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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第一部 ローランズ王国編
10/150

10話 枯れない薔薇

 コツ、コツと暗闇の中でわたしの足音が響いている。

 王都教会へエレンとして潜入してから3週間目。今日は初めての夜勤だ。


 夜勤は二人体制で一人が病棟を見回り、もう一人が夜勤室で待機するというものだ。

 睡魔との戦いだとマーサが言っていた。


 今日のわたしのペアはアンだった。

 仕事内容も交代で見回りをするというものなので、特にアンから指導と言うものはなかった。

 

 わたしは病棟の見回りをする……はずだった。

 見回りの最中に怪しげな通路を見つけてたのである。

 潜入してから王都教会の中を見回ったが、サバトを行っているような場所は見つからない。

 そんな中で見つけた怪しげな通路。

 確認する以外の選択肢がわたしにはなかった。


 通路を歩いていると違和感があった。

 壁の色は他の通路と同じだが、材質が異なっているのである。

 ザラザラとしていて古い土壁のように思えた。

 つい最近建てられたばかりの建物の中に古い壁……これは前の王都教会の物?

 古い教会と新しい教会が混在している?

 はあ、流石に建築家は演じたことがないので判らないわ……。


 しかしこの通路の先には何かあるはず。

 そう思い、先を進もうとすると人の気配がした。

 足音から察するに、成人男性のもの。


 さて、どうしましょうか?

 逃げるにしたってこの通路の構造判りませんし。




#######




 「まったく忙しいな。まあ、忙しいだけ入ってくる金が多いんだがな。免罪符にサバト、平民からも貴族からも金を搾り取る……なんと愉快なことだろうか」


 王都教会神父ミハエルは下卑た笑みを浮かべ、真夜中の教会を歩いていた。

 しばらくすると前方に白い影が見える。

 ゆらゆらと淡い光を放つランタンを持ち、歩いている。

 その姿が見習い看護師の修道服を着る少女だと言うことにミハエルは気づいた。


 「そこの見習い、何をしている。ここは立ち入り禁止区域だ」


 最大限の警戒をしてミハエルは少女を睨みつけた。


 (この間も王側の間諜が紛れ込んでいたからな……まあ、こんな簡単に見つかるということは大した人物ではないだろうが)


 少女が振り返った瞬間にナイフで切り付けようと構えるミハエルだったが、振り返った少女の姿を見て絶句した。


 「あ、ああああ、やっと人に会えたぁぁぁああああ」


 少女――エレンは号泣していて、さらには盛大に鼻水を飛ばしていた。

 汚らしく泣きわめくエレン。

 ミハエルは即座に少女が間諜である可能性を捨てた。

 とりあえずハンカチをミハエルはエレンに渡す。


 「どうした。こんな夜更けに……夜勤の見回りか?」


 「は、はい。今日初めての見回りで……歩いていたら知らない通路に出ちゃって、戻れなくなっちゃって」


 ずびびびとエレンが勢いよく鼻をかんだ。遠慮がない。


 「そうか、ここは立ち入り禁止区域だ。本来はここに侵入したのは罰則ものだが、今日のところは許そう。病棟まで送る」


 「ありがとうございます……って神父様ですか!?」


 今気が付いたとばかりに、エレンは驚いた。

 ミハエルの胸に提げているロザリオは特別な物。

 神父の中でもトップに位置する者だけが提げることを許されているものだからだ。


 「今頃気が付いたのか」


 「すみません、神父様とは知らずに恥ずかしい姿を見せました……」


 そう言って見上げるエレンの顔は敬意が現れている。

 神父だからと無条件に慕う崇拝者の顔。

 それはミハエルの自尊心を大いに満足させた。


 (少し馬鹿そうではあるが、扱いやすそうな見習いだ……。私の新しい駒にいいかもしれない)


