいで美しいです。導師様が見たら、きっとお喜びになるでしょうね」



 執事は血まみれのキャンバスを見ながら、嬉しそうに目を細めた。



「そうよね。でも、わたくしたちが生きて導師様の元へ行くのは難しいわ」


「それなら、魂となって導師様をお守りすればいい」


「名案だわ!」



 わたしは執事の手を取ると、ダンスを踊るようにくるくると回った。彼は苦笑しつつも、わたくしに付き合ってくれている。

 一頻り回ると、わたくしは弾む息を整えて、姉として威厳のある表情を浮かべた。



「さて、サモルタの王族を殺しに行きましょうか」


「それは俺がやりますよ。レオノーレ姉さんはセラディウス公爵家に彼女を迎えに行ってください。ついでに邪魔なローランズ王国の王子を殺してくれると嬉しいですね」



 執事の願ってもない提案に、わたくしは昔のように無邪気に笑った。



「そうね。エドワード・ローランズは、導師様の望みを叶えるのに邪魔だもの。ついでに、他の貴族たちも殺しましょう!」



 部屋を見渡せば、料理人、侍女、庭師など、使用人の格好をした孤児院の仲間たちが集まっていた。ああ、この仲間たちがいれば、何だってできる気がする。



 ――――だから安心して。今、迎えに行くわ、鈴蘭の君。







 


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