押し寄せる前兆
グレゴールを呼び止め、俺は低く言った。
「これは始まりに過ぎないぞ。下手をすると、次は“難民”として押し寄せて来る」
グレゴールは即答しなかった。
ほんの一瞬、思考を巡らせてから、慎重に口を開く。
「……ええ。今回の一揆は、氷山の一角でしょう。食料が尽き、嘘が崩れれば、人は必ず動きます」
「隣領だけで、済むと思うか?」
「正直……難しいかと。一つ崩れれば、周囲は連鎖します」
重い沈黙が落ちる。
「ならば、先手だな」
俺の言葉に、グレゴールは小さく頷いた。
「領主様に、再度“援助の申し入れ”を具申されては如何でしょう。相手が飲めば、こちらから正式に輸送が出来ます。難民ではなく、“援助対象”として受け入れられます」
「……それなら、秩序は保てる」
押し寄せてから対応するのでは遅い。
動く前に、流れを作る。
「そうだ。父上に早馬で連絡を」
「承知しました」
グレゴールは即座に踵を返した。
一揆は、爆発だ。だが難民は、波だ。
爆発は一瞬で終わる。
だが波は――防がなければ、全てを呑み込む。
そして今、その波は確実に、こちらへ向かっていた。
俺の記憶が、はっきりと告げている。
これは間違いなく――始まりだ。
直ぐには終わらない。
いや、終わらせてはくれない類の事態だ。
一揆が起きた以上、嘘はもう戻らない。
隠してきたもの、誤魔化してきたもの、
その全てが時間差で噴き出してくる。
だが、まだ間に合う。
隣領で食い止める事が出来れば、
そこで“圧”は一度抜ける。
流れを緩める事が出来る。
そうなれば結果的に、我が領へ及ぶ影響は最小限に抑えられる。
全面的に受け止める必要は無い。
波を削ぎ、向きを変え、こちらに届く前に力を失わせる。
――それが出来る位置に、今、我が領はある。
だからこそ、動く。
今でなければならない。
これは救済でも、英雄譚でもない。
領を守る為の、現実的な選択だ。
俺は、深く息を吸い、吐いた。
「……間に合え」
その一言に、これから起きる全てを背負う覚悟を込めて。




