37話 毒花は笑う
騎士団授与式の次の日、王都ほど近くにあるマクミラン公爵家邸には、ローランズ王国第一王子ダグラスが訪れていた。
ダグラス王子と言えば、先日マクミラン公爵家の一人娘であるイザベラと婚約した事が社交界で騒がれている。
しかし、ダグラス王子とイザベラの間に愛情などない。
本人たちの意思を無視した完全な政略結婚だった。
故に、ダグラス王子は、愛しの婚約者に会いに来た訳ではない。
彼が来た目的は一つ、この婚約を解消するためだ。
「マクミラン公爵、イザベラとの婚約を解消して欲しい」
「それは無理な話です。この婚約は元々、ビアンカ側妃が持ち込んだ婚約。いくら公爵家とはいえ、王族より持ちかけられた婚約を私の一存で解消する事は出来ない。婚約を解消するのならば、先に御母上であるビアンカ側妃を説得して下さい」
「それは……」
ビアンカ側妃は王族とはいえ、実家はほとんど権力を持たない子爵家。
過去に国庫を食い潰す勢いで贅沢三昧をして、国王から見放され『傲慢な寵姫』と呼ばれている存在だ。
何一つこの国に貢献をしておらず、権力など無いに等しい。
そして権力と金銭に人一倍執着しているビアンカ側妃は、大金が流れ込み自分の息子を王に出来る可能性がある、イザベラとダグラスの婚約を解消しようなどとは絶対に思わないだろう。
マクミラン公爵は、婚約解消などさせるつもりは毛頭ないのだ。
「話は以上でしょうか? これから王都教会支援者との会談が控えていますので」
「支援者……免罪符か。最近は免罪符を買わなければ女神ルーウェルから天罰を受けると触れ回っているらしいな」
「平民は無知なものが多い。聖職者が白と言えば、黒も白になるのです。おかげで売り上げは上々。ビアンカ側妃と殿下の元にも直ぐに恩恵がいくかと」
「……いささかやり過ぎではないか?」
「王になるためならば、何でも利用すると言ったのは殿下です。それをお忘れですか。清廉潔白の王など存在しない。汚れた部分をどう扱うかで王の資質が見えてくるのですから、これぐらいでやり過ぎと言ったら王になるなど夢のまた夢ですよ」
「……忘れていない」
ダグラス王子の受け答えに、マクミラン公爵は満足そうに笑みを深める。
醜い母親と優秀な弟のせいで精神を歪ませていた少年だったダグラス王子に、マクミラン公爵は用意周到に近づいた。
そして『貴方は王になる器だ』と、当時ダグラス王子が一番欲しい言葉を与え、信用を得て、王都教会の支援者――ひいては教会派の旗頭にしたのだ。
青年と呼ばれ、精神の落ち着いたダグラス王子は薄々王都教会のやり方が良くないのは知っていたが、それでもマクミラン公爵と手は切れなかった。
「それは良かった。契約を破る事になりますから。殿下についた貴族たちのためにも、頑張ってもらわなくてはならない。貴方は此の国の王になるのですから」
「ああ」
マクミラン公爵は、少年だったダグラス王子に、契約書に署名をさせていた。
それにより、免罪符の販売などはダグラス王子が主導と言う事に表向きなっている。
故に、王都教会ひいてはマクミラン公爵に何かあった時には、ダグラス王子も道連れなのだ。
またマクミラン公爵は、免罪符で得た利益の多くはダグラス王子に流していた。
そう、ダグラス王子が免罪符の恩恵を得ているのは、紛れもない事実なのだ。
尤も、王都教会でサバトが行われていると知ったのならば、ダグラス王子は保身など考えずに国王に進言しただろうが……マクミラン公爵はダグラス王子の性格を考慮した上で、サバトについてはビアンカ側妃に口止めをし、その一切をダグラス王子に隠している。
「殿下、金も人脈も十分に手に入りました。エドワード殿下を引きずり降ろし、貴方が次期王となるのも時間の問題かと。良き王になって下さい」
「……分かっている」
「では近い内に実行に移しましょう。人員についてはこちらから追って連絡いたします」
「よろしく頼む、マクミラン公爵。 それで、先程の婚約の話だが……母上を説得すれば……本当に婚約を解消するのか?」
「ええ。そして王になった暁には、殿下の望む娘を妃にいたしましょう」
マクミラン公爵は、ダグラス王子がジュリアンナに熱い視線を送るのを知っていた。
(お前のような若造にはジュリアンナは過ぎた娘だ。精々、傀儡の王として役に立ってもらおう)
「その言葉、忘れるな。 今日は急に押しかけてすまなかった、マクミラン公爵」
「いえ、お気になさらず。殿下ならばいつでも歓迎いたします」
「では、失礼する」
ダグラス殿下が馬車に乗り、帰るのを見送ったマクミラン公爵の浮かべる表情は嘲りだった。
「いつまでも良き道化でいてもらおうか、穢れた血の王子」
「王子にそんな言い方をしてはダメだろう? 誰が聞いているか判らないのだから」
