量ではなく質を
調査官の視察は、想像していたよりも静かに進んだ。
加工場では稼働の様子を一通り眺め、作業に口を挟む事も無い。
倉庫では保管量と区分を確認し、記録官が淡々と数字を書き留めていく。
畑では作物の種類と作付けの広がりを見て、時折、短く質問を投げるだけ。
「活気がありますな」
責任者の調査官は、そう一言だけ言った。
誉め言葉なのか、事実確認なのか、その中間か。
父は頷き、特に補足もしない。
余計な説明は不要だと、互いに理解している。
調査官は歩きながら、ぽつりと漏らした。
「例年、大豊作というのは不安定なものです。量が増えれば、必ず歪みも出る」
父は少し間を置いて答えた。
「ですから、量だけでなく、処理と保管を優先しました」
その言葉に、調査官は小さく目を細めた。
「……賢明ですな」
その視線が、一瞬だけ俺に向く。
やはり、気づいている。
だが、何も言わない。
今は聞く側であり、判断する側でもあるからだろう。
視察の終わり際、調査官は父に向き直った。
「書面は後日、提出をお願いします。特に加工品の流通先と、倉庫の分散状況を」
「承知しました」
それだけだ。
馬に乗り、調査官達は王都へ戻る準備を始めた。
去り際、責任者の調査官がこちらを見て、ほんのわずかに口角を上げた。
試す様な、確かめる様な笑み。
量だけで押す時代じゃない、か。
その言葉は、こちらにも向けられている。
だが問題無い。
量は確かにある。
だが、それを支える「形」も、今は揃いつつある。
父は調査官の背を見送りながら、静かに言った。
「思ったより早かったな」
「はい。でも、想定の範囲です」
そう答えると、父は一瞬だけこちらを見て、何も言わずに歩き出した。
王都は、もうこちらを見ている。
だが、まだ手を伸ばしてはいない。
今はただ、観察の段階。
ならば、こちらも次の一手を考えるだけだ。
嵐の前か、それとも単なる確認か。
それを決めるのは、これからの動き次第だろう。
春はまだ始まったばかりだ。
一先ずこれで、ひと段落だ。
調査官が去り、領都には再びいつもの空気が戻ってきた。
ざわついていた使用人達も、工房や倉庫の者達も、それぞれの持ち場へ戻っていく。
大きな指摘も無く、詮索も無かった。
書面の提出はあるが、それも想定内。
表に出せない物は無く、隠す必要も無い。
――やり過ごす事が出来た。
少なくとも、今は。
父もまた、肩の力を抜いた様子で執務へ戻っていった。背中が語っている。
「問題は無い」と。
俺は庭を一回りして、畑の端に立った。
風に揺れる葉の音が、妙に心地良い。
畑は畑として、倉庫は倉庫として、加工場は加工場として。
それぞれが役割を果たしている。
誰かが無理をしている様子も無く、無茶な指示も飛んでいない。
ただ、淡々と日常が回っている。
それが一番、難しくて、一番強い。
「……これでいい」
口に出して、そう呟いた。
大きく変えなくてもいい。
無理に進めなくてもいい。
今は、この流れを保つ事が何より重要だ。
王都の視線も、一旦は離れた。
領内も落ち着いている。
これで、いつもの日常が戻って来る。
朝は畑を見て、昼は工房や倉庫を覗き、夕方には報告を聞く。変わらぬ日々。
だが、それでいい。
その「変わらなさ」を守る為に、ここまで積み重ねてきたのだから。
俺は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
さあ、次は何を考える?
……いや、今は考えなくていい。
今はただ、この静かな日常を味わおう。




