41話 自己満足の愚行
39話続き。
主人公視点に戻ります。
狭い牢屋の中に、わたしとマーサと男3人ね。
最悪の状況下ではあるけれど、牢の鍵が開き、そして相手は興奮して冷静ではない。
……何より、紅焔の狼がいない。ある意味チャンスね。
わたしは、冷静に目の前の男たちを睨みつける。
暴れるにしても、手枷が着いた状態では、押さえつけられる可能性もある。
さて、どうしたものか。決定的な隙が欲しいところだけど。
「大人しくしてろよ」
男の1人が、わたしの修道服へと手を伸ばす。
ふと、視界に鮮やかな緑色が映る。
それが瓶に入った液体だと認識したわたしは、咄嗟に息を止めて顔を背ける。
わたしに視線を向けている男たちとマーサは瓶の存在に気づかない。
――パリンッ
瓶が割れた音がした後、しばらくするとドサリと人の倒れる音がした。
恐る恐る割れた瓶を見ると、液体は既に蒸発しており、牢の中は僅かに刺激臭がした。
マーサたちは、全員気絶していた。
麻痺や睡眠薬の類かしら? 頭が少し……クラクラするわね。
「ご無事ですか、ジュリアンナ様!!」
現れたのは、わたしを裏切り者と罵ったモニカと、知らない青年だった。
「モニカ……来てくれたの?」
「はい。私は、ジュリアンナ様の共犯者ですから」
わたしは、その言葉を聞いて弱弱しく微笑む。
「モニカが裏切り者と言った時、確かにそうだと思ったのです。わたしは、共犯関係の貴女に、たくさん隠し事をしていますから」
「……私も、隠し事ぐらいあります。ですから、気にしないで下さい。裏切り者なんて言ってごめんなさい」
あの状況下で、モニカがわたしに出来ることは、わたしと関係がないと主張する事だけだった。
わたしがモニカに腹を立てることなんて、一つもない。
「許します。ですから、わたしのことも許してね?」
「はい。私も許します」
笑い合うわたしたちに、気まずそうにモニカと一緒にいた青年が話しかけてきた。
「あの……すんません」
青年の体系はヒョロリとしていて背が高く、武芸を嗜んでいるようには見えない。
「この男はジャン――元アントルーネ男爵家使用人です。王都教会にアントルーネ男爵家が襲撃された際の生き残りです」
「ああ、モニカの恋人で薬師の彼ね」
「恋人ではありません!!」
顔を紅潮させながら必死に否定するモニカ。
そしてその言葉に落ち込むジャン。どう見ても相思相愛だ。
……微笑ましいわね。
そう思って二人を見ていると、モニカの後に黒い影が現れる――気絶していたはずの男が一人、起き上がってモニカを人質にしようとしていた。
薬の効きが悪かったようね。
「きゃっ」
「汚らしい手で、モニカに触らないでくれるかしらっ」
男の足をはらい、バランスを崩させる。そして間髪入れずに顔面に蹴りを叩きこむ。
「ごふぅっ」
男に馬乗りになり、靴底に隠していた小型のナイフを首へ突き立てる。
両手に手枷を嵌めたままだが、男一人押さえつけるぐらいは簡単だ。
「積極的な女でごめんなさい」
笑顔で言うと、男が顔を青くさせて震えあがった。
顔はわたしの蹴りを受けたことで歪んでおり、酷い有様だ。
「やめ……マーサが勝手に……オレは悪く……」
「黙れ」
わたしは男の喉元を浅く切り付ける。
傷口からは血が滲み出て、男の首を伝っていく。
その感覚に、傷口は見えなくとも、急所が出血しているのが分かったのか、男の顔は、恐怖の色を濃くしていく。
わたしはニヤリと笑いながら男を脅す。
「わたしの質問に答えないなら貴方を殺す。嘘を言っても貴方を殺す。でも素直に答えてくれたら……見逃してあげる。ちなみに、わたしには嘘は通じない。それで、貴方はどうするの?」
「言います、嘘偽りなく! だから、殺すのは……」
思いのほか、簡単に裏切ったわね。まあ、利用させてもらうだけだけど。
「モニカ、私が牢に閉じ込められてから、どのくらい時間が経過したのかしら」
「1日半ですね」
「そうなると、今日はサバトの開催日ね。それで質問だけど、この牢に人が来る予定はあるかしら?」
「今日はもう、誰も来るなと、ま、マーサが……」
「そう。わたしで楽しむつもりだったものね」
暗に強姦するつもりだったでしょう?と告げると、男の顔色は青を通り越して黒になってきた。
わたしは気にせず質問を続ける。
「手枷の鍵はどこ?」
「牢の出入り口近くにある看守部屋に……」
と言う事は、手枷もそこにある可能性が高いわね。
「ジャン。念のために拘束するから、手枷と足枷をまとめて持ってきて。わたしの手枷の鍵も忘れずにね」
「りょ、了解っす!」
脅えた様子でジャンは牢を出て行った。
初対面で、成人男性に馬乗りになって脅している様子を見れば……脅えるのは当然ね。
でもエドワード様ならば、逆に喜びそうね……。
エドワード様は、もう王都教会に来ているかしら?
