数日の差ではない
領主館の執務室に、慌ただしい足音が響いた。
「早馬です!」
扉が開かれ、息を切らした使者が膝をつく。
「エドワルドからか」
差し出された書状に目を通し、私は思わず眉をひそめた。
「……武装兵の配置?」
そこまで状況が悪化しているのか。
顔を上げると、使者は即座に答えた。
「はい!私の見た限りではございますが……」
「よい。申せ!」
一瞬の躊躇の後、使者は覚悟を決めた様に言葉を続ける。
「恐らく、数日間の食料不足ではございません!数ヶ月、意図的に食を削られていたものと思われます」
「……そこまで、か?」
喉の奥が重くなる。
「はい。間違いないかと。村々では、エドワルド様の指示でじゃじゃ芋のスープを配給しておりますが――」
使者の声が、僅かに震えた。
「それすら、吐き戻す者が多く……」
「なっ……!」
思わず立ち上がる。
胃が受け付けぬ程の衰弱。
それは“最近”の話ではない。
「武装兵だけでは足りぬ」
即断だった。
「医療兵も出せ。各村へだ!治安維持と同時に、衰弱者の手当てを最優先にせよ!」
「はい!」
使者は力強く頷いた。執務室に静寂が戻る。
「……そこまで酷いのか」
呟きは、誰に向けたものでもない。
凶作。
不正。
虚偽の報告。
そして、そのしわ寄せは、最も弱い場所に、最も長く積み重なっていた。
私は拳を握り締めた。
「エドワルド……よくぞ、早く気付いた」
これはもう、単なる食糧問題ではない。
人が、人を削って作り上げた歪みだ。
そして――
それを放置すれば、必ず“次”が起こる。
私は次の命令を書き始めた。
「……グレゴール!?」
思わず声が強くなる。
「如何しました?」
「北との領地境は、どうなっている?」
問いは短いが、意味は重い。
ここで沈黙が返って来れば、状況は一気に悪化する。
グレゴールは即座に答えた。
「恐らく、北の領主様も既に早馬を出しておられるかと。我が領と同様、北も隣国と国境を接しておりますが、普段から定期的なやり取りがございます」
「……」
「何か異変があれば、必ず相互に情報交換が行われておりますので。現時点では、大きな問題は起きていないと思われます」
俺は、知らず息を吐いていた。
「……ほっ」
声にならない安堵だった。
少なくとも――
全方向が同時に沈黙している訳ではない。
一か所でも“生きている情報網”があれば、手は打てる。
「東が歪み、南は山脈。北が繋がっているのは、大きいな……」
グレゴールは静かに頷いた。
「はい。ですからこそ、北は“最後の確認地点”になるかと」
理解が早い。
「何かが動けば、北から必ず波が来る。来ないなら……」
「ええ。そこだけは、まだ抑えられている証になりますな」
完全に包囲されている訳ではない。
だが、包囲されつつあるのも確かだ。
俺は地図の北側に指を置いたまま、静かに告げた。
「……油断はするな。“問題が無い”という報告ほど、後で牙を剥く」
「承知しております」
短い会話だったが、それだけで今後の優先順位が定まった。
北は“監視”。
東は“救済”。
西は“警戒”。
そして中央――
この領地は、既に逃げ場の無い場所に立たされている。




