第十七話
一般的にルードルの町を知るものは少ない。というのも、魔女にしか知らされていないからだ。
谷底にある町で、遠目には家が五つあるだけの廃村にも満たない部落にしか見えない。そんな寂れた場所を好きこのんで目指すものは少ない。
しかし、実際に見えているのは高くそびえる五つの塔の最上部だけだ。地上の光景と、谷底からの光景はまるで別物。
谷底を歩けば、立派に賑わっている町だ。
グリフォンが町のある狭い谷に降りるのを嫌がったので、町から遠く離れた亀裂に降りることになり、リット達は町まで歩く羽目になった。
ここへ来る数日前にシーナへコウモリ便を出していた。
そのおかげか、グリフォンの影を上空に見かけてから、到着するのが遅いとシーナが迎えに来てくれた。
「もう……崖沿いに階段がありましたのに……」
来た道を戻るのが面倒臭いと、シーナは高い背を怒りに揺らしながら文句を言って歩いた。
「なら、手紙に書いておけよ。グリフォンが降り立つような場所はないとか、町まで降りる階段があるとか」
リットの言い分に、なにを言っているんだとシーナは眉を寄せてリットの顔を覗き込んだ。
「逆に聞きたいのですけど、町の人がどうやって崖から出ると思っていましたの? 横着せずに、調べればすぐにわかることですよ」
「あのなぁ……横着するために手紙を寄越したんだ。師匠に話くらいは通しておいてくれたんだろうな」
「リットさん……ルードルおばさまはとても名高い魔女なんですよ。私がいるから、すぐに話しが出来るというのをお忘れなく」
シーナの話では、今生きている魔女の中では、確実に上から数えたほうが早いほどの実力者だという。
「名高いつってもよ魔女の中でだろ。オレは聞いたことねぇよ」
「リットさんはもっと魔女のことを勉強するべきですわ」
「オレから言わせりゃ、もっと魔女の世界の外のことを知るべきだな」
リットの言葉に意味はなく、ただその場で適当に切り替えしただけのものだったが、なにか思い当たることがあるのか、シーナは立ち止まってうつむいてしまった。
「あーあ……シーナを泣かせた。……ちなみに私も泣いてる」
シーナは濡れに濡れた自分の顔を指して言った。
「オマエのは汗だろ。どんだけ歩き慣れてねぇんだよ」
「こんな足場の悪いところを歩き慣れてるほうがおかしい。普通は歩かない」
リットは「確かにな」と自虐的に笑った。「旅慣れたかったら、ダークエルフを紹介してやるよ」
「旅慣れるより、早く旅をしなくていいくらい実力を付けたい……」
マーはリットの腰に手をやって、木に手を当てて休憩するように深呼吸をした。
まだ町の全容は見えず、塔だけしか見えないので、到着にはまだ時間がかかるだろうと、リットはマーをそのままにさせていた。
「本当に泣いて立ち止まってんじゃなけりゃ、思うところありってやつか? マーと同じ師弟の悩みとか」
リットの言葉にマーは余計なことを言うなと言いたかったが、まだ呼吸が整わないので口を挟めなかった。
「師弟仲は良好ですわ。ただ……」
シーナはルードルから見識を広めろと言われていた。
ルードルの町の住民は魔女ばかりだ。だが、それでは町として成り立たない。それでも成り立っているというのは、魔女の中には元魔女や、まだ魔女と呼べない者が大多数を占めているからだ。
道半ばで諦めたが一般社会に馴染めなかった者や、才能がなくどこも弟子として取ってくれないが魔女の道を諦められない者など、行き場がなくなった者をルードルは率先して迎え入れていた。
それゆえに、ここでは昔ながら魔女の文化やしきたりが薄いのだ。なので女尊男卑もない。
魔女の落ちこぼれには男が多いせいもあるが、凝り固まった価値観が嫌いだというルードルの考えがあってだ。
そのせいで『ウィッチーズ・マーケット』に集まるような魔女コミュニティとは疎遠で、独自に魔女文化を築いている最中だ。
シーナはどちらかといえば昔ながらの魔女の考え。つまりはウィッチーズ・マーケット側の思考の持ち主なので、町の雰囲気に馴染めずに苦労していた。
誰かに虐げられているわけでもなく、誰かを虐げているわけでもない。妙な居心地の悪さに、ずっと付き纏われている気分だった。
なので、今回リットとマーが来るのをとても楽しみにしていたのだ。
少しは居心地の悪さを忘れられるのではないかと。
だが、リットをが思い出させるようなことを言うので、シーナの愚痴が溢れたというわけだ。
「おばさまの考えは良く理解しているつもりですわ。ですが、何事にも道理というものがありますの。道理を無視して発展できるのは天才だけですわ」
シーナの愚痴が一通り終わる頃には、もう街のすぐそこに来ていた。
