偽装される豊作
エドワルドは父上に呼ばれた。
このタイミングで?
まだ小麦の刈り取りには程遠い。
黒麦の件か? それとも備蓄の話か――そんな事を考えながら執務室へ向かった。
「済まなかったな。剣の練習中だったか」
「いえいえ、大丈夫ですが……しかし、如何しました?」
父上は一枚の書状を机に置き、顎で示した。
「これを見よ」
「……え?」
目を通した瞬間、言葉を失った。
「税率を……上げる!?何故このタイミングで!?」
「ふっ。若いな」
父上は小さく笑った。
「何故だと思う?」
「……」
心の中で思考を巡らせる。
去年は大豊作。各領地に備蓄はある。
それでも税率を上げる理由は?
災害?
いや、違う。災害があれば、普通は下げる。
答えが出ない俺を見て、父上は領主の顔になった。
「偽装だよ」
「……は?」
「何の為に?と聞きたい顔だな」
「当然です。そんな事をしても……」
「だからお前は、まだ若い」
父上は静かに言った。
「政治というのはな、真実より“空気”が優先される事がある。くだらぬ見栄、周囲の雰囲気、立場の保身……」
一拍置いて、続ける。
「恐らく前回の“豊作”。全部とは言わぬ」
「……!」
「一部は、豊作になっておらん」
背中に、冷たいものが走った。
「周りが豊作だ、豊作だと騒げばどうなる?」
「……普通、だとは言えません」
「そうだ。だから報告は上がらない。“皆うまくやっている”という形に整えられる」
「それで……税率を上げて、余裕がある様に見せると?」
「その通りだ」
父上は重く頷いた。
「上は、数字しか見ない。税が取れるなら問題無し。現場がどうなっているかなど、興味も無い」
俺は唇を噛んだ。
――始まっている。俺が知っている“流れ”が。
「……父上」
「何だ」
「我が領は、まだ耐えられます」
「分かっておる」
父上は静かに、しかしはっきりと言った。
「耐えられぬ領地は必ず出る。そして、その歪みは必ず波及する」
視線が、書状に落ちた。
「だからこそ――ここからが、本当の正念場だな」
その言葉は、未来を知る俺の胸に、重く突き刺さっていた。
エドワルドは、父上の言葉を反芻していた。
俺は……俺はただ、気候のせいで凶作になった――そう思っていた。
いや、間違いでは無い。
実際に冬は長く、春は曖昧で、夏は夏らしくなかった。小麦が育たなかったのは事実だ。
「そもそも、根本が違う……?」
胸の奥が、ざわつく。
凶作の“始まり”は、天候だけじゃない。
不正。保身。見栄。それが先にあったのか……?
皆が「豊作だ」と言えば、それに合わせなければならない空気が生まれる。そうでなければ、“異常”になる。
辻褄を合わせる為に……
「……無理をした、のか」
収穫が思わしくなくても、備蓄を削ってでも。帳尻を合わせる為に、小麦を市場に流した領地があった。
「あるはずだ……」
そうしなければ、“豊作”という嘘が成立しない。
結果として――本当に必要な時の備蓄を、先に吐き出してしまった。
それで……今年。凶作が来た瞬間、もう手元には何も残っていない。
「……最悪だ」
気候は引き金に過ぎない。壊したのは、人だ。
俺は知らず、拳を握り締めていた。
だから、税率を上げた……
「余裕がある様に見せる為に。助けを求めない為に。――助けを“出させない”為に」
気付いてしまった以上、もう“天候のせいだった”では済まない。
父上は……
父上は、この歪みに気付いていたから、備蓄を最優先した。
加工し、隠し、守り切った。
「……間に合って、本当に良かった」
同時に、思う。間に合わなかった領地は……
エドワルドは、これから起こる事を、はっきりと理解していた。
これは凶作ではない。連鎖する破綻の始まりだ。
そして――
それを止められる場所は、もう多くない。




