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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第二部 サモルタ王国編
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79話 新進気鋭の画家 前編

 ローランズ使節団には貴族だけはなく、学者や芸術家も従者として少なからず同行していた。

 その者たちはサモルタ王国との会談には直接関与せず、求められれば知識を貸し、また芸術に造詣の深いサモルタ王国との交流を図るために連れてきたのだ。


 そんな彼らの詳しい素性はサモルタ王国側に報告されておらず、エドワード様たちのように決められた予定はない。


 ローランズ王国使節団の中では比較的自由に行動でき、サモルタ側には警戒されにくい存在。そこにテオドールは目を付けた。





 午後の昼下がり。アーダルベルト王太子の寵姫レオノーレが帰省するという情報を得て、わたしはダムマイヤー伯爵邸を訪れていた。

 もちろん、ジュリアンナ・ルイスとしてじゃない。ローランズ王国使節団に同行している、弱冠十四歳少年の画家シャロンとしてだ。



「お綺麗ですよ、お嬢様」


「うふふ、ありがとう」



 そう言って、椅子に座るレオノーレは穏やかに微笑んだ。

 木漏れ日に照らされる彼女の栗色の髪は透き通り、トパーズのように輝いている。絶世の美女という訳ではないが、レオノーレの優しげな顔立ちと合わさり、とても魅力的な女性に見えた。


 わたしはほのかに頬を朱に染めながら、コンテを使い、レオノーレをキャンバスに描いていく。



「シャロンは本当に綺麗な男の子ね」


「やめてくださいよ、お嬢様。ボクは可愛いじゃなくて格好いいって言われたいです」


「あらあら、子どもね」



 ころころと笑うレオノーレを見ながら、わたしは内心で冷や汗をかいた。



(レオノーレと会ったのは、初日だけ。それに短時間だけよ。瞳の色も変えているし、顔に化粧を施しているから、顔立ちも違ったものになっているし、見破られることはないはず)



 わたしはそっと頬に描かれたソバカスをなぞった。



「シャロンに家族はいるの?」


「父と弟がいます」



 絵のモデルは動くことが出来ず退屈だ。シャロンは平民ではあるが、退屈を紛らわせるため、こうして貴族のレオノーレと会話することも不自然ではない。

 そのため、部屋に控えているダムマイヤー伯爵家の侍女もわたしを咎めることはない。



(本当に絵の勉強をしていて良かったわ。こうやって、画家を演じることができるんですもの)



 貴族令嬢の手習いとして絵を描くことは珍しくない。しかし、わたしは手習いでは済ませず、ルイス侯爵家お抱えの画家の師事を受け、本気でその技術を会得した。


 いつか役に立つかもしれない。

 その一心で、えり好みせず、わたしはなんでも貪欲に学んできたのだ。



「シャロンは兄さんなのね。お父様と弟さんは何をしているの?」


「今はとっても忙しい時期なので、父は泊まり込みで仕事をしています。弟は風邪を引いた親戚の看病をしていると思います」


「頼りになるお父様と優しい弟さんね」


「ええ。ボクの自慢の家族なんです」



 そう言ってわたしはレオノーレに微笑んだ。



(……まあ、嘘は吐いていないわ)



 今頃、父は宰相としてエドワード様たちがいない穴を埋めるべく働いているだろう。そしてヴィンセントはエドワード様に同行せず、風邪で寝込んでいる設定のジュリアンナを看病しつつ、セラディウス公爵家の使用人たちに探りをいれる手筈となっている。



(……持って、数日でしょうけど)



 わたしに与えられた客室に、セラディウス公爵家の使用人が入らないようマリーが見張っている。しかしそれも長くは続かない。

 

 わたしとヴィンセントに与えられた情報収集の時間は数日のみ。それを活かせるかどうかは、わたしたちの働きにかかっている。



(やっぱり、わたしにはこの方が性に合っているわ)



 政治に直接関わることができない侯爵令嬢という立場だが、わたしはエドワード様たちと同じようにローランズ王国のために動きたいのだ。



「お嬢様のご家族はどういった方なんですか?」



 わたしはキャンパスに視線を落としながら、さりげなくレオノーレの胸の内を探る。



「そうねぇ。わたくしは正妻の子ではなくてね、生まれて間もない頃に孤児院に預けられたの。そこでは、たくさんの兄弟たちがいたわ。十歳の時に、お父様に引き取られて、伯爵令嬢となったの。今は会えないけれど、孤児院の兄弟たちも大切だし、お父様だって、わたくしに優しくしてくれて……とっても幸せだわ」

