18 ロッテと母
ロッテは、アンネリーゼの支えもありなんとか自分の気持ちを立て直すことができた。
たしかに父と兄は少し話が通じないかもしれない、けれどもそれでもロッテを好きでいてくれてロッテだってたくさん甘やかしてもらった。
そんな人たちを変な生き物だなんて言って、理解できないって決めつけるなんてよくないだろうと思ったのだ。
なのでアンネリーゼを伴い自分の部屋から出て、荒れている屋敷の惨状をなんとも言えない気持ちで見つめつつ、父の部屋へと向かった。
すると、珍しい事に母がいた。
……お母さま……。
お母さまはなぜか大きなトランクを持っていて、外出用のドレスを着ている。しかしどうしてこんな日も暮れたような時間に出かけようとしているのだろう。
疑問に思ってロッテはぱたぱたと彼女に駆け寄った。
「お母さま! どこかにお出かけなの?」
彼女に気が付いてもらおうと少し大きな声を出して駆け寄る。するとお母さまはロッテに気が付いてそれから微妙な顔をした。
「ロッテ……」
ロッテの名前を呼んでその場にとどまる彼女に、ロッテは矢継ぎ早に言った。
「お母さま、これからお父さまとお兄さまを呼んで、また領民の皆の為にどうしたらいいか、話し合おうと思うの! お母さまも一緒にお父さまとお兄さまを説得してほしいのよ。
皆、私たちだけとっても裕福な生活をしてるから怒ってるんだわ。
だからちょっとでも助けてあげられたらいいはずっ。
お母さま、帰ってきたらすぐに私に声をかけてね」
ロッテは、実は母とはあまり交流がなかった。
もちろん優しくてロッテの事を大切にしてくれる家族なのだが、父と兄が主にロッテの色々なお願いを聞いてくれるけれど、母はいつも微笑んで頷いているだけだ。
けれども実の母なのだ、この状況に、娘であるロッテと協力して、兄と父を変えていこうと手を取り合うのはなんらおかしくない。
しかし母は、エミーリエがいなくなってからというもの、とても影が薄かった。
だから頼ろうとは思わなかったけれど、彼女だったらわかってくれるはず、そう思ってロッテは、自分を見下ろしてくる母を熱心に見つめた。
「……」
しかし、その目線はいつもとは何か違う気がした。
「……ロッテ。それはとても素晴らしい事だわ。それは、もう。あなたってば、こんなに立派になったのね」
「そ、そうでしょ? 怖い事も、つらい事もたくさんあったけどでも、私、頑張って━━━━」
「でも、ああ嫌だわ。やっぱり私、あなたと接しづらいのよ」
お母さまはロッテの言葉を最後まで聞かずに、なんだか吐き捨てるようにそう言った。
笑みはいつもと同じで、口角をあげて目を細めている。それはよく見知った母の姿だ。
「……そもそも、あなたが生まれたら、こんなに第二子を望まれる生活も終わって、ゆっくり子育てできると思っていたのに。
なんだって、あの人たちはあなたを全力で甘やかしているのかしら。
私はまったくもう、見当もつかない。私だって何度も言ったわよ。おかしいって、異常だって、エミーリエの件だってそう、たしかにあの子には身寄りもなかったし後ろ盾もなかった。
でも仕事は出来たわ。フォルスト伯爵夫人として何も問題なかった。
それなのに、あなたが産んだ子供を跡継ぎにした。誇らしさを味わってもらいたいって、何なのかしら。
女として最上級の幸せを、与えてやりたいんですって」
ロッテは母の目線が今日はいつもとは違うと思った。けれどそうではないのかもしれない。
ロッテは父と兄に両脇を固められて、母と隣同士でたくさん会話をした記憶はない。
母はもともとこういう目をしていたのではないだろうか。
「あ、はは。はははっ。おかしいわよね。でも、そうね。いうなればあなたは魔性だったのよ。男を狂わせる素質でもあったんじゃない?
