第二十四話
魔法陣を描き換え終えたグリザベルは、術式の羅列で出来た模様に自画自賛で短く頷いた。
すぐにリットに土嚢を運ぶように言い、自分は指で弾いて枝の乾き具合を音で確かめた。この枝は何日も前からここで乾かしているもので、天気の日がずっと続いていたので乾いていた。というのも、遠くの干天の影響で雨が降っていないからだ。
グリザルは二本の枝をそれぞれ両手に持つと、ナイフで削るかのように二つを擦り合わせた。
何度も何度も擦り合わせ、周囲にはシュッシュという摩擦音が響いた。
水も土嚢も指定の場所へ用意し終えたリットは、しゃがみ込んでいるグリザベルの背中をつま先でつついた。
「いつまでそうして遊んでるつもりだよ」
「遊んで……いる……わけでは……ないわ……」グリザベルは青息吐息でひたいに汗を浮かばせていた。「この前は……もっと……簡単に……火が……ついたのだが……。ええい! もう! はようつかんかぁ!」
「普通に考えたら、そんなことで火がつくはずねぇんだけどな。火種ってもんを知らねぇのか?」
「冒険者の火起こしとはわけが違うのだ。お主こそ魔法というものを知らんのに、口出しをするでない」
グリザベルは黙って見ていろと躍起になって枝をこすり続けるが、火がつくどころか火花が起きることもない。ただただ削れた木くずが湖風に流されるだけだ。
「マッチでも使うか? 借りを作るのが嫌なら売ってやるぞ。オイルもついでにな。丁度いいことにオレはランプ屋で、今暇を持て余して油を売ってるところだからな」
「マッチなど使っては意味がないだろう。不純物が混ざると成功しないのだ……まったく」
グリザベルは一度長く息を吐いて肩を落とすと、そのまま動かなくなってしまった。
「まだ湿気ってんじゃねぇのか? 保管してたとこの土が濡れてたとかよ」
リットはグリザベルの手から枝を奪うと、真似をして枝同士を擦り合わせてみた。
すると、炉で熱した真っ赤な鉄の棒を擦り合わせたかのように盛大に火花が散った。
「またお主は我の知らぬところでなにかをやったのか!!」
グリザベルはまた仲間外れにされたと、泣きべそ気味に声を張り上げたが、リットはなんの身に覚えもなかった。
まるでノーラのような力だと、リットが面白がって枝を擦り合わせていると、ノームが声を現した。
「おい、なにかする時は声をかけてくれ、いきなり魔力の流れが変わってびっくりしたじゃないか」
「ただ火をつけただけだ。準備はまだ少し掛かりそうだから、おとなしくしてろよ」
リットが声のする方へ向かって手をしっしと払うのを見たグリザベルは、リットの腕を掴み紋章見て「これだ……」と呟いた。
「――この、二つの紋章が中和しているのだ。ここはサラマンダーとノームが力を抑え込んでいる場所。普通の魔力の流れとは違うのだ。我がやっても火がつかぬはずだ……」
グリザベルは失念していたとため息をついた。
「おいおい……ここまで来て、一からってのはなしだぞ」
「安心せよ。お主が火をつければいいだけだ。それ以外はなにも変わらぬ。さぁ、火をつけるがよい。その火は命の灯だ。ゴーレムの心臓となり、魔力という血を巡回させるもの。さすらうは元素。留めるも元素。漆黒の源を――」
グリザベルは見せ場と言わんばかりに口上を述べだしたが、リットは付き合っていられないと勢いよく枝を擦り合わせた。
爆発するような火花が散り、すぐさま火がついた。
だが、それは枝が燃えたわけではない。空気が燃え上がったのだ。人魂のように空中に炎が浮いている。
「まったく……お主は最後まで人の話を聞けぬのか……」
「これの説明だったら聞いてやるよ……」
リットは目の前に浮かぶ炎を指差して言った。
「これが精霊の力に近い火だ。シルフという風の元素と結びつきの強いサラマンダーの火は、空気だけで燃え続けることが出来るということだ」
「たしかに……」と呟いたのはノームだ。「おい、サラマンダー! オマエの炎にそっくりだぞ!」
「そんなにチンケな炎じゃない……」
サラマンダーは不服そうに言ったが、二人の反応から精霊の力に近いものと言うは感じ取れた。
これが、グリザベルが取り入れた精霊師の技術ということだ。
「後は、マーが来るのを待つだけだな」
グリザベルは一安心だと空を見上げて、グリフォンに乗ってやってくるマーを待った。
今はサラマンダーとノームの両方が暴走する魔力を抑え込んでいるので、同時にゴーレムに入る必要があるからだ。
