噂より先に
「父上!」
執務室に入るなり、俺は声を張った。
「エドワルド。戻ったか!」
「はい」
短いやり取りだったが、互いに時間が無い事は理解している。
「私も保護民の状態を見た。これは……始まりに過ぎない」
父上の声は低く、重い。
「そう思います。北は大丈夫ですか?」
「今の所としか言えん。だが、援助の申し出は既に済ましておる」
「……ふぅ」
俺は一度息を吐き、覚悟を決めた。
「父上。一つ、提案があります」
「提案?」
「はい。こちらから届く範囲で構いません。村の人々を、こちらから保護しませんか?」
一瞬、室内の空気が張り詰めた。
「何……?キリがなくなるぞ!」
予想通りの反応だった。
だが、俺は引かなかった。
「届く範囲で構いません。今なら、まだ噂が広がっていません」
父上の視線が鋭くなる。
「ならば、こちらから動くべきです」
「……」
「噂が先に立てば、人は雪崩の様に押し寄せます!ですが、こちらから選び、こちらの都合に合わせて動かせば――」
俺は一歩踏み込む。
「同じ人数でも、分散させられます。一気に来られれば、医療も食料も回りません!」
父上は腕を組み、目を閉じた。
「……噂で押し寄せる前に、か」
「はい」
静かな声で、しかしはっきりと答える。
「ある程度、こちらの準備に合わせられます。混乱を最小限に出来ます」
父上は、ふっと息を吐いた。
「……商人共を使って、流れを作るか」
「そうです」
迷いは、もう無かった。
「解った」
父上は目を開き、俺を見据える。
「それは私が何とかする。商人の口も、流れも、こちらで握ろう」
そして、力強く言い切った。
「保護民の扱いは――お前に任せたぞ」
胸の奥が、僅かに熱くなる。
「……はい。必ず」
これは慈善ではない。防衛でもある。
そして、戦だ。
噂に負けない為の、噂より先に打つ一手。
俺と父上は、同じ盤面を見ていた。
執務室には、呼び出された商人達が集められていた。
顔触れは、我が領で長く商いをしている者ばかりだ。
「急な招集で済まぬな」
父上――領主は、席に着く商人達を見渡しながら静かに口を開いた。
「単刀直入に話す。近隣領地で、食料事情が急激に悪化している」
ざわり、と小さく空気が揺れた。
「既に村単位での移動も始まっている。だが、これはまだ表には出ておらん」
商人の一人が、慎重に口を挟む。
「……噂、でございますか?」
「違う」
父上は即座に否定した。
商人達の視線が一斉に集まる。
「噂は流さぬ。少なくとも、今はな」
父上は机に指を置き、静かに告げた。
「お前達商人には、東の小さな村々を回ってもらう」
「……村を、ですか?」
「そうだ。直接行け。顔を見て話せ」
父上の声は低く、しかし明確だった。
「今なら我が領は、保護が出来ると伝えろ。
無理強いはするな。同意した住人だけでいい」
商人の一人が、息を呑む。
「……こちらへ、運ぶのですね」
「そうだ。まとめてではない。段階的にだ」
「承知致しました」
即座に返る返事に、父上は一つだけ念を押した。
「いいか」
商人達を見据え、言葉を落とす。
「変な噂は流すな」
「……はい」
「“逃げ場がある”などと広める必要はない。
話すのは、会った者だけだ」
商人達は、深く頭を下げた。
「解りました。慎重に進めます」
父上はそれを見届けてから、静かに締めくくった。
「これは慈善ではない。だが、見捨てる話でもない」
商人達は、その意味を理解した顔で立ち上がった。
噂は、広げれば刃になる。だが、足で運べば手綱になる。
そして今――
その手綱を握っているのは、領主だった。




