7P其れは密やかに紡がれて
<っ、と。なんだ、ユーリの奴が寝てるぞ>
魔導書達が見下ろす先で、ユーリは本に突っ伏して眠っている。
レポート用紙は課題らしい文章で埋まっている。
どうやら、課題を終えた後、本を読むうちに眠ってしまったらしい。
<おい、ユーリ。こんな所で寝ていると風邪をひくぞ?>
<ユーリ><起きろ><ユーリや>と彼女を呼ぶ声は『禁制魔導書』達を伝染していく。
<起きないぞ>
<我らはユーリが起きなければ魔導を使えん>
<困ったのう>
さわさわと『禁制魔導書』達はどうにか出来ないかと話し合う。
<ん? エリアーゼだ>
<こちらに来るぞ>
『禁制魔導書』の不可視の視線が『禁制魔導書』階の扉に集まる。
「お久しぶりですわぁ。『禁制魔導書』方」
<エリアーゼ>
<珍しい>
『禁制魔導書』のある部屋の扉を開けた金髪碧眼の美女は『禁制魔導書』を前ににこりと微笑む。
「ユーリさんは来ていませんか? お話があったんですけれど?」
<暖炉前のソファで眠っている>
<起こしてログハウスに戻してやってくれ>
「あらあら、はいはい」
くすくすと笑いながら、歩くエリアーゼに魔導書達は囁く。
<エリアーゼ。お前、気づいているだろう?>
<ログハウスに魔導の気配がある>
<ユーリは気づいていない>
<あれを何故放置している?>
「……」
エリアーゼはにこりにこりと微笑むだけで何も応えない。
それにしびれを切らしたのか、一冊の『禁制魔導書』がエリアーゼの前に落ちる。
<答えよ、エリアーゼ!!>
「そう、ですわねぇ」
エリアーゼは落ちて来た魔導書を棚に戻す。
「宮廷魔導師が来てくれると図書館の評判が上がりますから」
「ね」と言いながら小首を傾げたエリアーゼに『禁制魔導書』達の反応は冷ややかだ。
<エリアーゼ>
ぞろり
部屋の温度が急速に下がり、薄暗くなる。
魔力をたっぷり秘めた部屋の空気が重苦しく濁る。
<お前が目をつけているのはそんなことではなかろう?>
<小賢しい><女狐が>
<あやつの魔導師としての能力もなかなか悪くなかった>
<お前、ココの神秘を餌に、あの魔導師を利用するつもりだろう?>
どろりと体中に巻きつくような濃密な魔力に曝されながら、エリアーゼは澄ました顔でふっと微笑む。
「まぁ、人聞きの悪い。入場料を取るだけです」
<否定はせんか>
「それに、魔導に詳しい戦闘要員は必要でしょう?」
<王に仕える宮廷魔導師を傭兵代わりに利用するか>
<いい度胸をしておるな>
「どうとでも」
くすくすと笑うエリアーゼはすっと目を細める。
「あなた達だって、大切な【語り手】にうっかり死なれては困るでしょう?」
その言葉に魔導書達はざわりとざわめく。
<何があった?>
<お前がココに来たのは何故だ?>
ざわざわと騒ぐ魔導書の声がまるで潮騒のよう。
潮騒を割るのは女神のように麗しい美貌の王立学院図書館館長。
「魔導書がいくつか返ってきません」
金属の小さな鐘の様な、涼しげで通りの良い声が紡いだ言葉。
その声は部屋中に響き渡り、静寂を呼ぶ。
そして、
<それがどうした?さっさと呼び戻せばよかろう>
<何のために記された“紋”だ>
訝しげかつ、小馬鹿にするような魔導書達の声が返って来た。
王立学院図書館の魔導書・図書には全て“紋”が押されている。
その中でも魔導書に押された“紋”は特殊で何かの拍子でうっかり魔導書が持ち逃げされても必ず戻ってくるような細工が施されている。
しかし、
「どうやら、かなり高位の魔導師が掠め取ったようで、“紋”の魔導が弾かれました」
一瞬、魔導書達は困惑したようにざわめく。
