68話 歓迎会 後編
エドワード様と別れたわたしは、ホール内をぐるりと見渡す。
さて、どこから情報収集をしましょうか?
一人になったわたしに話しかけたいと思っているサモルタ貴族は、老若男女いるようだ。しかし、中々わたしへ話しかけようとする者はいない。皆、恐れ多いという感じである。
わたしの身分は第二王子の婚約者とはいえ、侯爵令嬢だ。今行われているのは、王族主催の歓迎会。わたしよりも身分の高い者もそう珍しくはないだろう。それなのにこの扱い。神眼持ちというのは、サモルタ王国で特別な存在――まさに神のように崇高な存在なのだと嫌でも認識させられる。
……男性貴族はエドワード様たちに任せればよいかしら? あまり、婚約者のいる身で若い男性と話すのはよくないもの。どんな噂を流されるか分からないし。令嬢や夫人あたりが無難ね。
そう思い、高位令嬢たちだと予想を立てた集団の元へ近づこうとわたしは歩き出した。しかし、途中でやけに心配そうな瞳でリスターシャ王女を遠くから見守る老紳士を見つけた。壁に隠れるように佇んでいて、老紳士の存在に気づいている人はいない。
わたしは彼が気になり、逃げられないようにさりなく近づいた。
「こんばんは。わたしはローランズ使節団のジュリアンナ・ルイスと申します。今、お話よろしいですか?」
「おや。こんな老いぼれに主役が何かようですかな。私は、ブローベル侯爵位を持つただの老人ですぞ」
ブローベル侯爵と言えば、美術準備室でリスターシャ王女が名前を出した貴族よね?
「ご謙遜を。リスターシャ王女殿下はとても嬉しそうにあなたの名を出していましたよ。美術品の知識を教授してくださったのは、ブローベル侯爵だと」
「おやおや。リスターシャ王女が私の名を出したのですか。他国の者に必要以上の情報を与えてはいけないと教えたのですがな」
「侯爵はリスターシャ王女と親しいのですね」
「ふぉっふぉっ。それにしても、ジュリアンナ姫はジュリエット王女殿下に似ていませんな。ですが、曾孫のリリアンヌ姫のほうは、王女殿下によく似ていらっしゃる……」
ブローベル侯爵が目を細めながら、懐かしいそうに離れた場所にいるリリアンヌを見ている。話しをずらされたのは分かったが、わたしはそのまま侯爵へ問いかける。
「ジュリエット御婆様をご存じなのですか?」
「もちろん。と言っても、お話はしたことなどありませぬ。幼き頃、一度だけ王宮で拝見いたしました。まあ……初恋というものですぞ。とても綺麗で幻のように儚い姿に憧れたのです。いつかあの方を籠の鳥から御救いするのだと、剣を握ったこともございました。結果は、ジュリアンナ姫の祖父が堂々とこの国から奪ったわけですがな。ふぉっふぉっ」
軽快に笑うブローベル侯爵に、わたしは微笑む。
「わたしの母が小さい頃にジュリエット御婆様は亡くなりました。ですが、御婆様の息子である現オルコット公爵は、いつも笑顔の絶えない人だったと言っていました。オルコット公爵家にあるジュリエット御婆様の肖像画は、どれも向日葵のように明るい笑顔です。……とても幸せな人生であった。わたしはそう思っております」
「……よかったですな。ああ、本当によかったですぞ……」
神眼持ちではなかったジュリエット御婆様のサモルタでの待遇は決して良くなかっただろう。貴族に降嫁するか、後宮に入るか、それしか選択肢は用意されず、満足に王族としての扱いは受けてこなかっただろうから。
それでも、こうやってジュリエット御婆様を案じてくれていた人がサモルタ王国にいて良かった。
「ジュリアンナ姫。この国をどう思われますかな?」
「どう……とは?」
先ほどまで涙を浮かべていた表情とは打って変わり、ブローベル侯爵は貴族らしく、探るような……見極めるような目でわたしを見る。
「ローランズ王国で育ち神眼を持つ貴女ならば、この国の異常さがよくお分りになるでしょう。アーダルベルト王太子もまた、被害者ですぞ。神眼持ちではなかった王族の母親から、洗脳のような教育を受け、虚栄の中に恐怖を抱いております。そして、目を逸らし逃げてしまった」
「逃げることを許されるのも辛いでしょうね。ですが、理解せねばなりません。自分に流れる血と生まれの役割と制約を。必ず身勝手な振る舞いで犠牲になる人が出るということを。……理解して、それでも逃げることを選択するのならば、それでいいのです」
