隠せぬ流れ
とは言え。
我が家は商人では無い。領主であり、貴族だ。
商売で勝つ事が目的では無い。領民を守る事、それが全てだ。
そういう意味では、目的は果たした。
備蓄は潤沢、加工も進み、領内は揺らいでいない。
この凶作の波は、確実に我が領を避けて通る。
――そう、思っていた。
だが、世の中はそれほど単純では無かった。
「溢れた小麦は、どこへ行った?」
その答えを、商人達が血眼になって嗅ぎ回っているらしい。
相場が反転した今、消えた小麦の行き先は“金の在処”そのものだ。
いくら分かりにくく、多数のルートを使って買い込んだとは言え、物は物だ。
量が量だけに、完全に消せるはずも無い。
どこかで辻褄が合わなくなる。
そして――物を追えば、いずれ行き着く。
ここに。
父上も、既に商人からそれとなく探りを入れられているらしい。
直接では無いが、
「最近、この辺りに小麦が多く集まっている様だな」
そんな遠回しな言い方で。
父上は何も答えていない。
だが、向こうも馬鹿では無い。
俺は思案する。
ここで下手に売れば、相場を動かす。
拒めば、疑念を強める。
黙っていれば、嗅ぎ回りは激しくなる。
――さて。
「如何対応するんだ??」
この一手で、我が領が“ただの豊かな領地”で終わるか、それとも“目を付けられる存在”になるかが決まる。
凶作は、まだ始まったばかりだ。
本当の勝負は、これからだった。
感の鋭い商人ほど、やはり我が領に目を付け始めている様だ。
物の流れ、量、時期――どれもが偶然で済ませるには出来過ぎている。
だが、こちらも何も考えていない訳では無い。
父上は早い段階で、お抱えの商人に指示を出していた。
「王都向けの軍用品保存食用だ」
そう話を通し、意図的に噂として流させているらしい。
軍用。
その一言の重みは、この国では絶大だ。
保存食ともなれば、量が多いのも不自然では無い。
しかも相手は王都、用途は軍。
納期や備蓄理由を詮索する者など居ない。
流石にそこまで聞かされれば、どれほど鼻の利く商人でも踏み込めない。
下手に探れば、軍需に首を突っ込む事になる。それは商人にとって、最悪の選択だ。
「……上手いな」
俺は内心でそう呟いた。
力で黙らせるのでは無い。
触れれば危険だと、自然に思わせる。
こうして我が領の倉庫は、
“王都軍用の影”に守られる形となった。
少なくとも――
この凶作が本格化するまでは、誰も手を出せない。
揺らぐ実り残った答え。
夏も終わりかけている……はずだが、今年はどうにも区切りが曖昧だ。
暑さも、日差しも、雨も。
どれも「夏らしい」と言い切れないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
そして――小麦だ。完全に育っていない。
俺の目でも、はっきりと解る。
農家達の間でも、まずい、という声は既に出始めている。
だが、不思議と恐慌にはなっていなかった。
理由は単純だ。黒麦がある。
小麦に比べれば背丈は低いが、穂はきちんと付き、実も入っている。
決して豊作とは言えないが、「普通」に育っている。
それを見て、農家達は胸を撫で下ろしていた。
「小麦が駄目でも、黒麦がある」
そんな言葉が、畑のあちこちで聞こえてくる。
中には「領主様の判断は凄いな」と、半ば感心した様に噂する者まで居た。
じゃじゃ芋はどうかと言えば、こちらは芳しくない。育ちは悪く、収量も例年より落ちそうだ。やはり、この気候の影響だろう。
ベリー類も同様だ。
花付きが悪く、実の数が少ない。
保存用に回す分は確保出来ても、余裕があるとは言い難い。
そんな中で――
俺の視線は、一つの畑に留まっていた。
「……蕪、か」
成長は去年より遅い。
だが、葉はしっかりしている。
根も、問題無く太り始めている。
決して好条件では無い。
それでも、この気候の中で「普通」に育っている。
「やっぱり、か……」
俺は小さく息を吐いた。この年、この気候、この流れ。あの時には無かった作物。
だからこそ、俺の記憶にもはっきりと残っていない存在。
だが今、目の前で答えを示している。
全てが駄目になる訳じゃない。
選んだ物だけが、生き残る。
この凶作の年は――まだ、終わっていない。
領主の元に、商人から恐ろしい情報がもたらされた。
それは噂話などではない。
複数の商人が、同じ内容を持ち込んできた事で裏が取れた。
ここから遠く離れた領地で――
税収を引き上げる、との通告が出されたらしい。
「……なっ」
思わず声が漏れた。
税を上げるという事は、余裕があるという判断だ。だが、この状況でそれをやる理由は一つしかない。
帳簿上では、まだ“問題は起きていない”と判断している。備蓄がある。今年も何とかなる。そう信じて、いや、そう“装って”いるのだ。
だが現場は違う。作物は確実に育っていない。それでも税を上げれば、農家は無理をする。売る。削る。隠す。そして――壊れる。
「これで……確定だな」
始まってしまったのだ。凶作だけでは終わらない、本当の地獄が。
我が領は、まだ耐えられる。
だが――王国全体は、これからだ。