もし先に、どちらかがゴーレムに入ってしまっては、押さえきれなくなった魔力が暴走してしまう。
グリザベルが先に湖に来たのは、魔力を主とするマーのゴーレムの作りとは違い、精霊師の力を取り入れて作るものなので、万が一に備えてだった。
そして、目の前に浮かぶ炎を見て、今回は大成功だと一足先に喜びを噛み締めていた。
元から魔力の流れを読むのに長けているグリザベルは、精霊師という考え方は水が合っていた。
精霊師の技術を使えば、周囲の元素を取り入れ半永久的に動くゴーレムを作るのも不可能ではないからだ。これはいつかウィッチーズ・マーケットで研究を発表しようと思っている。『影執事』というものを作るのに、最も適した技術だと感じたからだ。
なので、今回の精霊騒動は自分にとってとても価値のある出来事だったと、感情を抑え込むことが出来ず口元に笑みを浮かべていた。
「もし、なんかあったら覚えてろよ……」
リットはまだゴーレムも作っていないのにニヤついているグリザベルを睨んだ。
「もし、などありはせん。あったとしたら、お主とともに死んでやるわ」
グリザベルの声は自信に満ちていた。失敗など万に一つもあるわけがないと。
それは自分だけではなく、マーにも思っていることだ。
離れている間にわかったことだが、マーは自信がある時は多くを語らない。早くやらせろと黙ってうずうずしているのだ。逆に不満や不安がある時は口数が多くなり、なんとか先延ばそうとする癖があると。そうして口に出して、自分で再度確認することで無意識に覚えようとしている最中だということ。
今回もグリザベルのゴーレムを見た後は、マーはなにも言わずにすぐに戻っていった。
それが、マーにとっての確信だとグリザベルにはわかっていた。
初めて信頼関係というものが目に見える形で現れたのだ。それがゴーレムだ。
見た目はニワトリとモグラだが、魔女の二人にはそれ以上のものを感じ取っていた。
幾千の言葉を交わすよりも、一目見るほうが早い。まるで魔法陣を解析したかのような気分だった。
なので、グリザベルにもマーにも最早心配はない。
なぜなら答えは決まっているからだ。
お互い作ったのは、自己修復機能を持ったゴーレム。
あるのは、その答えに行き着くまでの式を、お互いにどうやって作ったという楽しみだけだった。
やがて、マーがノーラと共に空から落ちてきた。
不穏な魔力の流れを感じ取ったグリフォンが近づきたくないと振り落としたのだ。
最後の最後にしまらない到着をしたマーだが、いつもの無表情の奥は自信に満ち溢れていた。
言葉を交わすことなく、目で合図をすると二人はゴーレム作りに取り掛かった。
グリザベルが浮かび上がる炎の下に魔法陣を置くと、湖風が吹き広げてあった土を魔法陣まで運んだ。ついで風は水を運び、つむじ風となって土と水を混ぜ合わせた。
徐々に風は混ぜ合わせるのではなく、泥を纏うようになった。
纏った泥は暴れる風により形作られていく。
まず出来上がったのは、大地を掘り進める鋭く長い爪。すぐに魔力を感じ取る長い鼻が伸び。それらを支えるずんぐりとした胴体が出来上がった。
最後に火が風に吸い込まれて、泥の中に入ると、一瞬にして中の空気を焼き払った。
泥がメキメキという金属のような音を立てて、塊へと形状変化を遂げると、動かないモグラの形をした土人形が完成した。
その時には、マーのニワトリの土人形も完成しており、二人は声を合わせて『今』だと精霊に告げた。
精霊の返事はないが、あたりは一瞬の乾きに襲われた。
ざらついた風に肌をなぞられるような感覚。唇は荒れ、目に痛みが走る。
一度目を閉じて、開いた時には既にサラマンダーの入ったニワトリゴーレムが、ノームの入ったモグラゴーレムに襲いかかっているところだった。
翼を大きく広げて軽くはためくと、その勢いを利用して爪を振り下ろした。
だが、モグラゴーレムは素早く地中に潜ると、着地したばかりの硬直を狙って、ニワトリゴーレムの背後を襲った。
長い爪は、陶器の割れる心地の良い音を立ててニワトリゴーレムの背中をえぐり取ったのだ。
だが、えぐり取られた箇所から炎が上がったかと思うと、すぐさま元通りに再生した。
ニワトリゴーレムは何事もなかったかのように片足を軸に回ると、踵落としのようにモグラゴーレムを頭から踏み砕いた。
またも鳴り響くのは、心地の良い陶器の割れる音。
そして、モグラゴーレムも周囲の土を取り入れるようにして、体を再生したのだ。
