第二十一話
「いやー……旦那ァ……。世界ってのは広いもんですねェ」
ルードルの町へ向かう途中。グリフォンの背中から地上を見下ろしたノーラは、大中小様々な川が血管のように大地に張り巡らされる光景に目を奪われていた。
「のんきなことを言ってんなよ。オマエの思いつきのせいで、オレは行ったり来たりを繰り返してんだからな」
「あらー……覚えたんスねェ」
「思い出したんだ。こっちに被害が及ぶ前に精霊をどうにかしようって話が、今じゃ魔女中心になっちまってる」
「いいじゃないっスかァ。問題解決に向けて動いてることには変わりないんスから」
ノーラにとって、どちらの考えが正しいかという魔女の論争はどうでもよく、精霊のこともどうでもよかった。というのも、魔女のことも四精霊のことも理解しきれていないし、理解するつもりもない。
一夜にして緑の町が砂漠化する『干天』というものを体験したものの、地上から見下ろす風景が次々に変わっていく景色を見ていくのとあまり変わらない気がしていた。
目の前でリットが苦しんでいるのならともかく、健康体そのもので、魔女達に振り回されていつもよりも愚痴が多いくらいだ。
危機というものにピンときていない。
これはノーラだけではない。あまりの規模の大きさに、魔女達もどこか浮足立った状態のままだ。そこに自分達ならどうにか出来るという自信が加わり、サラマンダーとノームの争いから、ゴーレムの作成、名のある魔女の技術試しへ変貌を遂げ、やることも必要なものもどんどん増えていったのだ。
サラマンダーとノームにも、魔女達にも流されっぱなしのリットには、いまいち今回の要点というものがふわふわしていた。
「結局よ。論点ってのはなんなんだ?」
「魔女学と精霊学のどっちが正しいってことじゃないんスかァ?」
「そりゃ魔女の言い分だろ。精霊の争いを止めて、上手いこと魔力の発散が出来たらって話だ。で、干天がなくなるってのは四精霊の都合。元々の原因はなにってことだ」
リットが気にしているのは魔力が乱れた原因だ。
サラマンダーとノームの話では、担当領域の面積の変化による魔力暴走だ。
簡単に説明すると、ちょうどよく器に収まるように水が満たされている状態が普通なのだが、急に器の大きさが変わってしまったため水が足りなくなってしまった。
その足りない部分を埋めたのがサラマンダーとノームの魔力であり、今度は器の大きさが元に戻ったせいで、今まで補っていたサラマンダーとノームの魔力が溢れてしまい、それが暴走して干天を引き起こしたということだ。
「私にはさっぱりっスねェ。精霊だなんて言われても、ピンとこないっスから。チルカがいれば手っ取り早く話が終わってたかも知れませんね」
リット達が一つずつ試しながら進まなければならないのは、精霊と関わりが深い種族がいないせいだ。
魔女は精霊の力を都合よく使っているだけで、精霊師というのは勝手に理解した気になっているだけなので、正解を判断するには結果しかなかった。
試しては結果を見る。また試しては結果を見る。リットが感じている遠回りは、この繰り返しのせいだった。
「あんだけ無駄について回ってきてたくせに、役に立ちそうな時についてこねぇんだからよ……」
「チルカも自分の森のことをないがしろにするわけにはいかないんスよ。それに……チルカがいたら精霊と喧嘩しそうですよ。火に油。その油は旦那が用意するもんだから、延々燃え続けますよ」
「少なくとも、標的はオレに向かなかった可能性はある」
リットは腕の紋章を見ながら言った。痛むこともなければ痒みもない。熱くなることも冷たくなることもない。
「実は危険なものじゃないんじゃないっスかァ? ウンディーネの時もなにもなかったじゃないっスかァ。ただの目印っスよ」
「その目印のせいで、オレは逃げ出すことも出来ねぇんだよ……。四つ集まったら、過去に消えた極上の酒での一本でも手に入らなけりゃ割に合わねぇよ」
「旦那がウンディーネに魔女の酒を作らせようとしたのが原因だと思いますけどねェ」
「今回は関係ねぇだろ」
「今回は無駄にお金を稼いだせいで、気が大きくなったのが問題じゃないっスかァ? 旦那ってば、お金がないときは慎重なのに、お金があるときは考え足らずっスから」
「そう思うなら、事がでかくなる前に止めろよ……」
「そんなことしたら、私がご飯を好きなだけ食べられなくなるじゃないっスかァ。それが目当てで旦那の仕事についてきてるっていうのに」
「最近一緒に行動してなかったからな……オマエがそういう奴だってのをすっかり忘れてたよ……」
「なら、しっかり思い出してください。ドワーフに美味しいものを食べさせるといいことがあるって。旦那という物語の鍵となるのは、いつも私ですぜェ」
