36 愛情のバランス
ユリアンが承諾してくれたとしても、実質的にこの場所の主はベーメンブルク公爵だ。エミーリエは本邸の彼の元へと足を運び、事情を余すことなく説明して、彼女の生活費を差し引いて、給金を出してほしいという申し出をした。
すると彼も快く受け入れてくれて、深くは尋ねてこなかった。
滞在期間は回復するまでの間という話だったが、それ以降のロッテの行き先については、アンネリーゼと話し合っていく必要があるだろうと思っている。
……それにしても、フォルスト伯爵とエトヴィンは本当に救いようのない人々ですね……。
ロッテはたしかに愛らしい、しかし色々なものを犠牲に生まれた彼女だとしても、そもそもの生活の基盤がきちんとしていなければ幸せにすることなどできないはずだ。
そう言う事情をまったく抜きにして愛したいようにだけ愛するだなんて、それは幼稚ではないだろうか。
……といっても、生活の向上や未来の事ばかりを考えて、本人の意向を知らずに愛情を向けるというのもまた、傲慢ではありますが……。
エミーリエの頭の中にあるのは、フリッツ王太子の事だ。彼のユリアンに対する気持ちは有用性を示し続けてこれなら、彼も喜ぶはずだという確信の元に愛情を示していた。
しかし、それはジークリット王妃が言っていたように少々欲張りだ。
全部を良くしていくことで結果的に愛情も必ずついてくるはずだと信じて疑わない。時には停滞して向き合うことだって大切なはずなのだ。全部を欲張り過ぎてはいけない。
……そう思うと必要なのはバランス感覚なのかもしれません、対処して変えていく力と、きちんと内側の人間を愛すること。簡単なように見えて難しい事ですね。
エミーリエはそんなふうに考えて一つため息をついた。
するとそばにいたヨルクがふとこちらを見上げて、聞いてきた。
「ねぇ、エミーリエ、やっぱり魔法を使うと疲れるの?」
「……そうでもありません。一気に怪我を治すとなれば大変ですが、体の回復を助けているだけですから」
そう言ってエミーリエは自らの水の魔法が額の上に乗っているロッテの頭を軽く撫でた。
ヨルクはロッテの話を聞くやいなや、興味津々といった様子で、看病に付き添っていた。
あまり面白い事ではないと思うのだが、何故だか彼はロッテを見つめているだけなのに退屈そうではなかった。
「そうなんだ。僕は危ないからあまり魔法を使うなって言われてるけど、水の魔法ならよかったな」
「水の魔法でも危ないので止めた方がいいですね……家庭教師の方がいるときに適切に使ってください」
「え~? やっぱり駄目なの?」
「はい」
ヨルクはエミーリエの水の魔法をちょっとつついて、ニコニコとしている。
エミーリエのような魔力があまり多くない魔法を持っている人間は普通に練習をしても問題はないが、ヨルクや、フランクは別だ。
基本的に、貴族は魔力を持っている。
その魔力は魔法道具を通して色々なものに使うことができる。生活水を生み出したり、かまどに火を入れたり、魔獣避けの結界を張ったり、人が生きていくために必要な魔法だ。
しかし、その中でも身分が高くなってくると、魔法を持って生まれる人間がいる。
四つの属性に分かれていて、大体一つの属性を持っていれば自衛もできるし働き口もあるし、魔法使いや騎士の仕事にも就ける。
ヨルクたちはその中でも王族なので魔力量が多く、魔法も持っている。となると下手に魔法を使うと危険なのだ。
「ところでこの子って、エミーリエのなんなの?」
ヨルクは次にロッテに興味を持ったらしく、エミーリエにそう尋ねてきた。
関係性は、ややこしいのでエミーリエの知り合いの子供というふうにぼかしていたがやはり気になるのだろう。
エミーリエとは髪の色も顔つきもまったく違う、眠っているだけで可愛らしい女の子、親戚ではない事は一目瞭然だ。
「……この子は……ロッテは……」
しかしなにと聞かれると、すぐに答えは出てこない。
……私にとってロッテは何なのでしょうか。
「妹のように思っていた……というのも違いますし、しかし一緒に暮らしてその成長を見守っていました」
「え、一緒に暮らしてたんだ」
「はい。ここに来るまでは」
「じゃあ、妹じゃなくても家族?」
「…………」
ヨルクは無邪気な笑みでそう聞いてくる。
……家族……。
その言葉に、はいともいいえとも言えないエミーリエは、ただ静かにヨルクの頭を撫でて何とかごまかす。
彼は、エミーリエが答えづらいと察したのか、それ以上は聞かずに、素直に頭を撫でられるのを受け入れてくれたのだった。




