20 思い出の味 その一
とある日の事、エミーリエはベーメンブルク公爵に呼び出されて彼の執務室に伺った。
すると、彼の侍女が恭しく小箱を運んできて、エミーリエに向かって開く。
「家族のいざこざに君を巻き込んでしまって申し訳なかったね。私も何も言わずに彼女の形見を君に渡したりして……そこはフランクにもヨルクにも怒られたよ」
ベーメンブルク公爵はなんだか少ししょんぼりとしてそう言った。
その様子に、きちんと家族同士でコミュニケーションが取れているのならよかったとエミーリエは思う。
「いえ、私の方こそすぐに察せず申し訳ありませんでした」
「いやいや、流石にそんなことまで望んだりはしないさ。それに、今回は君に謝ってもらうために来てもらったんじゃない。
息子たちも少しずつ安定してきているようだし、今までの迷惑料とこれからの手間賃としてこれを受け取っておいて欲しい」
そう言うと侍女が前に一歩進み出てそこには、高級な布で作られた小袋が横たわっている。
もちろん中身は金貨だろう。
エミーリエの連れていた侍女のフェーベは、窺うようにエミーリエを見た。
「……ありがたく頂戴します。これは、彼らが遊びに来た時などに出す茶菓子代などに使わせていただきます」
「ああ、どんな用途でも好きにしてほしい。……たまにはユリアン様と屋敷の外に繰り出すのも手だろうしね」
「そうですね、提案してみます」
エミーリエがそう言うと、フェーベはおっとりした笑みを浮かべて箱ごと受け取り丁寧に閉じる、エミーリエはそんな会話を最後に部屋を出た。
ヨルクやフランクとは打算のない関係を築いているつもりなので、こう言った物を受け取るのは拒否する場合もあるのだが、相手が上司であり、仕事上の関係だからこそ受け取った。
利害関係の上にできている人間関係を崩して親類などになるつもりはないとフランクにも示しているし、その筋を通すためにもお礼として金銭をもらうのは間違っていないように思う。
「わぁ……エミーリエ様、重たいです。これ、いったいいくら入ってるんでしょう」
「……そうね、帰ったら開けてみましょう。よく働いてくれているあなた達にもなにか贈り物をしますよ」
「いいんですか……でも、私、まだまだアメリーやカーヤに怒られることも多いですから、お茶菓子のあまりとかでいいです……」
彼女はおっとりしているので注意されることがままある。しかしそれにしても公爵家務めの侍女が、お茶菓子の余りがたまの贅沢とは少々わびしい。
それに、うまくやれずとも頑張っているだろう。その気持ちが大事なのだ。
「そんなことありません。頑張っているではないですか。……けれど、私以外に仕えるときは、金銭については要求していると思われるときがあるので言及しない方がいいかもしれません」
そして頑張っているからこそ、ほかの誰に仕えても怒られないように注意喚起しておくのもエミーリエの役目だ。
「ハッ……そうですよね。大変失礼いたしました。エミーリエ様」
「いいえ、気にしていません」
エミーリエは目を細めて返す。
……それにしてもお菓子ですか……。
そういえばヨルクとの約束もあるし、そろそろフランクとも打ち解けてきた挑戦してみてもいいのではないだろうか。
そう考えてエミーリエは、お菓子の材料として思いつく限りのものを大盤振る舞いで発注したのだった。
「こちらが奥様が残したお菓子のレシピでございます。……しかし本当によろしいのですか? あまり詳細に載っていないですし、同じ味になるかどうか……」
グレータはベーメンブルク公爵夫人の遺品の中から、お菓子のレシピを探してきてくれた。
その中でも一番簡単であろうクッキーを作りたいと思っている。
しかし、個人が自分の為だけに残しているレシピとなると、本のようにあまり詳細には記載がない場合が多い。
グレータはそれについて心配している様子だった。
「はい。同じ味にならなくても、どんなふうに違うかを聞いて作り方を調節してみます。たくさん材料を買って料理人にもいくつか製法を聞いておいたので、準備は万端です」
「……そうですか。ありがとうございます、エミーリエ様。もし製法がわかりましたら教えてください」
「もちろんです。さて、頑張りましょう、ヨルク」
「うん! エミーリエ」
彼も元気に拳を握って、母の味を再現するためのお菓子作りが始まった。
粉をふるって、バターを混ぜて、石窯の温度を調節して、エミーリエはぱたぱたと動き回って、時にヨルクに手伝ってもらって、三種類ほどの作り方でクッキーを作っていく。
さっくり混ぜたり練るように混ぜたり、お砂糖をバターが白くなるまで混ぜたり、どれも美味しくなるはずだけれど、ちょっと違えば食感も味も変わる製法だ。
グレータに同じ味にはならないだろうと言われて、もちろん大丈夫だと返したけれど、エミーリエはやるからには本気だった。
この三種類で成功しなくとも、当てはある、今日中にはきっと彼らの思い出の味を再現することが出来るだろうと踏んでいた。




