30 家族公認
フリッツ王太子はユリアンから言われた苦手という言葉から、以降口を開かなかった。
なんだか大人なのに拗ねているような様子で、本当に今までそういう事をユリアンにはいわれずにいたのだろうとエミーリエは思った。
……それにしても、自分はアレだけ、ユリアンを追い詰めることをしていて嫌われていないと本気で思っていたというのはすごい事ですね。
そう思ったけれどよく考えて少し訂正した。
……いえ、実際に嫌ってはいなかったのでしょう。しかし誘拐されたり毒を盛られたりする生活は、よっぽど精神をすり減らすでしょうし、一緒にいるのに向いていなかっただけですね。
エミーリエ自身も今までの生活はいろいろと苦労も多かったし大変だった。しかしユリアンの大変さは、まったくベクトルの違った命に係わる危機だったのだろう。
そしてその要因を作ってくるのはいつも強く当たることができない兄。
称賛され、その地位を認められていることを尊敬しつつも、彼を変えることができない以上は、平穏を求める気持ちが強くなるのも納得がいく。
フリッツ王太子はその事実を知って、今はどんなふうに思っているのだろうか。
分からないけれど荷物を回収することはあきらめた様子なので、無理に連れて帰ることはないだろう。
それに王都では少しぐらい時間があるはずだ。何かしら会話をして、気持ちよく彼ら兄弟が別れられたらいいなとエミーリエは思っていた。
しかし、王都に発つために改めて出発の準備をしているとき、エミーリエは突然呼び止められた。
「エミーリエ、少し顔を貸せ」
不服そうなフリッツ王太子は、深緑の瞳を鋭くしてエミーリエにそう声をかけた。
丁度準備を見守っているユリアンもエントランスホールにいたが、特に声をかけることもなく彼について客間へと続く廊下をついていった。
ある程度、馬車に食料などの準備をしている使用人たちから離れた位置で、フリッツ王太子は振り返り、彼はエミーリエを見定めるようにじとっと見つめてくる。
「……どういったご用件でしょうか」
「……」
「……あの」
不機嫌そうなその瞳にたじろいでいると、彼は腕を組んで、たっぷり間を置いてから言った。
「とても短期間で、完璧に男を魅了するようなとんでもない美貌を持っているようには見えない」
なにを言うかと思えば、エミーリエの外見についてだった。
もちろん自分だってそんなふうではないと自覚しているし、きっと美人は美人で大変だと思う。ロッテのように。
だからそんなものは欲しいとも思っていない。
「持っていませんから、見えないと言われましてもその通りですとしか申し上げることができません」
「受け答えも……普通だな」
「……そうですね、普通に話していますから」
何と答えたらいいのかわからなくて、エミーリエは首を傾げつつもそう言う。
すると彼は口元に手を当ててさらにエミーリエを見つめる。
「クソ……こんな何も特技がなさそうな普通の令嬢より俺が魅力的じゃないって事なのか? 俺だったらどんな貴族も国もユリアンの為なら手に入れてきてやるのに」
「……」
フリッツ王太子は昨日の件があっても方向性が間違っている方向に努力をしようとしているらしい。
ユリアンはきっと、手に入れようと周りを振り回して行動を起こすよりも、朗らかに一緒に過ごした方が普通に好感度が上がる普通の人だ。それは結局伝わらなかったのかと思う。
「ああ……でもそれにあいつは価値を覚えてくれないんだったな……」
けれど続けて言われた言葉でそうではないと悟った。
昨日のユリアンの言葉で、多少は彼が好むものについて、少しは理解できたのかも知れない。
「はぁ……それでも俺は、多少の犠牲がなんだっていうんだと思うが……まぁいい、そんなことよりエミーリエ」
「はい。なんでしょうか」
「俺の前であれだけの大口をたたいたのだから、心変わりをしてユリアンをこの地に一人残すようなことになってみろ。ユリアンが許しても俺は許さない」
……それは娘の旦那などに言うようなセリフではないでしょうか。
女性にそれを言う男の人はあまり見たことがない。
「ん? いいや、やっぱり前言撤回だ。一人残す前に連絡をよこせば、俺がユリアンを生涯面倒見てやるから、安心しておけ」
「流石にそのようなことはしません」
「そうか! 良い心掛けだな!」
「ありがとうございます」
「…………」
エミーリエは情緒が少し不安定なフリッツ王太子に微妙な顔をしつつも、話をそろそろ終えようと考えていた。
彼の後ろにいる護衛騎士が、やっぱりジークリット王妃と話をしたとき同様ぎろりと鋭い視線をこちらに向けているからだ。
しかし彼は煮え切らない態度で、少し考えて、エミーリエがそれを疑問に思っているとしばらくしてから、やっと口を開いた。
「……ああそれから、今回の件では迷惑をかけた。外堀さえ埋めておけばあいつは仕方ないなんて言いながらも戻ってくると思ってたんだ。……でもまさか、俺が嫌で、苦手だっていうんならどんなにいろんな提案をしたって戻ってきたくないよな……。
……まぁ、女性からあのような言葉を言わせてしまう男ではあるが、ユリアンは気立てが良くていいやつだ。俺が大切にするぐらい。
だから手間をかけるが支えてやってくれ」
最後に兄らしいことを言って、エミーリエが返事をする前に彼は「では、失礼する」と言って勝手に去っていった。
……支えるもなにもユリアンがつぶれそうになるぐらい負担をかけている人は私が知る限りはあなたが初めてです。
彼の言葉にあなたがそういうのか、と微妙な気持ちになったが、その言葉は飲み込んでひそかにエミーリエとユリアンの間柄が家族公認になったことを心の中で喜んだのだった。




