静かな冬支度
今年の秋は、驚くほど短かった。
夏の余韻が残る間もなく、冷たい風が吹き始め、早い冬が訪れた。
それでも、小麦の流れは止まらない。
今なお、小麦は加工場へと運ばれ続けている。
乾燥、粉砕、成形。
加工場は休む事なく動き続け、今年は例年よりも遥かに長い期間、加工を続ける事になるだろう。
一部の小麦は酒へと姿を変え、領内で消費されていった。
寒さの増す中、麦酒は人々の身体と心を温め、重苦しい話題を一時だけ忘れさせていた。
だが、エドワルドは浮かれなかった。
「……これからだ」
倉庫は満ちている。
加工は追い付いている。
資金も、まだ余裕はある。
だが、それは「今」の話だ。
この冬を越え、春を迎えた時、何が起こるのか。そして、この豊作の果てに、どんな歪みが現れるのか。
エドワルドは、すでに構えていた。
これは終わりではない。
ただの通過点に過ぎない。
早い冬の空を見上げながら、
彼は静かに、次の一年を思い描いていた。
今年の冬は、例年よりも雪が多い。
荷馬車での輸送も思う様に進まず、道の確保だけでも一苦労だ。
確かに、今年の冬は何かが違う。
前回の記憶では、ここまで雪に悩まされた印象は無かった。
いや、正確には――気づけなかったのだろう。
俺が机の上の報告だけを見ていた頃なら、
数字の遅れとして処理して終わっていたはずだ。
だが今は違う。
実際に領内を歩き、領民と顔を合わせ、声を聞いている。
雪に足を取られる馬。
止まる荷馬車。遅れる運搬。
それらを「現実」として感じ取れたからこそ、
今年の冬は明らかに異質だと分かった。
それでも、加工は止まらない。
加工品は次々と製品へと姿を変え、
小麦を吐き出した倉庫へと積まれていった。
製品になれば、保管効率は格段に上がる。
同じ場所に、より多くを積む事が出来る。
物流は滞りがちだが、内部の循環は回っている。遅いが、確実に。無理はしていない。
「……上手く回っているな」
エドワルドはそう判断した。
雪は多い。冬は厳しい。
だが、この領地は耐えられる。
そう確信出来るだけの手応えが、確かにあった。
長過ぎる冬の先に。
やはり今年の冬は、おかしい。
雪は途切れる事なく降り積もり、溶ける間も無い。
領内を回れば、領民からも同じ声を聞く。
「今年の冬は厳しい」と。
だが、その言葉の続きは決まっていた。
厳しいのは気候の話だ、と。
食料は潤沢にある。倉庫は満ち、加工場は動き続け、仕事も途切れていない。
腹を空かせる者はいない。
それでも、冬は終わりを告げる気配が無かった。明らかに去年よりも長い。
一昨年と比べても、違いははっきりしている。
皆、気づいてはいる。
だが、空を見上げても、雪を睨んでも、出来る事は無い。
だからこそ――
エドワルドは父の元を訪ねた。
「如何した?」
「今年の冬は、長過ぎます」
「その様だな」
短い言葉の応酬。
だが、その沈黙の重みは同じものを見ている証だった。
「今年の作付けの件ですが……黒麦の面積を広げませんか?」
「どれぐらいだ?」
「三分の一程度も有れば」
父はすぐには答えなかった。
机の上の書類に視線を落とし、しばし考え込む。
「……確かに」
低く、重い声。
「お前の資料を見る限り、去年、一昨年と比べても冬が長過ぎる。気候が変わり始めている可能性は否定出来ん」
視線がエドワルドに戻る。
「考慮しよう」
「ありがとうございます」
それだけで十分だった。
この領地は、もう“勘”だけで動いてはいない。
長い冬を前提に、次の一手を打つ。
それが出来るだけの準備と余力が、今は確かにあった。
確かに私自身でも、今年の冬は長いと感じている。
だが正直に言えば、数年前から続いていたエドワルドの報告が無ければ、ここまで明確に「異変」として捉える事は出来なかっただろう。
体感だけでは、人は慣れてしまう。
だが過去の資料は誤魔化せない。
降雪の期間、解け始める時期、作付けに影響した年数――
並べて見れば、変化ははっきりしていた。
エドワルドは黒麦を三分の一、と提案してきた。慎重で、現実的な数字だ。
だが――
黒麦の備蓄は、既にかなりの量がある。
加工法も確立し、用途も定まりつつある。
痩せた土地、冷え込む年、収量の落ちる畑でも、最低限の結果を出す事が分かっている。
ならば。
中途半端に様子を見るよりも、次の「もしも」に備える方が、この領地には合っている。
思い切って――
作付けの半分を、黒麦に切り替えるとしよう。
失敗したとしても、致命傷にはならない。
成功すれば、この長い冬すら、味方に出来る。
私はそう判断した。