 「別にいい。ところで君の名前は」


 「エレンです!新人の見習い看護師をやっています」


 「そうか。ではエレン、病棟はこっちだ」


 ミハエルとエレンは並んで歩き、病棟へと向かった。

 病棟に着くと、驚いた表情のアンが現れた。

 エレンが心配で探していたのだ。


 「エレンさん!――とミハエル神父様ですか……お手数を掛けましたすみません」


 「構わない。それではエレン、また」


 「はい、ありがとうございました」


 エレンは敬意を込めた表情でミハエルにお礼を言った。

 それに満足したミハエルは禁止区域へと戻って行く。


 「もう、エレンさん。病棟で迷うなんて、アホですかドジですかー?」


 「ひぃぃぃ、ごめんねアン!」


 プルプルと拳を握るアンは笑顔でエレンを威圧した。

 その後、アンからのプレッシャーに耐えながらエレンの初めての夜勤は終わった。




######



 夜勤が明けてすぐに自室でわたしは眠りについた。

 夜勤の次の日は1日休みとなっている。

 わたしは一日寮室で待機して、寮母のカトレアさんの仕事の流れを確かめていた。

 そうしてあっと言う間に一日が過ぎて真夜中。

 わたしは布団に包まっていたが、なかなか寝付けなかった。


 ふと、夜勤での出来事を思い出していた。

 男の足音が聞こえた後、わたしは逃げずに『意図せずに迷い込んでしまったエレン』を演じることにした。男が神父のトップだと言うことに驚いたが。

 そして男――ミハエル神父がわたしに差し出したハンカチ。

 それは上質な絹で造られていて、とても神父が鼻水を垂らす少女に気軽に差し出せる品物ではなかったのだ。そこから、ミハエル神父が王都教会の闇に関わっていることを推察した。

 崇拝されたり己の自己顕示欲が満たされるのが好きなように思えたので、信心深い信徒を演じておいた。

 ミハエル神父からの接触がこれからあるのかは判らないが、とりあえず禁止区域とやらに侵入したことからわたしが間諜であるという考えはなくなっただろう。

 次は禁止区域の先に何があるのかを確かめなくては。


 わたしが色々思案していると、窓にコツッと小さな石が当たる音がした。

 ベッドから起き上がり、音を立てないよう注意しながら窓を開けた。

 すると、黒い影が部屋に入る。


 黒い影――黒いローブに身を包んだ女がフードを取る。

 現れたのはキャラメル色の髪に漆黒の瞳の美女。わたしの侍女マリーだ。


 「遅かったじゃない、マリー」


 「申し訳ありません、お嬢様。裏工作に思ったよりも時間が掛かりまして。それにお嬢様の部屋を見つけるのに少々手間取りました」


 マリーの目線は窓際に活けられたサーモンピンクの薔薇造花に向けられた。


 「ちゃんと目印は置いてあげたじゃない」


 「ですが木で隠れた日当たりの悪い部屋だとは思いませんでした」


 「あら、木で部屋の中が見えなくて、しかも1人部屋なんて……最高の諜報環境じゃない?」


 「お嬢様、淑女たるもの――いえ、第二王子の手駒たるもの潜入先で最高の諜報環境などと言う真似はしてはいけません」


 「はいはい。ごめんなさい、マリー。それで?何か有益な情報を持って来たのかしら?」


 「はい。明日――正確には今日ですが、王都教会でサバトが行われる可能性があります」


 「それは確かかしら?」


 「はい。いくつかの教会派貴族に動きがあり、王都教会へ向かう者、王都の屋敷に滞在している者がいるとの情報を請けました」


 「……教会内では貴族の気配は欠片もないわ。そうなると、貴族専用の侵入口があるのかしら?」


 「では私はそちらを重点的に調べます」


 「お願いね。わたしはサバトに潜入してみるわ。関係ありそうな場所を見つけたから」


 「それは……危険ではないでしょうか」


 心配した目でマリーがわたしを見つめる。

 

 「危険でない時などないわ。それにあくまで様子見です」


 「十分お気を付け下さい」


 「ええ、判っています」


 「では、また来ます。お嬢様良い夢を――」


 マリーは窓から飛び降りた。しかし、着地の音すらしない。


 「さすがね、マリー」


 消えたマリーに労いの言葉を掛けつつ窓を閉めた。


 明日は忙しくなりそうね。


 そう思いながら、わたしはベッドへ再び入った。

 瞼を閉じると今度はすぐに微睡みへと落ちることができた。

 




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