私だってエミーリエだって、あなたの事をいつも妬ましいと思っていた、常に優先されて何もかもを与えられる、あなたを恨めしく思っていた。
もちろん進言したわよ。この屋敷の女主人として、母親として夫と息子を諌めたわよ。
でも女の文句は全部嫉妬に見えるのね。
……ロッテ、もうね、あなたが言うような状況じゃないのよ。あなたにすべてを与えるためにあの人たち周りの貴族に借金までしていよいよ首が回らないのよ。
実家だって頼れやしない。私はもういいわ。魔法もあるし、国を渡って自分の為に働いてゆっくりとした生活を送るの。
あなたは……ねぇ、自分に貢いだ男が全部台無しにしたんだから、その責任を取ったらいいわよ。でも最後に会えてよかった。一応親子だものね、幸運を祈っているわ」
母は、最後に思ってなさそうな言葉を言って、そばにいる侍女に指示を出してトランクを運ばせる。
日が落ちてから移動するのは、きっと屋敷の前にいる領民たちに見つからないようにするためだろう。
普通の子供だったら、その後ろ姿にすがりついたり引き留めたりするのだろう。
しかしロッテはどこかちょっとだけ納得したような気持だった。
自分が甘やかされて、最高の気分を味わっている間、苦労していた人間が領民だけではない事も心のどこかで分かっていた。
なにかの犠牲の上で自分だけは優先されているという優越感の中で生きてきた。
頭の中で完璧に理解しているわけではなかったが、エミーリエの事を無自覚に見下していたし、母の事も何も言ってこないおばさん程度の認識だったように思う。
それは何も言わなかったのではなく、何も言えなかったのだ。
そしてお母さまはロッテに最後に本音を言った。
募っていた思いを口にした。それだけだ、わかっていた。
けれども、その気持ちを、事実を目の前に叩きつけられると、ロッテはもうどうしようもなかった。
じゃあ自分が悪かったのかという疑問もある。そんなに恨まれることをしただろうか。
悪いのは父と兄じゃないか。けれども彼らはロッテの家族で、彼らだってロッテを甘やかしたかっただけだ。ロッテがわがままを言ったから。
じゃあやっぱりロッテが悪いのだろうか。
今更彼らに、ロッテが何を言おうともそれは変わらず、ロッテはとても見当違いの手遅れをやろうとしているだけで意味なんかないのか。
…………このまま……。
どうなるかわからない未来を父と兄とともに人に恨まれながら、ロッテは何も知らなかったという体で突き通してしまえばいいのか。
母は、ロッテ達を見限った。使用人たちも、領民たちも、見限って恨んで、責任を取ればいいと望んでいる。
……どうなるのか、わかんない。外にいる皆がなだれこんできてロッテ達を串刺しにするのかも。
そうなるのかもしれない、でもそうならないかもしれない。まったく予想がつかない。
でも一つだけわかることは、望まれているという事だ。このまま三人で泥沼の中を地獄に落ちるまで進み続けることを望まれている。
……手遅れで、なんにもできないんなら、このまま。
「……ロッテお嬢さま。逃げましょう。逃げるしかありません。奥様があなたを置いて行くなんて、認めたくない。
認めたくありませんが、こうなった以上。
私が、私が、お連れします。安全な場所まで、ロッテお嬢さま、すぐに準備を」
そう言って意気消沈してしまったロッテの手を引いたアンネリーゼは、すぐに部屋に戻って、ものすごい速度でロッテの洋服をかき集めた。
なんだかその形相は必死で、でもそんなになったって、意味なんてない。
そう思った。
けれどエミーリエの言葉を思い出す。
……正しい選択を。エミーリエ。逃げることは正しい選択なの? 私はどこから間違えたの?
疑問は尽きない。けれど、エミーリエの言った正しい選択は、きっとこのまま無為に日々を過ごすことじゃない、それだけはわかる。
正しい選択がどれなのかロッテにはわからない。けれど、正しくない選択だけはわかって、立ち尽くすのをやめて、ロッテはアンネリーゼを手伝った。
そしてその日真夜中に屋敷を飛び出したのだった。