人知れず呟いたマクミラン公爵の独り言に、色気の含む女が背後から声をかける。
喪服を着て、黒のベールを被る妖艶な美女がそこにいた。
「カルディア……来ていたのか」
そこにいたのは、若干20歳の未亡人で、王都教会の支援者であるカルディア・レミントン前男爵夫人だった。
「おやおや、其方から呼び出しておいて酷い言いぐさだね? 此方へ伺ったら、今話題の第一王子が来ているというじゃないか。邪魔をしないように大人しく待っていたんだ」
「すまない。直ぐに部屋を用意させよう」
「よろしく頼むよ」
使用人に急いで部屋を用意させ、マクミラン公爵とカルディアは会談する。
「意外と荒れていないのだね、公爵」
「荒れる、とは?」
「ふふ。ルイス侯爵令嬢とエドワード第二王子が相思相愛だという噂を耳にしたからね。楽しみにしていたんだ」
「悪趣味な女だな」
マクミラン公爵は、辛辣に言い放つ。
短い付き合いだが、マクミラン公爵はカルディアに変な気遣いは無用だと理解していた。
「なんだ、つまらない。何故お前がルイス侯爵家令嬢を私が欲している事を知っている!とか言わないのかい?」
「今更お前が何を知っていようと驚かない」
カルディアは、資金だけでなく貴重な情報もマクミラン公爵に提供していた。
その情報は、くだらないものから重要機密まで多岐に亘る。
どうやら、自分の興味のある事だけ情報収集しているようだった。
(正直に言って、この女が何を考えているのかはサッパリわからない)
不審に思っても、カルディアが持つ潤沢な資金と貴重な情報はマクミラン公爵にとって手放せないものだった。
そして何より契約を交わして、運命共同体となっている今、カルディアが裏切る可能性など皆無だった。
「では、言い方を変えよう。何故、公爵は余裕でいられる?」
「ジュリアンナが誰を愛そうが、さしたる問題ではない。邪魔な第二王子とルイス侯爵、そして国王はもうすぐ居なくなるのだ。死人と結婚は出来ないだろう? 」
「ああ、怖い怖い。公爵は敵に回したくないな」
「それにしては……随分楽しそうじゃないか」
両腕を擦り震える動作をするカルディアだったが、ベールに隠されていない口元には、艶然と笑みが浮かんでいた。
「やはり公爵は面白いと思ってね。公爵の側へ付いて正解だった」
「私からすれば……カルディア、お前の方が恐ろしいぞ」
「それは、支援者に対する言葉じゃないね」
「だがその方がお前は喜ぶだろう?」
「そうだね。私は面白い方の味方だから……公爵が私を楽しませてくれる限り、支援は惜しまないよ」
「では、これに署名してもらおう」
マクミラン公爵が差し出したのは、一枚の契約書。
それは王都教会へ追加支援をする事を記した物だった。
書かれている金額は、一般的な貴族では簡単に用意できないものだ。
豪商から成り上がった貴族である、レミントン男爵家の前夫人だからこそ用意できるのだろう。
「公爵は実に用心深いね。だからこそ恐ろしく面白い」
「お褒めいただき、光栄だ」
さらさらと迷いない動作でカルディアは契約書に署名し、マクミラン公爵に渡す。
受け取ったマクミラン公爵は、机の引き出しに丁重に仕舞う。
「そう言えば、公爵は王都教会にいる可愛らしいネズミについて知っているかい?」
「ネズミ……?」
ネズミ――それが指し示すのは、おそらく諜報員だ。
マクミラン公爵は、カルディアの話に真剣に耳を傾ける。
「そう。しかも飼い主は、あの第二王子だ」
「ネズミの特徴は?」
「さぁ? 知らないよ」
「カルディア、真面目に話せ」
溜息を吐き、マクミラン公爵はカルディアを睨みつける。
当のカルディアは面白そうに笑うだけだった。
「そのネズミは、変化するのが得意なんだ。可愛いネズミでありながら、ライオンにもカエルにもなれる面白い子だよ」
「優秀なネズミという訳か……面倒な」
「だが、ネズミが変化したのが何かは予想できる」
「カルディア、教えろ」
「ネズミは長期的に王都教会に住むのを見越して、女に変化しているだろう。そして、ネズミが侵入したのは3・4カ月前だ。さて、この情報を公爵が面白い方向に利用してくれる事を祈るよ」
「お前の望むような面白い展開になどならん。ネズミは見つけ次第、駆除するだけだ」
「ふふっ。死体の確認ぐらいはしてくれるかい? そして後で感想を聞かせて欲しい。それがこの情報を教えた対価だ」
「了解した。それとカルディア、次のサバトだが、一週間後に開催が決定された。お前も参加するか?」
「勿論だよ。ただ、私は直接参加するよりも、乱れ狂う貴族たちを観察したいな」
「良い趣味をしている」
「お褒めいただき光栄だ、公爵」
「では、一週間後に」
「楽しみにしているよ」
次回、主人公視点に戻ります。




