31 初恋
いうなればユリアンは、調子に乗っていた。
浮かれていたともいえる。王子として生活していた時より格段に自由な生活、カルシア王国にいた時には公務もあったし、昔からの儀式などを兄はすっぽかすことも多かった。
そのしりぬぐいの為に出席すれば、食事に毒を混ぜられていたり刺客に襲われたりした。
しかし、もうそんな自分に向けられたわけでもない悪意に傷つけられることもないのだ。
ただ自由に想定していた通りに穏やかな日々が過ぎていく、だからこそエミーリエとのことは、このぐらいは大丈夫だろうと心の中で深く考えずに、関係を結んでいた。
別館で恋人みたいな生活をしておきながら、自分からは何も言わないし、エミーリエだって何も言わなかった。
それに甘んじて、ただ彼女が受け入れてくれることがうれしくて浮かれて、実際にはどうするかなどまるで考えずに彼女と生活していたのだ。
しかし彼女はそれを逆手にとって、ユリアンが王城に帰らなくてもいいように、家族愛を引き合いに出したフリッツに、真実の愛を引き合いに出してユリアンを引き留めてくれた。
……女性にあそこまで言わせてしまうなんて……私、まだ一度だってエミーリエに愛しているといった事すらないのに……。
それでも彼女はまったく躊躇なく、未来を誓い合い、お互いしかいないと望み合った仲だと言い放ったのだ。
それはどれほど決意のいることだろうか。
それに今までの生活で、きっちり言葉にしないで察してくれとばかりに別館での生活を提案したユリアンに、エミーリエは不安だったのではないだろうか。
兄のようにはなるまいと思いながらも自分だって人の気持ちを考えられていない。
兄の事をあんなふうに言っておきながら何たる失態。
そう思うと堪らなくなって、ユリアンは両手で顔を覆ってわああ~! と大きな声を出したくなった。
しかしそれは流石に優雅ではない。なによりアウレールも驚いてしまうだろう。
王都に向かう狭い馬車の中で、ユリアンは目をつむるだけにとどめて、思考を切り替えようとした。
すでにやってしまったことは変えようがない、ならばこれからだ。
そうはいっても、エミーリエとはそれから当たり障りのない話しかしていない。なんせ時間がなかったし、これからの事をこちらからも告白して話し合うには心と時間に余裕をもってしっかりと話したいそう思ったのだ。
だから王都から戻ってから話をすることになる。しかしそれではアレから少し時間が空いてしまう。戻ってきてわざわざその話題を切り出すのは少し気力のいることだ。
「……やはり、エミーリエ様へのお土産に買って帰るアクセサリーは、指輪が妥当でしょう」
どんなふうに切り出してどういう会話をしようかと考えていると、ふいにアウレールがぽつりと言った。
その言葉にユリアンは目を丸くして、そういえば出発前にそんな話もしていたっけと思い出す。
……それにしても指輪……というとやはり結婚……プロポーズ……。
「そ、それは早計ではありませんか? 彼女は私を助けるためにあんな大きな事を言ったのだと思いますし、それで舞い上がったように結婚の申し込みをするなんて真に受けていると思われかねませんっ」
「それでは、エミーリエ様のお言葉は本心ではなかったと主様はお考えなのでしょうか」
「……それは……」
質問で返されて、あの言葉のエミーリエの真意について考えてみる。
もちろん本音であり、それを兄上からの提案を避けるために大袈裟に言ったというのならばユリアンだってプロポーズぐらいするのが自然な流れだ。
きちんとした告白も交際の申し込みもしていないのに、あんなふうに言ってもらって当然という顔をするわけにはいかない。
しかし、ただユリアンが困っているから情けで、選択肢を提示するという意味だけで言ってくれた可能性もある。
そう言う思いで言った言葉を、真に受けてユリアンがプロポーズなどしてもし嫌がれたりしたら、とても苦しいしエミーリエとの今の関係を壊すことになってしまう。
「…………わかりません。エミーリエが本心で私の事をどう思っているのか、皆目見当もつきません」
「さようでございますか。ご婚約者様とはそれなりに良好な関係を築かれていたと思いますが、その関係性などは参考にならないのでしょうか」
……アウレール。珍しく踏み込んできますね、それほど私が焦れる様な行いをしていましたかね。
ユリアンは珍しく口出しをしたアウレールに自分の行動を鑑みてみたが、たしかにはっきりしない男の典型だった。もっときっちりはっきり男らしくしなければならないだろう。
「彼女とは完全に政略結婚ですから、実際の恋愛など、日々の仕事の方が優先で恋愛などしたことがありません」
「……そうでしたか、あの方の時は、平然とプレゼントのやり取りや婚約などされていましたから、主様がこれほどエミーリエ様に対して奥手になることに若干の疑問がありました。
しかしそう言う話でしたら、自分は何も言わずにいましょう」
そう言う話ならば、いくらかの助言をしてくれるのかと思っていたが、そうではなくアウレールは静かにピシッと背筋を伸ばして座っているだけで黙ってしまう。
「そこは、何かこう。有用なアドバイスをくれる場面ではないんですか?」「……いえ、初恋に向き合って奥手になったり考えすぎたりする年相応な主様に、一足飛びに行動をしてしまうようなアドバイスをすることなどありません。
ぜひ、ゆっくりと悩まれたらいいのではありませんか。今は苦しい悩みだとしてもしばらくして歳をとると、若かったなと微笑ましく思う時がきますから」
「……それは……そうでしょうけれど」
「……」
たしかに、まだ十代のユリアンの初恋の問題など、アウレールからしたら可愛い苦しみで、若さゆえの青さみたいなものにうつるのだろうけれど、しかしそれは傍から見ているから儚いものに見えるだけであって、実際問題ユリアンは間違いたくないのだ。
彼女に嫌われたくない。
彼女はあんなに勇気を出してユリアンを助けてくれたというのに、拒絶されるのが怖いのだ。
ユリアンは自分はある程度、肝が据わっている方だと思う。神経が細い方ではない。
しかし、何故だかエミーリエの事に関しては色々な言い訳が思い浮かんで、身動きが取れなくなってしまう。まさかそれが恋だとでもいうのだろうか。
……だとすれば厄介すぎるではありませんか。嫌われたくはありませんがこのまま何もしない事、言わない事は確実に、気持ちが離れる第一歩になるでしょう。
だから何かしなければいけないのに、またユリアンは思い悩んで王都への道のりを進んでいくのだった。




