何か来た
サクサクと歩く軽い足音が聞こえる。四足だな。ちらっと馬たちの方を見る。耳は動いているが緊迫感はない。ラダはとりあえず腰に布を巻いた状態で、ぐびりと瓶牛乳のように回復薬を呷っていた。
「…鹿…?」
木々の間から姿を見せたのは、茶色い体躯の大きくはない鹿だった。ただし立派すぎる角が頭上にある。それ引っ掛からないの?と、思わず聞きたくなるような複雑に枝分かれした立派な角だ。
鹿は俺たちを一瞥しただけで、ふんふんと周囲を嗅いでいる。と、ラダが干している馬具を嗅ぎだした。
「もしかして、あの果物欲しさに出てきたのかな?」
ラダの言葉に、なるほど、と頷く。ただの動物ではないが、魔物というにはあまりに神秘的すぎる。聖獣とか精霊とか、もしかしたら森の番人とかなのかもしれない。あれ、ここって入っちゃいけない場所だったのかな。
「じゃあ、とりあえず」
魔法鞄から、例の果物を取り出す。ゆっくり近づくと、鹿は同じだけゆっくりと下がった。地面の上にそっと実を置く。
「荒らしたりはしないので、一晩だけこの場所をお借りしますね」
言葉が分かるかは分からない。一応そう言い置いて俺は下がった。鹿はちらっとこっちを見てから、果物に近づいた。ふんふんと匂いを嗅ぎ、おもむろに前脚で実を踏み割った。溢れる果実をぴちゃぴちゃと食べ始める。
「む。虫が…」
コクシンが困惑した声を出す。ラダのときと同様、虫が集まりだした。追い払ってあげたほうがいいんだろうか。そう思いながら見ていたら、じわっと角が光った。
パリッ…!
青白い光が走った。パリッパリッと音をさせながら、静電気のような雷が鹿の顔の周りを走る。それに焼かれ、あるいは避けるように虫が散っていった。
「…きれい」
ラダがつぶやく。まだ日は落ちきってないから、明るい。きっと暗闇で見たら、もっと神々しい光景なのかもしれない。まぁ、鹿は一心に果物を貪っているわけだが。
1つをあっという間に食べ終えた鹿は、こっちを見てカリッカリッと地面を掻き出した。これは催促ですね。
さっきと同じように、地面に今度は4つ置いた。鹿はここではもう食べないらしい。1つを咥え、もう1つを咥えようと口を開け、ポロリと落とす。それを何度か繰り返した。
ぐふっとラダが笑ったのに、鹿が顔を上げる。慌ててラダが口を手で塞ぐ。鹿の表情なんてわからないが、気まずい雰囲気になった。
「ちょっと待ってくださいね。こうしてっと…」
鹿が怒らないうちに、解決策をば。
ヘタの部分に紐をくくりつける。左右に2個ずつ紐で結わえた。中央を咥えれば、4個持っていけるだろう。咥えやすいように中央を浮かせ、再びその場を離れる。
鹿は匂いを嗅ぎ、それから紐を咥えた。4個がぶらんと浮く。納得したのかたまたまか、うんうんと鹿が頷いたように見えた。何事もなかったかのように、鹿は俺たちに背を向けた。サクサクと慌てる様子もなく、林の中へと帰っていく。完全に姿が見えなくなってから、3人同時に息を吐いた。
「びっくりした。あれ、何なんだろうね」
俺の言葉に2人が首を傾げる。まぁ、果物だけで済んでよかった。くしゃんとラダがくしゃみをした。布一枚だったからな。入り直すように言い、俺は焚き火でお湯を沸かす。俺の番になる頃には冷めちゃってるだろう。一度生活魔法の火で追い焚きしようとしたが、火が小さすぎて意味がなかった。
今日の晩ご飯はちょっと豪華。ウサギ肉の串焼きをチーズフォンデュ風で食べる。街を出る前にガバルさんのところで色々食料をせしめてきた。お礼にどれだけ持っていってもいいって言ったんで、詰め込んできた。高級干し肉なんてのもあったが、正直豪華な箱に入っているだけで、違いがよくわからない。あと、ワインも貰ってきた。
「あ。レイト、あの棚出して。整理してみる」
「ああ、自分で出して」
ラダの言葉に、ほいっと魔法鞄ごと渡す。
