備える作物、使わぬ知恵
エドワルドからの書面か。
黒麦の件だな。
……なるほど。
そういう作物、という事か。
毎日、畑に足を運んでいるのは知っていた。
だが、世話をしている様子は無く、ただ見ているだけ。
最初は何をしているのかと思ったが、こういう意図だったか。
手間が掛からない。
それは人手を抑えられるという利点でもある。
だが同時に、積極的に広げる理由にも欠ける。
試食を持って来なかった、という事は――
味に関しては、察するべきなのだろうな。
「一度、食してみるか」
そう側近に指示を出す。
書面を読み返す。
利点も欠点も、包み隠さず書いてある。
判断を投げてきたわけではない。
判断材料を、全て差し出してきたのだ。
……やり方が、実にあいつらしい。
それにしても、だ。
エドワルドなら、黒麦を使って酒でも作り出すかと思っていたが、その様子は無い。
やらなかったのか。
それとも、やる価値が無いと判断したのか。
ならば――
これは私の方から指示してみるか。
黒麦は、今は使わなくて良い。
だが、無くしてはいけない作物だ。
備えとは、常に使われない事が最良なのだからな。
確かにパンも粥も一癖ある味だ。
報告通りだな。これならエドワルドが躊躇したのも理解できる。
単体で主食に据えるには、やや厳しい。
好んで食べる者は限られるだろう。
だが――
開墾したばかりの田畑で、この収量。
しかもほとんど手を掛けていない。
これは軽視できぬ。
料理人からも話を聞いた。
命じられたのは「パンと粥を作れ」それだけだったらしい。
味の調整や工夫までは求められていない。
ならば、だ。
小麦と混ぜたらどうなる?
全量を黒麦にする必要は無い。
三割、二割――いや一割でも良い。
香りと酸味を抑えつつ、量を増やせるなら十分に意味がある。
非常時の嵩増し。不作年の緩衝材。それだけでも価値はある。
よし。
料理人に指示を出しておこう。
黒麦と小麦を混ぜた配合で、パンと粥を作れ、と。
結果次第では――
この黒麦、表には出ぬが、確かな“保険”になる。
預かりし種、次へ。
父上から黒麦の件で声が掛かった。
どうやら、既に口にしたらしい。
細かな感想までは聞いていない。
ただ、一つだけはっきりした事がある。
黒麦の件は、父上が預かる――そう決まった。
開墾したばかりで、小麦の収穫量が安定しない田畑。そこに黒麦を入れる方向で進める様だ。理に適っている。あの作物は、土地を選ばない。
既に種麦も注文したらしい。動きが早い。
収穫した黒麦も、どうやら単に食用にするだけでは無い様だ。
詳しくは聞かされていないが、父上なりの算段があるのだろう。
これで、俺が直接抱えていた案件は、また一つ減った。
畑を見て、考えて、試して、結果を出して、後は引き渡す。
最近は、それの繰り返しだ。
悪くない。むしろ、理想的だ。
余計な責任を背負わず、先だけを示す。
後は大人が形にする。
気が付けば、俺の手はかなり空いている。
さて――
次は、何に目を向けるべきか。
少し、ゆっくり考える時間が出来た様だ。
今年の小麦の収穫量が、正式に確定したらしい。
その知らせを聞いた時の父上の様子で、結果は察しがついた。
――相当、良い。
あれほど機嫌が良い父上は久しぶりだ。
数字を見て納得した時の、あの表情。
間違いなく想定を上回っている。
各村々の倉庫は、今や溢れんばかりだという。
改修や新設を進めておいて正解だった。
それでも収まりきらず、溢れた分から順に領都へ送り込んでいるらしい。
段階的な保管体制が、ここで生きている。
村の倉庫、領都の第二倉庫、加工場の倉庫。
どこか一つが限界を迎えても、次が受け止める。
人も馬も忙しく動いているが、混乱は無い。
事前に準備していたからこそだ。
この光景を見ていると、胸の奥が少しだけ軽くなる。
不安は完全には消えないが、少なくとも今は――
やれる事は、やり切ったと思える。
さて。この豊作が、何を連れて来るのか。
それを見届けるのも、また俺の役目なのだろう。




