小さな変化が誰かに届く話
朝の空気が少し柔らいできた頃、エドワルドはいつものように屋敷を出た。
セキシャク鳥の囲いに水を足し、餌を撒く。
小雛たちはもう雛と呼ぶには少し大きくなり、羽の色もはっきりしてきている。
親鳥は警戒こそするものの、以前のように飛びかかってくることはなくなった。
豚舎の方からは、相変わらず落ち着いた鳴き声が聞こえる。
餌桶を覗き込み、残り具合を確認してから一つ頷いた。
「……問題なし、だな」
そう呟いてから、畑の方へ向かう。
硬豆の収穫跡では、土がよくほぐされ、次に備えて整えられていた。
助言してくれた農家の言葉を思い出す。
――苗床か。確かに理にかなってる。
頭の中で次の播種の段取りを組み立てながら歩いていると、畑の端で誰かが立ち止まっているのが見えた。
年配の農夫だった。
エドワルドが近づくと、帽子を取り、少しぎこちなく頭を下げる。
「坊ちゃん……いや、エドワルド様」
「どうしました?」
農夫は一瞬言葉に詰まり、それからゆっくりと口を開いた。
「うちの倅がな……最近、家に戻ってくるようになりまして」
それだけ聞いても、すぐには意味が繋がらない。
エドワルドは黙って続きを促した。
「以前は、仕事が少ないって言って、隣の町へ出稼ぎに行ってたんですが……最近は、鳥小屋の世話と、豚舎の掃除を任されてるらしくて」
農夫の声には、ほんの少しの照れと、確かな安堵が混じっていた。
「肥料作りも教わって、畑に使えるって張り切ってます。家で、あんなに土の話をするようになるとは……」
そこで言葉を切り、農夫は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。坊ちゃんが……いや、エドワルド様が始めたことのおかげです」
エドワルドは、思わず言葉を失った。
自分がやってきたのは、試して、観察して、少しずつ形にしてきただけのことだ。誰かを救おうとか、雇いを増やそうとか、そこまで考えていたわけではない。
「……いえ」
ようやく、それだけが口をついた。
「俺は、ただ……」
“未来で失うものを、減らしたかっただけだ”
そう言いかけて、言葉を飲み込む。
農夫はそれ以上何も言わず、穏やかな表情で畑に戻っていった。
その背中を見送りながら、エドワルドは胸の奥に、今までにない感覚が生まれているのを感じていた。
成果は、数字や収穫量だけではない。
自分の知らないところで、誰かの生活に触れ、変化を起こしている。
小さく、静かに。
だが確実に。
その日の午後、屋敷に戻ったエドワルドは、書面に目を通す父の姿を見つけた。
「父上」
「どうした?」
「……今日、農家の方に礼を言われました」
父は筆を止め、ゆっくりと顔を上げる。
「ほう」
「俺がやってきたことが、誰かの仕事になっていたみたいです」
一瞬の沈黙のあと、父は小さく笑った。
「そうか。なら、それはもう“試み”ではないな」
「……え?」
「領地が、動き始めたということだ」
その言葉は、静かだったが重みがあった。
エドワルドは、胸の奥で何かが落ち着くのを感じた。
未来を変えられるかどうかは、まだ分からない。
けれど――
少なくとも今は、確かに前とは違う場所に立っている。
小さな変化は、もう誰かに届いている。
それだけで、今日は十分だった。