貰ってきたもう一つに、チェストがある。いわゆる薬棚。たくさん引き出しがついているもので、これは彫金師の店に置いてあったものだ。仕事を始めたばかりの頃に家具屋と協力して作り上げたものらしい。製作者的には大人しすぎるということだったが、俺はさりげないところの細かい装飾がいいと思う。後どうしてもと言うんで、指輪とか装飾品も貰った。これ、どうしようかねぇ。お金もくれたから、正直いらないんだけど。
ラダが引き出しを開けては中を確認し、ここにあれを入れてーと思案し始める。今までは店から持ってきた棚に整理していた。ただ古いもので、染み付いた匂いとかが気になっていたらしい。ひと回り小さくはなったが、使い勝手は良さそうだ。あとは、瓶物をまとめて入れる箱も欲しいなぁ。今は、魔法鞄の中に割とバラけて入っちゃってるからな。ついでに、鞄の中身自体も整理しとこうかな。
「うん? 何だこれ…」
ピンクのリボンが出てきたんだが。
「あ、それ。マイディーに押し付けられて、どうしようかと入れたまんまだった」
コクシンが困った顔をする。
「いつの間に…。というか、これをどうしろと」
ちなみにマイディーは、彫金師の店に居た。俺たちが訪れたときは、外でバトルしてたけど。
ノランドさんたちは、俺の進言通り店員を雇うことにしたらしい。といっても、一つ上のノランドさんのお姉さんだ。見た目おっとりした感じの人なのに、何故か箒を背負っている。清掃のスキルがあって、とあるお屋敷にメイドとして入ったのだが、散らかし放題理不尽おこちゃまにケツバットしそうになって、帰ってきたらしい。ノランドさんいわく、逆らっちゃいけない人その2らしい。その1は誰なんだろう。
まぁ、ともかくそのお姉さんとマイディーがバッティングし、外でのバトルになったのだとか。クワバラクワバラ。
「…似合うだろうって」
「コクシンに?」
どういう感覚してんだ。
「いや、レイトに」
俺かい! いらんわ! でももったいないから、魔法鞄に突っ込んどこう。腐らないし。多分、何か、使う機会あるんじゃないかな。こうしてぱっと見ゴミが溜まっていくんだろう。あの高級干し肉が入っている箱も、俺は多分保管しちゃうんだろうな。
「で、こっちの箱はっと」
小振りな手のひらサイズの箱だ。リストには見知らぬ名前がある。パカッと開けると、ふやけきった麺みたいなのが入っていた。
「あ、それ、僕が入れたやつ。ニルバ様に貰った」
ラダが「はい」と手を挙げる。
「いつの間に。で、これ何?」
「知らない。薬になるって言ってたよ。後で聞こうと思って忘れてた」
もう。みんな入れっぱなしなんだから。人のこと言えないけど。えーと、どれどれ。
『クーチャー
白ミミズ。惚れ薬の材料の1つ。生食はおすすめしない』
「……」
ある意味定番ものだろうか。惚れ薬かぁ。あるんだなぁ、そういうの。
「なんて出たの?」
「ミミズだってさ」
ぴしっとラダの笑顔が固まる。
「惚れ薬の材料の1つらしいよ。まぁ、入れときなさい」
渡されたラダは、俺と箱、そして薬棚を見やった。少しの間葛藤して、そっと1つの棚に箱を収めた。
それにしても、3人で使うようになると見知らぬものが入れられていることが増えた。プライバシーだし、そのへんは見なかったことにしたほうがいいんだろうか。
「私は構わないよ。見られて困るようなものは入れてないし、そもそも持ってもいない」
コクシンに続き、ラダも頷く。
「だよね。それと思ったんだけど、これ棚に入れたものはリストに出るんだっけ?」
「出るよ。出そうとすると、棚ごと出てくる」
「ほへー。良かった。入れたもの覚えてなくちゃいけないかと思った」
「いや覚えてなさいよ。そのたんびに鑑定するの嫌だからね」
「分かってるー」
ぷっとラダが口を尖らせる。可愛くないです。
翌日。昨日鹿と遭遇したあたりに、木の皮が積まれていた。香木らしい。お礼に果物の盛り合わせを置いて、野営地を後にした。