「理解すれば逃げてもよろしいのですかな?」
「ええ。それは自分の行動の果ての結果まで見極めてのことでしょう? そうなれば、周りの者も覚悟を持った対応が出来ます。それが分からないほど、幼くはないでしょう」
ブローベル侯爵は愉快に笑う。
「おやおや。甘いようで、とても厳しいお方なのですな、ジュリアンナ姫は」
「ブローベル侯爵は、意外と意地悪ですね」
「ええ、私は意地悪ですぞ。私は愛国者ですからな」
「それで、リスターシャ王女殿下に教育を?」
わたしは話を戻すと、挑発するようにブローベル侯爵を見た。
「まあ、現王太子に不満があるの事実ですな」
「あら。こんな場所でそのような発言をしてもよろしいのですか?」
「構いますまい。幸いにもジュリアンナ姫のおかげで、あれほど聞き耳が好きな貴族共が寄りつきませぬ。それにお互いに口の動きを読み取らせないようにしておりますからな」
……ふーん。やっぱり意図してのことなのね。
ブローベル侯爵は、貴族たちに見えない角度で上手く話している。わたしは貴族令嬢らしく扇を使い、口元をさりげなく隠していた。間違いない、ブローベル侯爵は国の中枢に深く食い込んでいた貴族だ。ダムマイヤー伯爵の台頭している今は、目立ったことはしていないようだが。
「私は古美術と書庫の管理をしておるのですが、ある日職場に、ボロボロの服を着た白髪に紅と紫の瞳を持った子どもが現れたのです。それがリスターシャ王女でした。母親が侍女出身のためか、後宮で酷く虐められていたようで」
……格好の感情の捌け口だったでしょうね。後宮は精神的負担の大きい場所だもの。
「その時、既に兄のアーダルベルト王太子は、王族としての才覚はおろか、支配者階級にあるまじき振る舞いでございました。しかし、神眼持ちだからと許されておりましたな。他の王子王女で神眼持ちなのはリスターシャ王女だけ。たとえ片目だあろうと王になる資格は十二分にありましょう」
「それで、王族の教育を施したと?」
「最初は。しかし、歳を取るものではありませぬな。いつの間にか、実の孫以上に……リスターシャ王女の幸せを願うようになりました」
やはり、ブローベル侯爵のリスターシャ王女を見つめる目は優しい。
だが、わたしへこの話をしている時点で、貴族らしく狡猾なことに変わりない。
「実は、リスターシャ王女が公の場で王族の仕事をしたのは今日が初めてですぞ。いつもはアーダルベルト王太子の役割ですからな。しかし、歓迎会をアーダルベルト王太子が拒否したため、王女が今日の主催者となられた」
「そして漸く自国の貴族たちとローランズ王国の次代たちとの面識を得た。しかも、そこには神眼をもったローランズ王国の次期王太子妃もいる。……リスターシャ王女は、まだ頼りない部分もあるけれど、王族教育はされているし、なにより勤勉でよく他人の話を聞く人です。まともな貴族だったら、リスターシャ王女を支持するでしょうね。これはブローベル侯爵のシナリオ通りかしら?」
「さて、私はただの国政とは関係のない、下っ端役人ですからな。ふぉっふぉっ」
……老獪な狸が。
わたしたちはブローベル侯爵のシナリオ通りに利用された訳だ。わたしがアーダルベルト王太子に不快感を持って、リスターシャ王女に味方するところまで読まれて。初恋の人の子孫だからか知らないが、最初から、わたしが崇拝の念を向けられて調子に乗る愚か者ではないことまで計算に入れていたに違いない。
「では、ブローベル侯爵はリスターシャ王女殿下が王となるのを望むと」
わたしが問うと、ブローベル侯爵は口角を上げた。
「無論。しかし、そう簡単に行くことではありますまい」
「ダムマイヤー伯爵ですか?」
「それだけではありませぬ。第三の王族を押す者が、かなり高位におりますからな」
……第三の王族? 王位継承権のある王族は、アーダルベルト王太子とリスターシャ王女だけのはず。まだ隠された神眼の王族がいると?それとも、神眼を持たない誰かが王になれる影響力を持っている?いいえ、それはないわ。だとしたら、ダムマイヤー伯爵が回りくどくアーダルベルト王太子を押す必要はない。
ちらりとブローベル侯爵を見れば、思案するわたしを面白そうに見ている。
……教える気はないのね。まあ、当然か。
