記憶にない流れ
しかし……。
俺の記憶には、難民が押し寄せて来るなんて出来事は無い。
気づかないはずがない規模だ。
村単位で人が動くなど、余程の事が無ければ起こらない。
「……何が、起きている?」
無意識に、そう呟いていた。
「うーむ……」
「如何しましたか?」
隣に控えていたグレゴールが、こちらを見る。
「グレゴール。ここの村と、隣領の村とは……交流はあるのか?」
「そうですな。この距離です。交易や婚姻、行き来はあると思われます」
……やはり。
俺は、地面に描いた簡単な地図を見下ろした。
「となると、この村の状況を見た可能性があるな」
「……なるほど」
「自分の村が飢えていく中で、隣の村が生きているのを見たら……人はどうする?」
答えは一つだ。
「……逃げますな」
「だろう?」
俺は、静かに息を吐いた。
「恐らく、あちらの領都へ行っても安全とは限らない。下手をすれば、“口封じ”の為に命を奪われる可能性すらある」
グレゴールの表情が、僅かに引き締まる。
「ならば……」
「少しでも顔見知りがいる村。少しでも事情を知っていそうな、こちら側へ」
それは、理屈ではなく本能の選択だ。
「助けてくれそうな場所ではなく……殺されなさそうな場所を選んだ、か」
「……重い話ですな」
「だが、現実だ」
俺の記憶に無い理由も、見えてきた。
「……これは“突然起きた”んじゃない。徐々に削られて、限界を超えた結果が、今なんだ」
だから、記憶に残らなかった。
気づいた時には、表に出る前に処理されていたのかもしれない。
あるいは――
俺が、そこまで見ていなかっただけか。
「……くそ」
思わず、歯を噛みしめる。
「エドワルド様」
グレゴールが、静かに言った。
「今は、まだ対応出来てます」
……そうだな。
「なら、止める。これ以上、連鎖させない」
俺は、顔を上げた。
「この村だけじゃない。“逃げ先として選ばれた理由”がある限り、次も来る」
「……対策を?」
「するさ。今度は、人の流れそのものを読む」
戦は、剣ではなく――選択で進んでいる。
グレゴールの言葉を受け、俺は周囲を一度だけ見渡した。
村の中央には武装兵が配置され、医療兵が衰弱した者を順に診ている。
混乱はあるが、秩序は保たれていた。
「グレゴール。二人ともこの場を離れても、問題は無いよな?」
「はい。武装兵と医療兵が到着しております。現時点で大きな混乱が起きる可能性は低いかと」
「そうか……」
俺は小さく頷いた。
「では、一度父上に相談しに行く」
「はい。しかし……相談とは?」
グレゴールが僅かに首を傾げる。
「ここから先の話だ」
俺は低い声で続けた。
「このまま保護を続ければ、必ず“噂”になる」
「助けてくれる領地がある、と」
「……」
「そうなれば、次は村単位じゃ済まない。人が、人を呼ぶ」
グレゴールは、そこでようやく俺の意図を察した様だった。
「……流入の制御、ですか」
「いや。それだけじゃない」
俺は拳を軽く握る。
「どこまで受け入れるのか?そして、それを誰の判断として行うのか」
沈黙が落ちた。
「これは、もう現場判断の域を超え始めてる。父上――領主としての判断が必要だ」
「……確かに」
グレゴールは、静かに息を吐いた。
「私が勝手に決めて良い事じゃない。だが、放置も出来ない」
俺は真っ直ぐに前を見据えた。
「だから、今の状況を全て伝える!そして……どう戦うかを聞く」
剣を抜かない戦。
だが、確実に人の命を左右する戦だ。
「分かりました、エドワルド様」
グレゴールは深く頷いた。
「この場は私が預かります。どうか、領主様の判断を」
「ああ。頼む」
そう言って、俺は村を後にした。
背後で、医療兵の声と、子供の泣き声が微かに混じる。
――時間は、もう残されていない。