先程より強固になった頭で直進し、そのままニワトリゴーレムの細い足を砕いた。
壊しては壊され、壊しては壊されを繰り返し、まるで贅沢な楽器の演奏を聞いているようだった。
精霊が作る陶器など、世に出回ることがあるなら、とても値段がつけられないようなものだろう。それが、荒れた芸術家が引きこもる部屋のように、ひっきりなしに割れ響くのだ。
この破壊と再生こそが、安全に魔力を発散するということだった。
ここからリット達に出来るのはただ見守ることだけ。サラマンダーとノームがお互いに再生をやめた時こそ、余分な魔力全てが安全に発散されたという合図なのだ。
グリザベルとマーはお互いに短く言葉を交わしながら行く末を見守っているが、リットとノーラはもう既に飽きていた。
ノーラの力が必要だというのは、サラマンダーをゴーレムに入れるための練習であり、本番では全くの無関係だからだ。
リットに至ってはほとんが魔女の間を行き来をするお使いだったので、思い入れもなにもない。ただひたすらに早く終われと願うばかりだった。
「こんなひでぇ出し物は酒場でも見たことがねぇ……」
リットは暴れまわるゴーレムにため息をついた。子供の人形遊びより雑に暴れまわっているからだ。
「私もっスよ……料理も出ない出し物なんて初めてっスよ……。いつまで見てればいいんスかねェ」
「魔女に聞けよ……」
「いつまでかかりますかァ?」
ノーラがグリザベルに聞くとまだまだという答えが返ってきた。
「それより見よ、ノーラ。マーが作ったサラマンダーのゴーレムを。まるでフェニックスの如き再生の炎だ」
「お師匠様のノームのゴーレムも凄い……。土に還るという輪廻を感じる……」
グリザベルとマーは寄り添うと更にお互いを褒め合った。
その様子はリットにとってうざったいことこの上なかったが、ゴーレムの成功。強いては今回の『干天』という現象が解決したも同然だというのがわかった。
リットはノーラを手招いて呼び寄せると、自分の荷物を持たせた。
「帰るんですかい?」
「付き合ってられるかよ……。いつまで掛かるのかもわからねぇんだぞ」
「ちょっとばかし薄情じゃないっスかねェ? 見届けるってのも大事っスよ」
「なら、何日掛かるかわからねぇ土人形の戦いを延々と見てるか? オレは豪遊の続きをするぞ。せっかく良い依頼だったのに、干天のせいで興醒めだったからな。飲み直しだ」
「旦那ってばァ……」ノーラはため息をついてうなだれると、すぐに顔を上げて笑顔を見せた。「それならそうと早く言ってくださいよ。さぁ、美味しいもの食べに生きましょう」
ノーラは早く早くとリットの腰を押して歩かせた。
魔女二人が二人がいないのに気付くのはずっと後になってからだった。
湖から離れたところでグリフォンを呼び寄せたリットとノーラは、最初にいた町ベリアではなく、もっと自宅に近いところにある村にいた。
ここは干天の影響もなく、お酒の心配も食べ物の心配もいらない。小さな村なので豪遊とはいけないが、元より二人の胃はこういうこじんまりとしたところの料理が合っていた。
「いやァ……ここのパスタは美味しいっスねェ。ノミュノミュのコンコンっスよ」
ノーラはパスタをすすって盛大に汚れた唇で、満面の笑みを浮かべていた。
「そうだろう。ここの川はウンディーネがいるっていう山の湧水から流れて来てるんだよ。その水で作ったんだから、美味しいに決まってるものさ」
店主の女性は笑顔でフライパンを振るいながら言った。
「んなわけあるか」とリットは吐き捨てるように言った。「煮ても焼いても食えないやつばっかりなんだからよ」
「なにか言ったかい?」
「焼き魚と酒のおかわりだ」
店主が愛想よく「はいよ」と返事をするのと同時に、一人の客が店へと入ってきた。
この村の者らしく、一言二言店主と会話をすると「そうだ、聞いたかい?」と切り出した。
「ベリアの町に緑が戻ったって話」
「へぇ……ベリアって、ついこの間まで砂漠みたいになってた町だろう?」
「そうそう。死んだ土地に命が戻ったって大騒ぎ」
「アンタの頭もそうなったらいいのにね。頭皮の乾燥ってのは髪に良くないらしいよ」
店主が笑って言うので、客は慌てて額を押さえると、「まだ大丈夫だ」と恨めしそうに言った。
「旦那ァ聞きました? どうやら完全に解決したらしいっスねェ」
「そうらしいな。あとはこれが消えりゃあな……」
リットは腕に入ったままの紋章を眺めると、つこうとしたため息を酒で流し込んだ。




