父の影、知恵の在処
その側近は、父上と最も長い付き合いのある人物だ。
学園時代の同期生。
貴族が大半を占める中で、彼は珍しい平民出身だったと聞いている。
だが成績は常に上位。座学も実務も抜きん出ており、教師からの評価も高かったらしい。
それでも現実は厳しかった。
平民というだけで、就職先は限られ、声を掛けられても補佐役止まり。
才能があっても、出自が壁になる。そんな時代だった。
そんな彼に手を差し伸べたのが父上だった。
「うちに来ないか」
それだけだったらしい。肩書きも約束も無く、ただ能力を見て声を掛けた。
結果として、その判断は正しかった。
彼は領政の基礎を整え、数字を整理し、父上の判断を裏から支え続けてきた。
表に出る事は少ないが、重要な場面では必ず関わっている。
領内の記録、王都からの通達、過去の不作や豊作の記録。
それらを一番正確に把握しているのは、間違いなく彼だ。
それだけじゃない。
父上が次にどう動くか。
どこで手を打ち、どこで引くか。
長年隣で見てきたからこそ、思考の癖や判断の基準まで読めるはずだ。
今の状況を整理するには、これ以上の人物はいない。
俺は小さく息を吸い、覚悟を決めた。
噂や推測じゃ足りない。
感情論でも駄目だ。
必要なのは、事実と数字、そして現実だ。
ならば聞く相手は一人しかいない。
父の影で、この領を支えてきた知恵の在処へ。
俺は、その側近を訪ねる事にした。
「グレゴール、少し話があるんだけど、今平気ですか?」
「はい。問題ありませんが、如何しました?」
「今、この領地を取り巻く他領地の情報が欲しいです。出来るだけ正確なものを」
グレゴールは一瞬だけ考える素振りを見せ、すぐに頷いた。
「そうですね。では大枠から話しましょう。
まず我が領ですが、北と東に王国内の領境があります。ここは比較的穏やかで、交易量も安定しています」
やはりそこから来るか、と俺は頷く。
「南は山脈です。農地は限られ、通行路も少ない。こちらは影響が出るとすれば鉱山や山越えは不可能」
「そして西ですが……」
グレゴールの声が僅かに低くなる。
「西は他国の王国と国境を接しています」
「……なるほど」
「ええ。今回の小麦価格の動きは、最初に異変が出たのは東側経由の情報でした。表向きは他領の話として流れていますが、実際は領境を跨いだ商人の動きがかなり影響しています」
俺は黙って聞き続ける。
「北は備蓄を持っている領地が多い。南はそもそも穀物依存度が低い。問題になるのは西側です。外に売れると思って出した分が、戻れなくなっている」
「……なるほど」
「父上が動かれた理由も、そこにあります。
この領地は“囲まれている”様に見えて、実は“流れを制御出来る位置”にある。だからこそ目立たぬ様に、しかし確実に備えた」
グレゴールはそう言って、静かに俺を見た。
「エドワルド様。今はまだ表に出ていませんが、近い内に“困っている領”と“困っていない領”の差が、はっきりします」
「……その時、うちは」
「選択を迫られるでしょう。助けるか、守るか。もしくは、その両方をどう成立させるか」
やはりこの人だ。感情ではなく、地形と流れで物事を見ている。
俺は深く息を吐いた。
「ありがとうございます。続きを聞かせて下さい。各方面、具体的にどこが一番危ないのかを」
グレゴールは小さく微笑み、地図を広げた。
「では次は、“もう誤魔化せなくなっている領”の話をしましょう」




