水面に映る影
水面に赤い葡萄酒の入ったグラスを投げつける。
苛立たしい。
ひそやかに語られる臣下達の囁き声。
『お兄様であられたら……』『シェイファー・ルー様ならば』『ティアル・リール様ではいささか頼りなく感じられる』
自分が生まれる前にいなくなった兄と比べ続けられる人生。
教育係から下働きの者まで兄を褒め称えない者はいない。
『いつ、お戻りになられるか』
その言葉を聞くたびに寒気が走る。
誰もティアル・リール。私の個性は認めない。
彼らにとって私は兄の身代わり。
「どうかなさりましたか? セイフィルト国王陛下」
苛立ちを煽るような穏やかな声。
隣国の魔法使い筆頭。ケンドリック・ハーブ。
近隣諸国で立ち上げた『対魔王軍』の一員として選ばれた者の一人。
魔術部隊・後方支援部隊長。
偉いのか下っ端なのか分からない肩書きを持つ男。
性格はどこかドジョウのように掴みにくい。
私はこの男が嫌いだ。
たぶん、向こうも。
「どうもしませんよ。少し、気分が荒れていただけです」
ケンドリックはポンと軽く両の手を合わせる。
「それはいけない」
軽いしぐさと口調が苛立ちを増させる。
隠しから小さなグラスと小瓶。
「これは、心を静めるのに効きますよ。おひとつ如何です?」
「結構です。失礼」
言外にそんな物受け取れるかと匂わせながら、池の側を離れる。
「お兄様はよほど人望のあった方なのですね」
池を離れかけた私の背にその言葉が放られた。
振り返ると彼は池を見下ろし、グラスを揺らしていた。
感情的になりそうな自分を必死に抑える。
「私の産まれた時には兄はもういなかったので、ですが、皆、兄を褒め称えておりますよ」
皆が期待する『兄』のような存在にはとうていなりえない自分。
知らぬ兄に対する憧れと嫌悪。期待に応えられぬ失望感……
ケンドリックはグラスを軽く掲げる。
「陛下、たまには羽根をのばすことも必要ですよ。うちの王様はのばし過ぎのケが有りますけどね」
くすくす笑いながらグラスの中身を飲み干す。
見透かすような眼差し……。
その横にある池が静かに天を映している。
私は急いで踵を返し、その場から逃げ出した。
水面に映る空の静かさに耐え切れなくて……
水面に映る影……
自らの心の闇が恐ろしくて……