 

「素敵な家族ですね」


「ええ、とってもね。彼らがいたから、わたくしはアーダルベルト様と出会えたのよ」



 そう言うと、レオノーレは艶のある笑みを見せた。



「お嬢様は王太子殿下にも愛されているんですね。何せ、お嬢様以外の後宮にいた令嬢たちを降嫁させるくらいですから」


「あら? シャロンも知っていたの?」


「知っていますよ! サモルタ王国の恋物語として有名ですからね」



 アーダルベルト王太子は現在、レオノーレ以外の令嬢を後宮に置いていないことは確認済みだ。そして、アーダルベルト王太子とレオノーレの恋物語は、王家への支持を集めるための道具となっていた。



「ふふっ、そうね。でも、わたくしはただの寵姫でしかないわ。サモルタではね、後宮の主の子を産んだ女しか、妃を名乗ることができないのよ。だからわたくしは、あの人の子どもが欲しいの」



 レオノーレは相変わらず、穏やかに微笑んでいる。しかし、何故だろう。わたしの肌は粟立ち、背筋がすぅっと寒くなる。



(……この感覚は……何……?)



 わたしは疑問に思いつつも、違和感の正体がつかめない。とりあえず、画家のシャロンとしてレオノーレに答えようとすると、唐突に部屋の扉が開け放たれた。

 そして現れたのは、この屋敷の主。実質的、この国の政治を取り仕切っているダムマイヤー伯爵だった。



「おお、レオノーレ! 帰っていたか」


「お父様! もう、ローランズの皆様との会談はよいのですか?」



 レオノーレは椅子から立ち上がり、小走りでダムマイヤー伯爵の元へと駆け寄った。その姿は父を慕う娘そのものだ。



「話し合いは平行線でな。殿下も今日は機嫌が特に悪かったのでな、早めに切り上げた。本当に、ローランズの第二王子たちは手強い――っと、ローランズの客人の前でする話ではなかったな」



 そう言って意味ありげにダムマイヤー伯爵はわたしを見た。

 わたしはすっと立ち上がると、ダムマイヤー伯爵に深々と頭を下げる。



「ローランズ王国で画家をしております、シャロンと申します」


「ふむ。シャロン殿はあのエドワード第二王子が直々に呼び寄せた画家だと聞いておる。そんな其方に愛娘の肖像を描いてもらえるなど、光栄だの」



 そう言いながら、ダムマイヤー伯爵は、わたしを上から下までじっくりと見た。

 わたしは嫌な顔一つせず少年らしく無邪気に笑う。



「ありがとうございます。こちらこそ、レオノーレお嬢様のような美しい方の肖像画を描けるなんて、光栄に極みです」


「なかなか良い若者だな。……レオノーレ、後は頼んだぞ?」


「ええ、分かっておりますわ。お父様」



 ダムマイヤー伯爵はレオノーレに目配せをすると、部屋に控えていた侍女と共に部屋を出て行った。部屋の中には、レオノーレとわたしのふたりだけになってしまう。



(い、いくらなんでも、おかしいわ! どうして王太子の寵姫と少年とはいえ男性と二人きりにするの? もしかして、罠に嵌められたのは……わたし……?)



 わたしの困惑を裏付けるように、微笑んだレオノーレがゆっくりとわたしへと近づいてくる。そして目と鼻の先にまで、彼女の顔が近づくと、わたしは後ろに大きく一歩後退した。

 するとその隙を見逃さず、レオノーレはわたしを突き飛ばした――――



「うふふ。可愛いわね」



 ど う し て わ た し が 女 性 に 押 し 倒 さ れ て い る の よ !?



 妖艶に笑うレオノーレを見上げながら、わたしは訳の分からない状況に耐えきれず、内心で叫んだ。


 わたしはレオノーレによってソファーの上に縫い付けられている。腕は彼女によって拘束され、足もレオノーレがのし掛かっていることで動かない。

 その絶妙な拘束の仕方に、わたしはレオノーレがただの寵姫ではないことを悟った。



「や、やめてください、お嬢様……!」



 わたしは抵抗するが、レオノーレはのし掛かったままだ。

 彼女は首をかしげると、おもむろにわたしの手首を撫で回す。



「あらあら、これは……」



 レオノーレはわたしの上着に手を入れると、胸を潰すためにつけたさらしの結び目を解き放った。



「い、嫌っ……!」



 突然の開放感に焦り、わたしは咄嗟に女性の声を出してしまう。

 するとレオノーレは目を瞬かせた。



「シャロン……あなた……女性だったの……?」



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