腹を満たし名を記す
「グレゴール!今から俺がやる事を見ていて下さい。おかしいと思ったら、直ぐに止めて下さい」
唐突な言葉に、グレゴールは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに表情を引き締めた。
「……分かりました」
俺は、集められている人々へ向き直る。
「保護した方々を、こちらに並ばせて下さい」
村長が合図を出し、人々が不安そうに動き始める。
「文官の方々。名前、家族の人数、年齢。出来るだけ正確に把握して下さい」
文官達は一斉に頷き、板と筆を取り出した。
この瞬間から、彼らは“難民”ではない。
記録される人間だ。
俺は村長を見る。
「それ以外に、じゃじゃ芋の備蓄はありますか?」
「……あります。量は多くありませんが」
「十分です」
即答だった。
「それを使ってスープを作って下さい。まずは、保護された方々に供給を」
村長は、少し驚いた様に俺を見てから、深く頷いた。
「解りました」
腹が減れば、思考は止まる。不安は増幅する。だが、腹が膨れれば、人は話を聞ける。
――まずは、そこからだ。
俺は小さく息を吐いた。
「……取り敢えず、腹が満たされれば気は落ち着く」
グレゴールが、静かに同意する様に頷いた。
「このままここに留めるのは危険だな」
俺は空を見上げ、即座に判断を下す。
「領都へ向かわせましょう」
「……よろしいのですか?」
「はい。人数を把握したら、早馬を父上の元へ」
俺は文官の一人を呼び止める。
「父上へ伝えて下さい。東の村から保護民を送る、と。仮の宿舎の準備を。軍用のテントでも構いません」
文官は一瞬も迷わず、深く頭を下げた。
「承知しました!」
早馬が準備される。
その様子を、グレゴールは黙って見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……御坊ちゃま」
「何ですか?」
「今の判断、誰かに命じられたものではありませんな」
俺は、少しだけ笑った。
「ええ。多分、父上なら同じ事をすると思っただけです」
グレゴールは何も言わず、ただ静かに頷いた。
剣は抜いていない。だが、これは確かに戦だった。
――人を守る為の、最初の布陣。
俺は、初めてそれを“自分の判断”で敷いたのだ。
人数の把握が終わり、文官が板を掲げて報告した。
「八十三名です。内訳は――」
聞かなくても分かる。
老人がいて、子供がいて、働き盛りもいる。
村一つ分だ。
程なくして、早馬が領都へ向けて放たれた。
蹄の音が遠ざかるのを見送りながら、俺は腕を組む。
……領都へ送った後、どうする?
頭の中で、選択肢が幾つも浮かぶ。
開墾に回すか。
人手は確かに足りている。だが、いきなり土を掘らせるのは酷だ。
それに、周囲から見れば「奪ってきた労働力」と受け取られかねない。
それなら――南。
南の山岳方面なら、人目には付きにくい。
鉱山や林業、冬場の加工場。仕事はある。
何より、今は静かにしておくべきだ。
俺が考え込んでいると、グレゴールが一歩前に出た。
「……悩んでおられますな」
「ええ」
正直に答えた。
「助けた後の扱いを間違えると、次は“口実”を与える事になります」
「その通りです」
グレゴールは、低く頷く。
「今は、救った事よりも“どう隠すか”が重要でしょう」
……やはり同じ考えか。
「南へ回す案は、悪くありません。人目に付かず、仕事もある。ただし――」
「ただし?」
「“一時的”である事を、彼らにきちんと伝える事です」
なるほど。
「定住させると思わせてはいけない、と」
「はい。期待を持たせ過ぎると、次に動かす時に反発が出ます」
俺は、深く息を吐いた。
「……分かりました。まずは領都で体調を整えさせ、その後、南へ分散配置。家族単位で動かします」
グレゴールは、静かに微笑んだ。
「御坊ちゃま。もう“考える側”ではなく、“動かす側”ですな」
その言葉が、胸に少しだけ重く落ちた。
助けるだけでは足りない。
守るには、隠し、動かし、時には使わねばならない。
――戦は、もう始まっている。
剣を抜かぬ戦が。