その困惑から先に脱出したのはここでもかなりの古株の魔導書達。
いつもはあまり会話に参加しない彼らは、困惑する魔導書達をなだめるように静かに声を部屋に響かせる。
<ふむ。たとえ魔導師の力が高かろうと、魔導書の“紋”はそう簡単に弾かれるものではないのだが…>
<何かの「儀式」に使われているのかねぇ?>
「ええ、その可能性が一番高いと思います」
魔導書に記される“紋”は魔導書の持つ魔力量に比例して魔導書に対する拘束力が高くなっていく。
だが、何らかの理由で魔導書の魔力が“紋”の持つ魔力より高まってしまうと“紋”が無効化してしまう事がある。
その代表的な例が「儀式」。
魔導書の魔力を底上げして「儀式」を組み込むと、魔導書自体の魔力が高まり、“紋”が無効化してしまう。
もちろん、図書館側はそのことが分かっているから、“紋”とは別に図書カードに魔導書を利用した「儀式」の使用を制限する魔導を仕掛けていたり、魔導書を使った「儀式」の使用を禁止してはいるのだが……。
「魔導書を借りている人物と現在魔導書を手元に置いている人物は別の様で、図書カードを標的にした逆探知も成功しませんでした」
ふぅっとエリアーゼが困り果てた様に溜息をつく。
<何の「儀式」が始まっているのかはわからんか?>
<我らはいまのところ何も感じない……>
<未返却中の魔導書の銘は何という?>
「未返却中の魔導書は、『神秘の手引き』『星の神殿』『惑星の影響』『マレフィキアの奇跡』。計四冊」
<ずいぶん多いな>
「ええ、ですから比較的早く気づいたんですけど……」
<やばそうなのは『星の神殿』と『マレフィキアの奇跡』くらいか?>
<『一級危険魔導書』が所在不明になるとはな>
<盗んだ魔導師は「儀式」がどれだけ危険かわかっているんだろうね?>
<王立学院図書館の魔導書に“紋”がつけられる理由を知っているのか?>
<お主、まさか、ユーリに未返却魔導書の回収をさせるつもりじゃなかろうな?>
古株の『禁制魔導書』が発した声で、ざわざわと騒いでいた魔導書がふっと静まる。
エリアーゼは痛いほどの沈黙をその薄紅色の唇で裂く。
「魔導書は全て『学院』の外には出ていません。……なれば、この『学院』の生徒であるユーリさんほど『学院』を動き回れる司書はいない」
肯定ととれる言葉に『禁制魔導書』階が揺れた。
<エリアーゼ!!>
<危険だ!!>
<アレが魔導を使えぬのを知っているだろう!!>
<魔導書を組み込んだ「儀式」をお主らが禁じている理由を忘れたか!?>
<ユーリを危険にさらす気か!?エリアーゼ!!>
「ええ、ですから、あの魔導師が必要なんです」
<訳のわからん部外者に守らせるくらいなら、ユーリを危険にさらすな!!>
<未返却魔導書の回収くらいお前が行け!!>
「そう言われましても、私達も大っぴらには動けないのです」
<何故?>
「大人の事情です♡」
ハートマークとキュートなウィンクが語尾に付いた。
<ふん。下らん派閥争いか>
『禁制魔導書』達は鼻白む。
<科学派と魔導派、の教授陣の対立か?>
<ああ、魔導派には貴族が多く、科学派には新興貴族や商人がスポンサーについている>
<古きと新しき、科学派と魔導派の教授陣の対立はそのまま、この国の身分格差を顕している>
<ああ、そして、理事達もそれに乗じて暗躍しているようだしな……>
<だが、それだけではなかろう><ああ、『学院』の技術を虎視眈々と狙う奴らは多い>
<他校の教授陣も『学研』に来ると聞く>
<『学研』は対立派閥を陥れるのにもってこいの機会……>
<馬鹿馬鹿しい><下らん対立で『学院』を危険にさらし、他校に恥をさらす気か?>
