静かな報せ、動き出す備え
北領地からの文が届いた。
「……定期連絡か?それとも……」
領主は独り言ち、封蝋を切る。
中身に目を走らせた瞬間、表情が僅かに曇った。
「北も……小麦は不作、か」
やはり来たか、という思いとそれでも最悪ではないという判断が同時に浮かぶ。
「我が領ほどでは無い、か。だが……余裕がある様には見えんな」
収穫量は減少。
備蓄はあるが、先を考えれば楽観出来る数字ではない。
「……北ですら、この程度か」
一度、文を机に置き、静かに息を吐く。
「よい。返書を書く。小麦ともに厳しい年だ。こちらも同様だが、もし援助が必要になった場合は、遠慮無く申し出る様にと付け加えよ」
助けを差し出す文面。
だがそれは、単なる善意ではない。
“まだこちらには余力がある”
そう伝える為の、慎重に選ばれた一文だった。
「……この文が“最後の余裕”でなければ良いがな」
誰に向けたでも無い呟きが、静かに消える。
一方、エドワルドの居る東の村。
土煙を上げ、部隊が到着していた。
「武装兵、展開を開始せよ!」
「医療兵は村長の指示に従い、衰弱者を優先!」
父上からの指示を受けていたのだろう。
動きに一切の迷いが無い。
「早い……」
エドワルドは、その光景を見渡しながら呟いた。
武装兵は村の周囲に配置され、医療兵は既に診察と栄養補給の準備に取り掛かっている。
「こちら、嘔吐反応あり!」
「老人一名、脱水症状!」
「子供は隔離して安静を!」
現場は、もはや“災害対応”ではない。
「……父上も、同じ結論に至ったか」
剣は抜かれていない。
だが、これは既に戦だ。
奪われ、追い詰められ、嘘で覆い隠された結果としての――静かな戦争。
エドワルドは拳を握り、前を見据えた。
「まだ、始まったばかりだな」
北からは文。
東では人が逃げ、兵が動く。
点だった異変は、線となり今、確実に面へと広がり始めていた。
その頃、領都では。門の外が、僅かに騒がしくなった。
「避難民の一部が到着しました!」
その報告を受け、領主は城壁の上から様子を窺った。
……遠目に見ても、異様だった。
「……まだ、体力がある……だと?」
思わず、声が漏れる。
確かに、歩いている。
自分の足で、門まで辿り着いている。
だが、それは体力が残っている者の歩き方では無かった。
足取りは重く、揃っていない。
背は丸まり、視線は地面に落ちたまま。
誰一人、周囲を見ていない。
「……あれは」
領主は、拳を握った。
「体力がある、のではない。気力だけで、身体を引き摺っている」
荷を持つ者はいない。
子を背負う者の腕は震え老人の歩みは、今にも崩れ落ちそうだった。
それでも、止まらない。
否――
止まったら、終わると知っている歩き方だった。
「……エドワルドの報告は、正しかったな」
いや、正しいどころではない。
文面では伝えきれない“深さ”が、そこにあった。
「数日の不足などでは、こうはならん……」
傍らの文官も、言葉を失っている。
「これは……数ヶ月、か」
誰も否定出来なかった。
領主は、ゆっくりと踵を返す。
「仮宿舎を急がせろ。医療兵の増派もだ!“まだ動ける者”から倒れるぞ」
「はっ!」
門が開かれ、避難民が迎え入れられる。
その光景を背に、領主は低く呟いた。
「……これで、“嘘”の大きさが、はっきりした」
戦は、もう始まっている。
剣を交えず、血も流れぬまま。
だが――人は、確実に削られていた。




