捨てられた村の朝
小麦の選別が、終わった。
結果は――前年の四割程度。
しかも、今年新たに開墾した面積も含めて、だ。
「……ひどいな」
数字を見た瞬間、そう呟いてしまった。
もし開墾をしていなければ、更に落ちていたのは間違いない。
凶作。
疑いようもなく、それが確定した。
一方で、黒麦は違った。
量も質も、ほぼ想定通り。
「強い作物だな……」
誰かがそう言ったが、皮肉にしか聞こえない。
黒麦が強くなければ、今年は既に詰んでいた。
父上――領主は、すぐに布告を出した。
小麦七、黒麦三。混ぜて使え
領民の間から、反発は出なかった。むしろ納得の空気が強い。小麦は確かに減ったが、「まだある」言い方は悪いが、腐るほどあるように見えてしまう量だ。
それは――領内だけを見ればの話だ。
この領地には、領民以外も出入りする。商人、行商、通過者。それら全てを考えれば、油断など出来るはずがない。
そして――異変は、東からやって来た。
領地の最も東にある村。その村から、早馬が走ってきた。
朝一番だった。
「……保護を、求めています」
報告を聞いた瞬間、理解が追いつかなかった。隣の領地から――
領民が、逃げて来ている。
しかも、村単位だ。
「村を……捨てた、と?」
思わず聞き返した俺に、使者は頷いた。
俺の記憶の中に、そんな事例は無い。
盗賊でも、疫病でも、税でも――
村を丸ごと放棄するなど、聞いた事がない。
それはつまり。
守られるはずの場所を、誰かが守らなかったという事だ。
父上は、静かに立ち上がった。
「……始まったな」
その一言で、理解した。
これはもう、噂でも兆しでもない。
境界線の向こうで起きた事が、
確実にこちらへ流れ込んで来た。
村が捨てられた朝。
それは、領地同士の“余裕”が崩れた証だった。
そして――この流れは、止まらない。
父上は、間を置かずに動いた。
「エドワルド、グレゴール。来い」
呼び出しは短く、だが迷いが無い。
既に決断は終わっている声だった。
執務室に入ると、父上は地図の前に立っていた。例の――東端の村を指で押さえている。
「話は聞いているな」
「はい」
「……始まった。しかも村単位だ」
言葉は静かだが、重い。“逃げた”のではない。“捨てられた”のだ。
「二人は現地へ向かえ」
父上は俺とグレゴールを交互に見た。
「実情の確認、受け入れ人数、動線。そして――どこまでが偶発で、どこからが意図的か」
「了解しました」
グレゴールは即座に頷いた。
既に頭の中で段取りを組んでいる顔だ。
「現地で出来る範囲の対策は、お前達で協議して決めろ。報告は逐次上げること」
そして父上は、机へと向き直る。
「私は――東の領地に文を出す」
「食糧、ですか」
「ああ。直接“援助”とは書かん。打診だ。どれだけ余力があるかを測る」
俺は理解した。
これは助ける為の文ではない。
相手が、どれだけ嘘を吐いているかを確かめる為の文だ。
「返答次第で、次の手が決まる」
父上はそう言って、羽根ペンを取った。
「行け。現地を見ろ。机上の話は、もう役に立たん」
剣ではない。だが確実に戦は始まっている。
俺とグレゴールは、深く一礼し、部屋を後にした。
――東へ。最初に崩れた場所へ。
そこに、これからの答えがある。