ノーラは早くゴーレムに命を与えに行こうと、グリフォンの背中を蹴った。
「まったく……なにが鍵だ……。どこのドアを開けたつもりだよ……」
ノーラに背中を蹴られたグリフォンは興奮して、飛行スピートを早めた。そのせいで、墜落する勢いで谷底へ到着したのだ。
当のグリフォンに怪我はなにもなく、体のノミでも落とすようにリットとノーラを払い落とすと、また大空に向けて飛翔し、あっという間に小さな影となった。
「倍のスピードでついたと思えばいいんスよ。ところで……ここがルードルの町ですかァ?」ノーラは周囲の岩壁を見るとため息をついた。「変な種族に化かされてるんじゃないスかァ?」
「バカはオマエだ。歩く距離を増やしやがって……。町はずっと先だ。かかる時間は同じ、疲れは倍だ」
「旦那ァ……そういうのは、事が大きくなる前に言ってくださいよォ」
「オマエが起こす火と一緒で、あっという間にでかくなるものをどうしろってんだよ」
「そうっスよ、旦那ァ。人生とはどうしようもないってなもんです。なにかに邪魔をされれば、壊すか、逸れるか、乗り越えるか。その場に停滞することはないんスよ。だから皆進むんです」
「……下手くそな誘導で、いい話に持っていて誤魔化そうとしてるのはわかった。でも、その手はなんだ」
リットは差し出されるノーラの手のひらを見て言った。
「人生とはどうしようもないってなもんです。邪魔なものを乗り越えた瞬間。その時に使った力は、まだピークに達したままなんスよ。まるでサラマンダーとノームの魔力の暴走のように。使った力は蓄えなきゃですぜェ」
「つまり渡しておいた金は、マーがいなくなった途端全部食い物に使って消えたってことだな。あんな山の中でなにに使うってんだよ……」
「旦那ァ……グリフォンは私が呼んでも来るんですよ。それに、私がごはん抜きで過ごすと思います?」
山の中腹で一人で暮らしているデルフィナは、近くの町にもなかなか降りないほどの出不精だ。
なので、リットの分の食事も出なかったし、グリザベルの分もなかった。グリザベルは一日食べなくても平気なほど少食というのと、毎回リットが行き来するついでに買ってきてたものを食べていた。
だが、ノーラは一食でも我慢するようなことはない。幽閉されているならともかく、グリフォンで自由に行き来できるという環境では、タガが外れるのもあっという間だった。
宿を気にしなくていい。食べ過ぎてもグリフォンが運んでくれる。
手持ちのお金を食事に使うのに躊躇いはなかった。
「なぜ誘惑という壁は、あっという間に打破出来るか不思議でしょうがないっスよ」
「壁じゃなくて沼だからだ。どんどんハマっていきやがって」
リットとノーラは長い道を歩く暇つぶしに、くだらないことをずっと話していた。
ついでに軽い食事も町で済ませたので、ルードルの家につく頃には夕日が燃えていた。谷底から見える狭い空に映るグリフォンの姿を見かけたマーは「お師さん……遅い」と不満げだった。
「お久しぶりですわ」と挨拶をするシーナに、ノーラは満更でもなく偉そうに頷いてみせた。
「これが動力源だ。本当に必要になるくらい成長したんだろうな」
リットがノーラの頭に鷲掴みにしながら紹介すると、ルードルにこやかな顔で自己紹介をしてから、マーに成果を見せるようにと言った。
もう既にゴーレムを作る準備は出来ており、ノーラが来るのを今かと今かと待っていたのだ。
アンデッドホーンの皮を使った特別な魔法陣を使うことはなく、ただの羊皮紙に描かれた魔法陣の上に樽を置いた。
中に入っているのはほとんど水に近い泥であり、マーはそこに自ら書いた魔法陣を四つにちぎり、そのうち三枚を重ならないように沈め入れた。
最後の一枚の端を泥に浸して、逆の端に火をつけるように言った。
ノーラはデルフィナから預かった小袋から、調合された粉を指につけると「火ってこれでいいんすかァ?」と指の腹をこすり合わせて炎を上げた。
ノーラの指から立ち上がる炎は、周囲の大気を吸ってまたたく間に大きくなって、すぐに消えてしまった。
ルードルは「完璧です」と微笑んで言うと、その表情を崩さずに「指先は決して魔法陣に触れないように」と注意した。
ノーラが指先に触れてしまうと、火の魔力だけではなく、ヒノカミゴが持つ風の魔力も一緒に魔法陣へと流れてしまうからだ。
ノーラはそんなことは簡単だと、カウントダウンをすることなくいきなり魔法陣に火をつけた。
すると上がるはずの炎は上がらず、代わりに魔法陣が燃えた鉄のように真っ赤になった。
