41 ロッテのお使い その一
ロッテが回復してからエミーリエとアンネリーゼは話し合って彼女が少しでも自分の力で生活が出来るように彼女にここでしばらく生活して、新しい生活の為にいろいろなことを覚えてもらうという話をした。
彼女は素直に受け入れて、別館の侍女たちと行動を共にすることを了承した。
しかしエミーリエもアンネリーゼも今まで箱入り令嬢だったロッテが必要以上につらい思いをしないように陰からこっそり見守る日々が続いていた。
ほかの侍女たちは気が付いている者も多かったが、そこは何も言わずに拙いロッテに気遣った対応をしてくれている。
ある日は、本館へのお使いを頼み、その少し後ろをついていってエミーリエはこっそり柱の陰から見つめて、ベーメンブルク公爵への届け物の書類を大事に持って運ぶロッテを見つめていた。
「あ、ロッテだ!」
そんなロッテのところに暇を持て余したヨルクがトテトテと寄ってきて、ロッテはしばらく考えた後、丁寧に頭を下げた。
「ヨルク様、ごきげんよう」
「ごきげんよう。本館の方に用事なの?」
「うん。これをね、ベーメンブルク公爵様に届けるように言われているの!」
そう言ってロッテはびしっとその書類を示して、ヨルクはその書類をまじまじと見つめる。
「へー! ロッテは子供なのにお仕事を任されてすごいんだね!」
無邪気にそういって、ニコニコ笑った。
その言葉にロッテもなんだか自慢げになって、そうでしょうとばかりに胸を張ってぎゅっと書類を抱きしめた。書類はぐしゃっと音を立ててちょっとまがった。
「そんなことないわ。これは私にとってもいい勉強? になるってエミーリエとアンネリーゼに言われてるから、私頑張ってるだけ!」
「あ……それ……ロッテ、曲がっちゃったよ」
元気に返したロッテに、ヨルクはその様子を見て書類がへしまがって変な跡がついたことを指摘した。
言われてからロッテは気が付いた様子で、少し固まってから恐る恐る自分の腕の中を見た。
「…………」
「誰から頼まれたの?」
「……エ、エミーリエ」
「エミーリエの書類って大事なものじゃないの?」
「……だ、大事なもの、よ」
「曲がっちゃったね」
「…………」
ヨルクに受け答えをしつつも、ロッテは皺のついた書類を掲げてみる。やっぱりいくら見てもその書類は曲がっている。
「…………ど、どどどっ、どうしようっ。う、ううぅ、こんなの簡単なお仕事だからきっと大丈夫だってエミーリエに言われて、大切に持ってきたのに!」
「そうだよね。大丈夫ほら、ピシッと! ピシッとすれば大丈夫だよ、ロッテ!」
彼らはものすごくその事態を深刻に受け止めている様子だったけれど、流石のエミーリエもそんなに重要な書類をロッテに任せたりはしない。ほんの些細な読めれば問題ない程度の報告書だ。
……そうですよ。ロッテ、ヨルク、少し手でならせば問題ありません。大事ないですから……。
エミーリエは二人を柱の陰から見守りながらそう念をおくる。
しかし、子供である彼らにとっては書類の重要性などわかるものではない。ロッテは慌てて一番近い廊下の壁に押し当ててきれいにしようと力を込めた。
「うんっ、こうやって、こうしてっ」
「あ、ちょっそんなに急いできつくやったらっ!」
焦ってググっと押し付けて、力任せに引っ張るロッテ。その先の展開をヨルクは察することができたらしく止めようとした。
しかしその制止も意味をなさず、書類はびりっと音を立てて三分の一ほど破けた。
「ああっ!! あっ、あ! 破けた、破けた!! なんでこんなに簡単に破けるの!!」
ロッテは何故か紙の弱さに怒り出し、その混乱と怒りの半分をヨルクに向けた。
「え?! 僕?! 僕悪くないよ?!」
「そんなの分かってるの! でも破けちゃったじゃないっ、どうしたらいいのよぉ!」
「ええー……聞かれてもわからないよ。そのまま父さまのところにもっていったら? 途中で破っちゃったっていえばいいよ」
ロッテはすでに混乱状態になっているらしくその書類を持って顔を真っ青にしてプルプルと震える。
ヨルクの提案はもちろん正しい、読めればいいのだ。問題ない。ベーメンブルク公爵はそんなことで怒るような人ではない。
しかしロッテにとっては挨拶に一度顔を出して、決して粗相がないようにとアンネリーゼに言われている相手だ。ヨルクは自分の父だからそんなふうに言うけれどそれでいいわけがないと考える。
「それは、ヨルクのお父さまだから、そんなふうに言えるのっ。これじゃダメなのっ! エミーリエからお願いねって言われたのにこれじゃあ怒られちゃうっ」
「素直に言った方がいいと思うけど……」
「だって怒られたら、どうしたらいいのぉ、どうしたらくっつくの……直して持って行かないと」
次第にロッテの声は動揺を隠しきれなくなり、ついには涙声になって手に力が入り、さらに書類は握りしめた跡がつく。
ヨルクに敬称をつけなければいけませんといった、エミーリエの教えも混乱から頭からすっぽ抜けた様子だ。
「あ、ああ~……もっと汚くなってる、ぐしゃぐしゃだよ。ロッテ」
「なんでよっなんでぇ、ふえっ、なんでそんなこと言うのぉ、っ」
「僕のせいなの……??」
エミーリエはそんな様子の二人を見て、柱の陰で額を抑えて沈黙した。
ロッテがものすごく甘やかされて、あまり打たれ強くない事はわかっていたし、何もできないというほどではないにしろ、お使いを頼めるかどうかぎりぎりという教育のなっていない子供だとは理解していた。
だからこそ教育期間を設けた方がいいだろうという話になったし、時間もかかるはずなので最長で三ヶ月ほどは、いろいろなことを体験させて成長してもらおうという話になった。
それにしても最初の段階とはいえ、これほどとは想定外だ。
……どうしましょう。ヨルクにも悪いですしロッテにきちんと書類はそれほど重要なものではなかったと説明して場を治めましょうか…………?
エミーリエは一度そう考えた。
しかしそれではロッテは自分で何とかするという事を覚えることができない。教育すると決めたのだから、自分の気持ちだけで甘やかすことなどあってはならないのだ。
それではフォルスト伯爵たちと同じだ。時には心を鬼にして見守らなければ。
そう思い直した。しかしとはいっても、書類はすでにぐしゃぐしゃになり、ロッテはついに泣き出してしまった様子で、ヨルクはそれを見て若干面倒くさそうな顔をしている。
……ヨルクにも申し訳ないですね。
心苦しい気持ちになりながらもその場を見守っていた、すると彼は、若干自分のせいにされて腑に落ちない気持ちがありつつも「もお。しょうがないな」と言い、ロッテの手を引いた。
「蝋燭でくっつけたらいいよ。手紙の口をくっつけるためにみんな使ってるでしょ。白いの使えばそれもくっつくよ」
「……ほ、ほんと……?」
「うん。多分、イザークに頼めば良いよっていうと思うから!」
そう言って二人は目的地のベーメンブルク公爵の私室ではなく、エミーリエたちが仕事で使う執務室の方へと向かっていく。
それにエミーリエは流石に、そう言う用途ではないから無理なことをわかっていても、止めることなどできずにこっそりと彼らについていく事しかできないのだった。




