領主の決断
執務室に入ると、父はいつものように机に向かっていた。
だが、こちらを見る目は、すでに「話を聞く側」のものだった。
「……それで、何の話だ」
エドワルドは一礼し、用意してきた書類を机の上に置いた。
「来年以降の収穫量と、加工体制についてです」
父は一枚目を手に取り、目を走らせる。
「今年の十八%増を前提に、来年はさらに増える、と?」
「はい。確定ではありませんが、傾向としては可能性が高いです」
父は鼻で笑うでも、否定するでもなく続きを促した。
「根拠は?」
エドワルドは、書庫で拾い集めた資料を指で示した。
「過去の収穫記録です。前年より一割以上増えた年は、その後二〜三年、高水準が続く例が多い」
「……例、か」
「はい。確定情報ではありません」
はっきりとそう言い切った。
「ただ、今年は肥料の改善、耕作地の回復、作業効率の向上が重なっています。一時的な幸運ではなく、構造的な変化です」
父は腕を組み、椅子にもたれた。
「続く可能性は、あるということだな」
「はい」
一拍置いて、エドワルドは続ける。
「問題は、その量を“吸収できるか”です」
父の視線が、僅かに鋭くなった。
「乾燥パスタの加工場は拡張されましたが、現状では来年の増加分を処理しきれません」
「小麦酒では足りんと?」
「消費量としては、誤差の範囲です」
言い切ると、父は苦笑した。
「容赦ないな」
「数字で見れば、そうなります」
父はしばらく黙り、次の書類を手に取った。
「……加工場を、さらに拡張したい、と」
「はい。今の一・五倍程度あれば、来年分を備蓄と加工で回せます」
「費用は?」
「既存設備の流用が可能です。完全な新設ではありません」
父は机を指で軽く叩いた。
「エドワルド」
「はい」
「お前は、いつから“備える話”をするようになった」
その問いに、即答はできなかった。
「……失う未来を、知っているからです」
父は、その言葉を否定しなかった。
「不確定な予測に、金を投じるのは危うい」
「承知しています」
「だが」
父は視線を上げ、エドワルドを見据える。
「備えを怠って破綻するよりは、よほど領主らしい」
一瞬、空気が変わった。
「今年の豊作は偶然ではない。ここまでは私も同意する」
「……!」
「王都への納品が決まったのも、流れだ。ならば、加工体制を広げるのは理にかなう」
父は椅子から立ち上がり、窓の外を見た。
「やろう」
短く、だが迷いのない声だった。
「乾燥パスタ加工場を、さらに拡張する」
エドワルドは、思わず息を飲んだ。
「ただし」
父は振り返る。
「一気にはやらん。段階的だ」
「段階的、ですか」
「領地の金は有限だ。だが、判断は早くする」
父は机に戻り、筆を取った。
「来年の収穫前までに、処理能力を一・五倍にする。人員は冬の間に育てる」
書類に署名を入れながら、続ける。
「これが、領主としての判断だ」
エドワルドは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
父は筆を置く。
「お前は、先を見すぎるきらいがある」
一瞬、視線が交わる。
「だがな」
その目は、確かに領主のものだった。
「見えないからといって、考えないのは怠慢だ」
エドワルドは、胸の奥で何かが静かに落ち着くのを感じた。
未来は、まだ不確定だ。
だが――備えるための判断は、下された。
「行け。次は、実行だ」
その言葉に背を押されるように、エドワルドは執務室を後にした。
一人で考えていた頃とは違う。
今は、領地全体が動いている。




