線を引くということ
父は、机の上の書類を一つ脇に寄せた。
「まず確認する」
低い声だった。
「今、お前が直接見ているのは何だ?」
エドワルドは、即答した。
「セキシャク鳥二群の飼育管理」
「豚舎の管理」
「肥料化の工程」
「畑の一部と、試験栽培」
「記録と報告です」
父は、指を一本立てた。
「多いな」
否定ではなく、事実の確認だった。
「増えれば増えるほど、管理は指数的に重くなる。今は“上手くいっている”が、それは偶然に近い」
エドワルドは頷く。
「だから、人手が必要だと?」
「はい」
「では聞く」
父の視線が鋭くなる。
「お前は、全部を“自分の手”でやり続けたいのか?」
その問いは、予想していなかった。
エドワルドは、少しだけ言葉に詰まる。
「……いいえ」
出てきた答えは、自然だった。
「正直に言えば、それは無理です。俺がやるべきなのは、全部やることではありません」
父の口元が、わずかに上がった。
「ほう」
「続けろ」
「考え方と流れを作ることです。やり方を示して、任せることです」
それは、兄の言葉を思い出したからでもあった。
“一人で抱えるな”。
父は、深く息を吐いた。
「なら、話は早い」
立ち上がり、窓の外を見る。
畑。
水路。
人の動き。
「人を雇う、という選択肢もある。だが、それは最後だ」
「……最後?」
「金で繋がった関係は、切れるのも早い」
振り返り、エドワルドを見る。
「今、この領地で増えているのは何だと思う?」
エドワルドは、少し考え、
「……関わる人、ですか」
「そうだ」
父は、頷いた。
「農家が助言をする」
「若者が手伝いに来る」
「様子を見に来る者が増える」
数字には出ない。
だが、確実に空気は変わっている。
「だから、こうする」
父は、決めたように言った。
「“手伝い”を正式な形にする。名目は、研修だ」
「研修……」
「鳥と家畜、肥料と畑、お前のところで学びたい者を、数名募る」
エドワルドの目が、見開かれる。
「給金は、最低限だが、技術と経験が残る」
父は、静かに言い切った。
「責任は、私が持つ管理と指導は、お前だ」
一瞬、重さを感じた。
だが同時に――
逃げ場ではなく、土台を与えられた感覚があった。
「……いいのですか?」
「お前が言っただろう」
父は、エドワルドを見据える。
「途中で投げないと」
エドワルドは、ゆっくりと頷いた。
「はい」
「なら、条件は一つ」
父は、指を一本立てる。
「“線を引け”」
「線、ですか?」
「お前がやること」
「任せること」
「やってはいけないこと」
曖昧にすれば、必ず歪む。
「守れるか?」
エドワルドは、答えた。
「守ります」
即答だった。
父は、それを聞いて満足そうに頷いた。
「では、準備を始めろ。人は、集まる」
エドワルドは、執務室を出るとき、胸の奥に確かな重みを感じていた。
人に任せるということ。
線を引くということ。
それは、前世では出来なかった選択だ。
(……一人でやらない)
それは、弱さではない。
この領地を、続けるための決断だった。