だが、焦げることもなければ火を上げることもない。ただ煙と水蒸気が立ち上り、泥の中へと静かに沈んでいった。
泥は形を作ることもなく、しばらく泡を吐き続けた。だが、徐々に確実に変貌を遂げている。その証拠に樽にはヒビが入り、なにやら奇っ怪な音を立て始めた。
それは木の割れる音のようでもあり、生き物の鳴き声のようでもあった。
一度聞こえるとその音は途切れることなく鳴り響き、やがて木樽を壊した。
飛び散る木片と砂塵の中から出てきたのは楕円の泥の塊だ。
「……盛大な泥団子っスねェ」とノーラは呆れた。「私は一応フェニックスをイメージしたんスけど」
ノーラはそういう風に聞いていたというと、マーも同じだと言った。
「私もフェニックスと聞いていたから、ちゃんとイメージした。これは卵。つまり、ここからお師さんの力によってフェニックスが孵る」
マーが静かにと唇に人差し指を当てたので、リットとノーラは黙って泥卵に集中した。
天井からペリペリと割れ、剥がれていくと、炎とともにゴーレムが現れた。
特徴的な尾羽根に、たくましい両翼。鋭い爪にクチバシ。それに燃えるように逆立つトサカと、顎から垂れ下がる立派な肉髯。
今にも『コケコッコー』と鳴き声を上げそうな泥鳥だった。
「鶏じゃねぇか……」とリットは頭を抱えた。
「身近な鳥の姿がこれしか想像できなかった……」
マーも同じように頭を抱えて、自分の想像力のなさを悔いていた。
「でも、やる気満々スよ」
ニワトリゴーレムは肩羽を広げて横歩きをして威嚇していた。
「鳥頭のオマエに求愛してんじゃねぇのか。もういい……力が抜けた」
リットはゴーレムを消していいと、払うように手を振ったが、マーは無理だと首を横に振った。
「戦うまで消えないように命令してるから無理」
「……それもグリザベルから教わったのか? ゴーレムを作る時には、周囲を不安にさせるように作れってよ」
「実践に近づけてやらないと意味がない。そして、これは成功と言ってもいい」
マーは大きな胸をこれでもかと言うほど張って、得意気に鼻の穴を大きくした。
「大丈夫ですよ。対戦相手のゴーレムはこちらで作りますから」
ルードルはそこらへんの土を集めて水を掛けると、手際よく一体のゴーレムを作り出した。
壊れかけの砂の城のような、なんとも頼りないゴーレムだ。
ニワトリゴーレムは早速それに食らいつくように飛びかかった。鋭い爪で串刺しにするように踏みつけると、執拗に何度も何度もクチバシを打ち付ける
そして相手のゴーレムがただの泥に戻ると、自身も勝利の雄叫びを上げて泥へと戻っていった。
「あらあら……混ざってしまいましたね。うっかりしていました」
ルードルはこの泥はもうサラマンダーを入れるのには使えないと、土の在庫を確認しにいなくなった。
「まぁ……闘鶏ってのもあるしな」
リットは思ったよりも攻撃的で強そうだったニワトリゴーレムを思い出して、フェニックスより強そうだと静かに頷いた。これなら大丈夫かもしれないと。
「私はがっかり……」とマーはうなだれたままだ。「もっとカッチョ良く決めたかったのに……」
「安心しろ。オマエの師匠はもっと単純だ。最悪ミミズ。良くてもモグラくらいだろ。土から想像するのは」
「それはそれで拍子抜けっすねェ。ニワトリとモグラの戦いって、別にサラマンダーとノームじゃなくても見れそうですし、ゴーレムじゃなくても……」
ノーラでも期待はずれだという顔は隠せなかった。
そこへ「いいんじゃありませんの?」とシーナが口を挟んだ。「魔力合戦をするわけじゃないのですし、自然界の争いこそ、リットさんの言っていた物理の殴り合いじゃありませんこと? 贅沢なことを言える猶予はないと思いますわ」
「命が懸かってるからこそ贅沢を言いてぇんだよ。オレが干からびるかどうかは、ニワトリとモグラに懸かってんだぞ」
「まだモグラと決まったわけではありませんわよ」
「グリザベルとはオマエらより長い付き合いなんだ。それくらいわかる。グリフォンに懲りてるから、魔法生物なんてもんは想像しねぇだろうしな。まぁ……命が助かるだけで儲けもんなのは確かだ」
リットはため息とともに背中を向けて一歩踏み出した。
「どこへ行くんですの?」
「儲けたぶん飲むんだよ。そうでもなきゃやってらんねぇから。来るか? ついでに飯を奢ってやるぞ」
「この町に酒場はまだありませんわよ。聞いていませんでしたの?」
「酒場はな。でも、酒を出すところはあるんだ。どんな町でもな」
リットはとっくに調べがついてると言って歩き出した。
「旦那もあー言ってるんですし、プチ祝いでもしましょう。ゴーレム完成の」
ノーラがウキウキでついてくと、マーもシーナもそれに続いて歩き出した。




