誤魔化せなくなる境目
地図の上に引かれた線を、俺はじっと見つめていた。
グレゴールが示した幾つかの領地。そのどれもが、色を失った様に見える。
「ここです」
彼が指で叩いたのは、西寄りの一角だった。
「表向きは“例年並み”。しかし実際は、小麦の出来が三割以下。備蓄は去年の豊作で何とか保っているだけです」
三割以下。
それはもう誤魔化しでは済まない数字だ。
「税の増額通達が出たのも、この辺りが最初でしょう?」
「はい。帳尻を合わせる為に、です」
淡々とした声だった。だが、その裏にあるものは容易に想像が付く。
「市場に小麦を流したのは?」
「恐らく、無理をしています。来年の種麦に手を付けた可能性もありますね」
それは、次の年を捨てる判断だ。
一度やれば、もう後戻りは出来ない。
「他にもありますか?」
「あります。ただし――」
グレゴールは一瞬だけ言葉を切った。
「ここから先は、“助ければ救われる”とは限りません。下手に手を差し伸べれば、嘘を塗り固める手助けになる」
胸の奥が、少しだけ重くなった。
「父上は……」
「既に察しておられます。だから動かれない。いや、正確には“動く準備だけ”をしている」
準備。
それは備蓄であり、加工場であり、表に出ない情報の整理。
「エドワルド様」
グレゴールは俺を真っ直ぐに見た。
「この先、必ず“正義”を掲げて助けを求めて来る者が現れます。しかしその中には、自分の不正を隠す為の者も混じる」
「……はい」
「領主として問われるのは、誰を救うかではありません。“誰を切るか”でもない。どこまで守り、どこから線を引くか、です」
線を引く。
それは、今までの俺が最も避けて来た行為だった。
「準備しておきなさい」
「何を、ですか?」
「決断を」
地図の上で、季節はもう動き出している。
誤魔化しは、もう長くは持たない。
俺は静かに頷いた。
最終決断を下すのは父上だ。
それは変わらない。
ただ結果だけを受け取っていては意味が無い。
父上がどの情報を拾い、どこで迷い、何を切り捨てるのか。
その全てを見て、考え、噛み砕かなければならない。
これは訓練なのだろう。
いや、もう訓練という言葉では軽い。
戦だ。
剣を振り回し、敵を倒すだけが戦ではない。
情報を集め、流れを読み、決断一つで人を生かしも殺しもする。
こちらの方が、よほど重い戦いだ。
俺はまだ前線には立たない。
だが、後ろで何も考えずに守られている訳でもない。
父上の背中を見て学ぶ。
判断の重さを、結果の責任を。
その覚悟が無ければ、いずれこの領を守る立場には立てないのだから。
俺は静かに拳を握った。