<だが、お前は、いや王立学院図書館は絶対中立的立場だろう?>
「ええ、ですから館長である私は動けません」
<お前が動けば、科学派側の教授陣は嬉々として魔導側を批判するな>
<また、逆も然り……>
<何百と月日は流れたが、人とは実に愚かで変わらぬものだな>
「ええ」
エリアーゼはすっと顔を伏せる。
恥いるように、悔むように。
<エリアーゼよ>
<我らを一時的でいい。『解放』してくれないか?」
古い『禁制魔導書』達の声にエリアーゼは静かに首を振る。
「いいえ、あなた方を『解放』するわけにはいきません。あなた方は【真実】をその身に宿す『魔導書』なのですから」
<戯れ言を>
<我らはそれ故に縛られる>
<この忌まわしき牢獄から>
<禁忌を禁忌に至らしめるがために我らがある>
良い事も悪い事も何もかもを飲み込んだ、深い井戸の底の水はこんな風にたゆたうのだろう。
永い永い間、どろりと濁った汚泥の中に沈められた物のように、世界中の闇という闇を圧縮し、濁らせたかのように暗い、昏い声。
「ええ。ですから【語り手】は守ります」
<ああ、この忌まわしきこの因習を継ぐ者を>
<この禍々しき牢獄を守る看守が【語り手】だ>
<異なる世界より堕とされた哀れなる魂を持つ者>
<何にも縛られぬ自由な魂を持つ存在>
<お主らはいつの世でも「そうした存在」をこの『学院』に閉じ込めて保管しておったからな>
「ええ、【紡がれぬ言霊】を受け継ぐ器を守る事が、この王立学院図書館館長の務めでしたわ」
<ああ、ここに集められた者達の中でも【語り手】は特異中の特異だっただろうよ>
<何しろ狂気に侵された賢者の代弁者だからな>
<悲哀に身を落とし永遠を彷徨う生命を慰撫する者だったからな>
<自由なるがゆえに孤独な【歌い手】でもあったからな>
<唯一無二がゆえに何にも染まらぬ者であるからな>
「あの魔導師はいわば、『保険』です。ここを守り、継ぐための【語り手】を守るための」
<愚かな>
<忌々しい>
「あなた方とて、“先代”の願いを守りたいでしょう?」
『禁制魔導書』達がふっと押し黙った。『学院』がややこしい時に「儀式」が行われようとしている。
海千山千の『禁制魔導書』達は「儀式」の標的になる物がわかる。
そして、その標的になる物を『禁制魔導書』達は守りたいとも思っている。
<ええい。忌々しい!!>
<仕方あるまいか……>
しばらくすると、『禁制魔導書』達の不満げな声とブツブツ文句を言う声や諦観するような声が聞こえ出す。
<ユーリを起こせ、エリアーゼ>
<……ユーリの意思に任せよう>
不承不承を体現するような『禁制魔導書』達の声を聞きながら、エリアーゼはくすりと笑う。
「あの方の“夢”は邪魔させません」
もちろん、エリアーゼとて、ユーリを苦しめる気はない。
だからこそ『保険』を野放しにしているのだ。
(しっかり働いてもらいますわ。アヴィリス・ツヴァイ=ネルーロウ・スフォルツィア)
エリアーゼの手が『学院』の制服越しにユーリの細い肩にかかる。
ぽんぽんと少し強めに揺するように叩く。
「ユーリさん。ユーリさん。起きてください、風邪をひいてしまいますよ?」
う~ん、と目を擦りながら、ユーリが起き上がる。
ぼんやりとした彼女の目がふっと理性の光を取り戻す。
途端、その瞳は真ん丸く見開かれる。
「あれ?エリアーゼさん!?」
異なる世界を見て来たのであろうその漆黒はどこまでも深く、深く澄んでいた。
アヴィリスの動向はバレバレだったようです。
久々投稿で、すいません。
しかも、しばらく話に急展開はなさそうです……。




