19P迷走行進曲
(『真実』って何?)
ユーリは真っ暗な空間の中で目を開く。
(右足、左足、右腕、左腕、手……)
おそるおそる動かしてみた体に異常はない。
「ここどこ?」
呟いた声は反響すること無く、闇に消えた。
とりあえず、体を起こしたユーリは、う~むと首を傾げる。
「え~と、確か、でっかいカエルみたいな生き物に……」
大きく開いた赤い口、ぬめっとした艶と何とも言えない触感…………。
意識を失う前の光景を思い出したユーリは一瞬で顔色を失くしてぶるぶる頭を振る。
(いやっ!!考えない!!ここがどこかなんて考えない!!よりによってカエルにぱっくり丸飲みされたなんて……)
「マジッすか……」
額に手を当てて、ユーリは項垂れた。
真っ暗な闇の中にいるのも、ここがカエルのお腹の中なら、……認めたくはないけれど、認めるのはもの凄く嫌だけど、――……納得できる。
「あ~……、どーしよう……」
(どうやってここから出よう……)
残念だが、気を失っていたせいでどこから自分が入って来たのか、わからない。
(肛門から出たくはないんだけど……)
王立学院図書館支給の懐中時計を開いて、光を灯す。
案の定、自分の周りがぼんやり明るくなっただけで、どこが出口なのか入り口なのか、さっぱりわからない。
それに、
「荷物、全部置いて来ちゃったっぽい……」
対魔導師・魔導書用の便利グッズが入っている鞄を置いてきてしまった。
手元にあるのは、懐中時計と対魔導用の防具である腕輪のみ。
ふと、ユーリは懐中時計から何か灰色の粉が落ちてくる事に気づく。
粉が出てくる裏ぶたを開け、絶句する。
「“紋”の護符が、灰になってる……」
おそらく、さっき“紋”を仮申請しようとした時に全部灰になってしまったのだろう。
(“紋”が弾かれたなら、もうあたしじゃ魔導書を止められない………)
対魔導書・魔導師用の訓練を受けている“保安司書”でも収拾できるかどうか危うい状況だ。
「それ以前に、閉じ込められている時点で誰も助けに来てくれないし……」
一縷の望みは外に逃げたヴォルヴァ先生だが……。
(………………助けを呼んでくれる可能性、低そう………………)
むしろ放置される事請け合いである。
「どうした、もんか…………」
溜息をついて、膝を抱える。
両膝の間に顔を埋めて蹲った。
ぼんやりと光る懐中時計の光を見つめながら思う。
「そう言えば、前世であたしが死んだのもいまのあたしと同じ年頃だっけ?」
うっかり忘れそうになるが、ユーリはこことは違う世界で生きていた記憶と魂をもつ。
しかし、あちらの世界にあったファンタジー小説にありがちなあり得ない能力があるわけでも、こちらの世界で特別視される魔導に対する才能もあるわけでもない。
そのうえ、前世の記憶もうっすらとしか覚えていない。
かろうじてまともに思い出せるのは、前世での名前と、死の直前に見た視界を白く染める光と激しい衝撃音。………他の記憶は酷く曖昧だ。
(また、ここで死ぬのかなぁ………………)
ぼんやりとした絶望に成す術なく、身を委ねる。
その、瞬間。
「…………………って!!死ねるかあああああっ!!」
がばっ、と音が立つほど勢いよくユーリは起き上がり、力の限り吼える。
「前の世界で十六でぽっくり死んだ分、この世界ではきっちり人生楽しんで孫に囲まれて穏やかに寿命をまっとうするんだって決めたじゃない!!諦めてたまるかあああっ!!」
――…たまるかー、たまるかー………
ユーリの声が闇の中で木霊した。
キッと眦を釣り上げてユーリはあたりを見回す。
「一寸先は、視界ゼロ!!まさに、お先真っ暗!!」
――……はぁ
さっきの勢いはどうしたのか、がっくりと肩を落として彼女は項垂れる。
「ふ、ふふ……。やっぱ無理」
その場にしゃがみ込んで膝を抱え、肺が萎むほどの溜息をつく。
(そもそも、何でエリアーゼ館長はあたしに『一級危険魔導書』や『一級魔導書』の回収を任せたんだろう?)
「てか、それ以前に、何で『禁制魔導書』階や『魔導書』階への出入りを許したんだろ…………」
普通は“保安司書”としての特別講習を受けた司書や魔導や魔導書について学んだ人間が『魔導書』階で働く事が出来る。
けれど、ユーリは魔導知識ほぼなし、才能丸っきりなし、特別講習を受けた事もなければ魔導書に対する特別な知識があるわけでもない。
まさに、ないないづくしのユーリだけが、『魔導書』・『禁制魔導書』階を自由に出入りできる。
(大体、ほとんどの司書達は『禁制魔導書』階が存在するなんて思ってないみたいだし……)
たま~に貸し出したり、修繕する『禁制魔導書』は代々の王立学院図書館館長が秘蔵する『禁制魔導書』か、どこかの図書館から取り寄せているのだと本気で思っている司書が多い。
(それも、謎だよね。何で『禁制魔導書』階の事を秘密にするんだろう……)
<おいおい、読んだか?今日の新聞!!女優のエビーナが若い商館長と破局寸前だって!!>
<ああ~、あのお騒がせ女優の…………>
<大した仕事をしていないってのに、まぁ、世間を騒がす事だけは上手いねぇ>
<おいおい、そんな遠い王都の噂話なんかつまらんだろ?それより、聞いたか? 医療科の病院で働いているスクレット医師が患者と不倫中だってよ!!>
<はぁ~、あの恐妻家の?>
<えっ?我は看護師と不倫中だって聞いたぞ?しかも、看護師の方も人妻らしいぞ?>
<おい、ユーリ。真相を確かめて来い!!>
『出来るかああっ!!』
「いや。まぁ、秘密にしたくもなるかな……」
思いっきり下世話な噂話に心躍らせる『禁制魔導書』なんて魔導を学ぶ人たちが知ったら、幻滅する事請け合いである。
魔導に対して並々ならぬ情熱を燃やす魔導師たちなら世を儚んで死にたくなるかもしれない。
それ以前に、彼らを作った魔導師達は草葉の陰で泣いているだろう。
(つーか、あいつら、本当に希少な魔導書なんでしょうね?普段から言う事いい加減だわ、ちゃらんぽらんだわ……、大体、この『書架』の事も………)
「ん?」
ふと、ユーリは胸元に手をやる。
手の平に当たる、四角い感触。
「『書架』」
(コレの事も、『真実』がどーたらこーたら……わけわかんないし。実際これ使ったらどういう現象が起こるのか知りたかったのに……)
結局、コレの事もほぼ謎のままだ。
「魔導書の『真実』か…………」
ユーリは手の中に『書架』を入れたまま、暗い闇を見上げる。
脳裏に描かれるのは、襲いかかってくる異形達の姿と漆黒のインクを撒き散らしながら戦っていたアヴィリスとスーシャ。
魔導書の魔導により生み出された異形達は、何故自分たちに襲いかかってくるのだろう?
「どうして?」
あらぬ宙を見上げるユーリは気づかない。
『書架』がユーリの手の中でぼんやりと光を纏う。
その光に誘われるように、ユーリは呟いていた。
「【何故、この魔導書を作ったの?】」
【語られてはいけない言葉】で。
「え?」
ハッと気づいた時には遅かった。
「『書架』、が」
開いた。