もしも来ているのなら……お父様がわたしにさせたかったことは、きっと――
「ぐあっ」
「抵抗しようなんて、浅はかな考えを持つな。殺すわよ」
考え事をしているわたしの隙をつこうと、男が身を捩ったが、頬を切り付ける事で、それを強制的に止めさせた。
「これが一番重要な質問なのだけど……この牢には、わたし以外に男が一人囚われているはずだわ。それについて知っている?」
「ひいっ、一週間前、男が捕まったのなら、知ってる!!」
「その男は、生きているの?」
「わから、な、お願いだ、殺すのは、やめ――」
男の腹部にナイフの柄を叩きつけ、強制的に気絶させる。
わたしが馬乗りの体勢から立ち上がると、丁度、ジャンが大きな木箱を抱えて戻って来た。
「お待たせしましたっ!」
「ジャン、この人達を拘束してくれる? モニカは、わたしの手枷の鍵を外して」
「了解っす!」
「かしこまりました」
手枷を外すと、手首が赤黒く鬱血していた。
出血は……止まっているようね。
見た目は痛々しいけれど、それほど痛みはないわ。
ついでに紅焔の狼に蹴られた背中の怪我の具合を確認するが、骨には異常が無さそうだった。
問題なく動ける事に安堵していると、モニカが怪訝な顔で問いかけてきた。
「私たち、必要なかったんじゃないですか?」
「そんな事はないわ。とても……助かったわ。感謝しています」
マーサたち以外にも誰かが傍に控えているかもしれなかったのだ。
たとえマーサたちを倒したとしても、応援を呼ばれたら分が悪い。
マーサは否定していたが、もしも紅焔の狼が来たら……そこでわたしは死んでいただろう。
だから、もしもを考えて捨て身の攻撃をしかけるのは得策ではなかった。
モニカたちが此処に来た事で、心配がなくなり大胆な行動に移れたのだ。
「終わったっす!」
マーサたちは、きっちり手枷と足枷を嵌めていた。
ご丁寧に口も塞がれているわね……。
「ありがとう、ジャン」
「お礼なんて、とんでもないっす。それよりも、ジュリアンナ様の手当を……」
「手当はいりません。わたしよりも優先すべき人がいますから」
「優先すべき人とは……?」
モニカの質問に微笑みで答え、マーサの脇に落ちていた鍵束を拾う。
そしてわたしは、モニカたちを連れて牢から出た。
「行きましょう。わたしが愚かな行動をしてまで救いたかった、可哀相な騎士の元へ」
♢
コツコツと牢の中に、わたしたちの足音が響く。
わたしの収監されていた牢よりも奥深くに彼は居た。
鉄の鎖で雁字搦めにされ、身動きが取れないように拘束されていた。
元は上等であっただろう彼の服は、所々破れてボロボロだった。
破れた場所から覗く彼の肌は、鞭を打ちつけられたのか、赤黒い線が無数にあった。
死んでいるのかと思ったが、僅かに肩が上下し浅く呼吸をしているのを見て、わたしは安堵の溜息を吐く。
「これは……」
「酷いっすね」
モニカとジャンが彼の悲惨な状態に眉を顰める。
「モニカ、鍵を開けてくれる?」
鍵束をモニカに渡す。
「は、はいっ」
モニカが焦りつつも、牢の鍵を開けた。
わたしは彼に近づく。
すると彼は本職は騎士だからか、わたしの気配に気づき僅かに片目を開けた。
顔も殴られたようで、片目しか開けられない状態のようだった。
「……いつもの、拷問担当者とは違うな。アンタは、俺を迎えに来た天使か……?」
「違うわ」
「なら、妹一人守れなかった俺を殺しに来た死神か」
「小さな命が失われるのを見ている事しか出来ず、罪滅ぼしにただの自己満足の愚行を犯した……わたしは、だだの愚かな人間よ」
「アンタは……」
「貴方が生きていてくれて良かった。アルフレッド・マーシャル」
わたしは、そっと彼――生贄の少女ニーナの兄、アルフレッドの頬に手をあてた。




