少女が彼に望む物
翌日の朝、彼は学校を休んで車椅子の少女に会いに行った。少女には既に、出向くことは伝えてある。
ナースルームで顔を出すのを忘れずに通り過ぎ、少女がいる部屋へと階段を昇った。
立て札に書かれた名前を確認して、扉を軽くノックすると「どうぞ」という声が聞こえた。
手土産の果物を持って中に入ると、彼の顔を見た少女の顔に笑みがこぼれた。
「来てくれたんですね」
「えぇ、まぁ」
入った病室は独り部屋だった。何も無い真っ白な世界を、ベッドから体を起こした少女の真っ黒で美しく長い髪がアクセントとなって非常に絵になる情景になっている。
「独りでこんな部屋にいると、なんだか気が参っちゃいます。来て頂いて、とっても嬉しいです」
両手を合わせて嬉しそうに笑った少女を見ながらも、彼は意を決して切り出した。
「君に……聞きたいことがあるんです」
「私に……ですか? はい、なんでしょう」
「君は、どうやって屋上に行ったんだ? 君はもしかして、歩けるのか?」
その言葉に少女の表情が一瞬だけ固まった。
「いいえ。昨日は看護師さんに担いで上げてもらってたんですよ。ほんの少し前までは歩けていたんですけど、最近じゃ力が入らなくて――」
「僕は疑問だった。どうして僕の考えた『妄想』に喰い付いてくるのか。君は――死神が見えるんじゃないのか?」
少女の言葉を遮った。そして今度こそ、少女の表情が固まった。
「なんのことだか――」
「君は『死神』という存在について知りたかったんでしょう。違いますか?」
「……………………………………………………………………………………………………ええ」
長い、いや時間にすれば十秒も無かったのかもしれない。そんな時間の末に少女は肯定した。
「私には全てが見えていました。だってあの”青い死神”さんは私を迎えに来たと言ってましたから」
やはり、やはりこの少女はあの死神が見えていた。全て知っていた。
見えなければ『フェンスの向こう側』と断定できるはずが無いのだから。
「あの青い死神は二週間ほど前に会いました。そして、私の余命を教えてくれました。残り一ヶ月ほどだということを。私が病気であることは知っていましたが、時間がかかるが完治すると主治医の先生は仰ってました」
確か、症状が悪化したのがここ最近だとあの看護師が言っていた。悪化しなければ、命に別状は無かったのか?
医学的知識の無い彼に、その判断は出来ないが。
「それを信じて闘病を続けていましたが、ここ最近は妙に看護師さんが優しくなったり、病室が個室へ移ったりしたものですから、勘繰るなと言うほうが無理な話ですよ」
「……」
「それを聞かされた最初の三日間は無視を決め込んでいました。が、直ぐに不安で押し潰されました。小さな棘の刺さったような痛みが少しずつ、少しずつ体を侵していく感覚がありました。それから一週間は虚無感と痛みに支配され続けていました。痛みは一箇所に留まらず、体中を蝕んでいたのです」
両手を胸の前でキュッと押さえて「そして覚悟を決めたのがつい一昨日です」と続けた。
「覚悟……? まさか、それなら昨日の夜は――」
「ええ、屋上から飛び降りて自殺するつもりでした。両親は仕事で来てくれないし、たった残り二週間だけ生き延びても辛い思いをするだけです。ですから、遅かれ早かれの結末を迎えようかと思ってました。でも――」
「でも?」
そこまで辛そうに話していた少女の表情が和らぐ。
「屋上まで運んでくれた死神さんは気が変わったとでもいうように自殺を止めたのです。『人生は全うすべきだ』と言って」
「死神は死を司る番人。勝手な死は許されないって言ってた」
「そうかもしれませんね。でも、死を宣告されている私にとってはたった二週間の際などどうでも良かったんです。そして、言い返そうとしたちょうどそのときに現れたのが――」
「僕だったわけだ」
「そうです。なぜでしょう、私は貴方の顔を見た瞬間、今まで張り詰めていたのが楽になった気がしたんです」
「……」
何を言えば良いのか分からない。口の中で明るい話題を転がし、しかしそれは口から外へ出る事は無かった。
「私はもう直ぐ死ぬでしょう。後一週間も持たないと思います」
少女はそう言った。少しはにかみながら、目には涙を浮かべて。
辛そうに笑って。楽しそうに泣いて。
「お願いがあります」
「……はい」
「貴方の願いを叶える為に、私の死が必要なのでしょう。もう一度、”青い死神”さんに会うために」
彼はその問いに答えられなかった。
少女は笑う、泣きながら。
「私に望んで下さい。私は人として出来損ないの人間でした。人間として生を受けていながら、人間らしいことは何も出来ません。ただ、今ある命を引き延ばすだけの不出来な存在」
少女は。
彼に。
「私の死を、望んで下さい。それで私は、人生で最高の最後を迎えられる」
こう言った。「終わりよければ全て良しですよ」と。