「中途半端にわたしへと情報を与えるのもまた、侯爵の脚本のうちですか?」
「親切心からの助言ですぞ。おそらく、私などよりもジュリアンナ姫を利用する気でしょうからな」
「まあ! 容易く利用できると思っているのでしたら、好都合ですわ」
「思っていた通り、ジュリアンナ姫はお転婆でいらっしゃる。そしてあの第二王子もまた。良きパートナーに巡り合いましたな。隣国がしっかりしていることは、喜ばしいことですな。侵略国ではなければの話ですが」
ブローベル侯爵に情報を得るため、ある程度メッキを剥がしたわたしは別として、エドワード様の腹黒ぶりを見抜くなんて、さすがは古参の貴族ね。
「そうですね。……では、ブローベル侯爵。失礼いたします」
わたしはブローベル侯爵と別れて、今度こそサモルタの令嬢たちの元へと向かった。
そして歓迎会の夜は更けていく――――
♢
サモルタ王国王宮から馬車で1時間もかからないうちに、滞在先のセラディス公爵家に到着した。既に荷物は運びこまれているようで、ローランズ王国からついてきた侍女たちが待っていた。
夜も遅いことから、公爵家の面々との挨拶は明日に持ち越され、わたしたちはそれぞれの部屋へと案内される。
「姉さん!」
「あら、どうしたのヴィー」
首を傾げるわたしに、ヴィンセントが眉を顰めた。
「……どうしたのじゃないよ。その顔――」
「急ぎの用ではないのなら、明日にしましょう。ヴィーのいう通り、どうやら疲れが顔に出ているみたいだもの。では、またね」
強引にヴィンセントととの会話を終わらせたわたしは、そのまま振り返らずまっすぐ自分の部屋へと向かった。
「湯あみはいかがなさいますか?」
わたしの後ろに控えるマリーはいつも通りにわたしへ問う。
「一時間後に。それまで、絶対に部屋へ人を入れないで。決して……誰も」
「かしこまりました」
割り当てられた部屋に入る。中央に置かれた天蓋付きのベッドにわたしはゆっくりと腰掛け、そして枕を叩き始めた。
「うぁぁああああ! もう、なんなのアレ! 崇拝とか気持ち悪い! わたしはどう見たって神様じゃない、人間よ!」
さすがに羽が飛び散るほど強く叩かないが、それでも、枕は見事にへこんでしまった。それを見て気分が萎えたわたしは、枕を抱きしめてベッドに倒れ込む。
サモルタ貴族たちが向けるわたしへの崇拝の念。それが気持ち悪くて仕方なかった。令嬢たちと話しても、すべて肯定され、素晴らしいと無条件に持ち上げられ。「神眼を持ったジュリアンナ様は神に愛された天上のお方」ときた。きっとわたしが何を言っても、肯定されるのだろう。
「もしも、わたしが……この目を抉ったら、あの人たちはどういう態度をとるのかしら?」
自分が言っておいてなんだが、きっと手のひらを返したようにわたしを蔑むのだろう。神眼を持たぬわたしなど、あの人たちにとって、無価値なものでしかない。
すべてが肯定される世界。しかし、それは優しいものなんかじゃない。いつ失ってもおかしくはない、脆い砂の城。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……!
わたしは、あの人たちの目が恐ろしくてしょうがない。わたしを見ているようで、見ていない。誰もわたし――ジュリアンナ個人を認識などしていなかった。
誰も、わたしを見てくれない……!
もしも、わたしがこの国で生まれていたら?
そしてこれから、この国で暮らすことになったら……?
「……そんなの、いや」
自分で自分を抱きしめ、恐怖で震える身体を押さえつける。
震えが止まった頃。わたしは右手に輝く指輪をサイドテーブルのキャンドルで照らした。光に合わせて、ダイヤモンドが橙色に反射する。
「……エドワード様が――皆が求めているのは、強いジュリアンナよ。だから強くなくてはいけないの。弱い令嬢なんて必要とされないわ。役目を果たすの…………でも、今は……一時間だけ」
わたしは身体を丸くすると、右手を抱き込み強く握った。
アリアン有志作家による新年短編企画に参加しました。
作者マイページか、目次の上にある「侯爵令嬢シリーズ」から飛べます。
「真珠の輝く木下で」というタイトルです。
本編よりラブコメ要素のある内容となっています。
よろしければ、お暇な時間にどうぞ。