「そうだな」とリットが適当に相槌しているのがわかったので、シーナは不機嫌に頬を膨らませた。
「一時期的でも兄弟子でしたなら、可愛い妹弟子の為に何か一言あってもいいのでは?」
「自分が天才じゃないって気付いたことへの葛藤か、ここで道理が見つからなくて行く道を見失って焦燥してるかだ」
「……一言嫌味をくださいと、私が言ったとでも思いましたの?」
「でも、そんなところだろ。道は歩きたい奴だけが歩けばいい。オレは木から木へ飛び移る方法を教わったぞ。最近じゃ、もっと凄え移動方法を知ったけど、ありゃ使えねぇし使う気もねぇな」
リットがあまりにも大した悩みじゃないと肩をすくめるので、シーナもなにをカリカリしていのだろうと息を吐いた。息と一緒に、勝手に背負っていた肩の重みも消えていくようだった。
「別に移動方法が知りたいわけじゃありませんわ」と軽口を返す余裕も出来ていた。
「オレは知りたい。特に楽に進む方法をな」
リットは鞄の上に座って、絶対に歩かないと無言の抵抗を決め込んだマーを、鞄ごと引きずって歩き出した。
その背中に「もし……自分が天才じゃないと気付いた葛藤だった場合は?」と不安気に聞いたシーナは、リットの「自惚れんな。そんなのは十年後にまた悩め」という言葉を聞いて、ほっと胸をなでおろした。
街の中は既に夜の灯を纏っていたので、寄るような場所もなく、シーナの案内のもとルードルの家へと向かった。
ここまで歩いてくる時に見た家と変わらない家。とても町長の家には思えない家にルードルは住んでいた。
シーナがノックをしてドアを開けると、ルードルは「遅かったですね」とリット達を家の中へ迎え入れた。
ルードルはすっかりシワも馴染んだ年齢で、温厚そうな微笑みを口元に浮かべている。グリザベルやマーのように魔女らしい格好をしておらず、誰かに言われなければ彼女が魔女と気付くことはないだろう。
部屋の中は巧妙に刺繍された布や飾り物で溢れており、とても華やかなものだった。
リットが視線をさまよわせていると、ルードルは「私の数少ない趣味です。どうです、素敵だと思いませんか?」と、刺繍を自慢してにこやかに微笑んだ。
「待っててくれたみたいで悪いけどよ。話はまた明日でいいか? 肝心の奴がこれだからな」
リットは鞄の紐を引っ張って、まだ上に乗っているマーを示した。疲労からすっかり寝に入ってしまったらしく、しがみつくことはなく反動で床に転がった。
リットは引きずったせいで鞄がぼろぼろだと、その場で砂埃を払おうとするが、家の中が汚れるとシーナが取り上げて外へ払いに行ってくれた。
「肝心の話は明日でいいです。でも、経緯くらいは今日聞かせてもらえませんか?」
既にシーナからリットの性格を聞いていたルードルは、大好きなお酒を用意してテーブルにセット済みだった。そのテーブルクロスも、コースターにも刺繍が施されている。
この町にはまだ酒場がないと付け足されたので、リットはそれならと椅子に腰掛けた。
リットがマーをほったらかしにしているので、鞄を払い終えて戻ってきたシーナはマーを抱えてベッドまで運びにいった。
「随分働くな」
自分のこと以外を進んでやるような奴だったかと、リットは隣の部屋へ消えていくシーナの後ろ姿に怪訝な視線を送った。
「私が放任主義なせいか、率先して働いてくれているみたいです」
「そりゃまた、弟子泣かせな師匠だな」
「弟子というのは赤ん坊と一緒です。泣いてくれないと、本当になにが欲しいのかはわからないものなんですよ。私が授けたいのものをあげても、本当の意味で為にはならないでしょう?」
ルードルはお酒を注ぎながら言うと、コップをリットに差し出した。
そして、リットが受け取ろうとすると手を握り、袖をまくって精霊に入れられた紋章を眺めた。
どうせこのことには興味を持たれるだろうと思っていたので、リットは文句も言わず見せたいだけ見せると、空いた手でコップを掴み直した。
「よくわかったな。そっちの腕だって」
「それはもう。優れた魔女の条件の一つですもの。魔力の流れを読み取るというのは。それにしても……本当にいるんですね。精霊にちょっかいを掛けられやすい人なんて」
「羨ましいのか?」
「いえ、全く。精霊の力そのものというのは、とても危険なものですからね。おそらくリットさんが魔女でしたら、なんとしてでも精霊に紋章を入れられるのは避けたでしょうから」
「まさか!? また精霊にお酒を作らせたんですの?」
マーをベッドに寝かせて戻ってきたシーナは、聞こえてきた話に驚愕した。
「なんだ、オマエがオレのことを教えたんじゃねぇのか?」
「私はリットさんは飲んだくれで、がさつで、デリカシーがないぽんぽこぴーと教えただけです。精霊の話はしていません」
リットがどういうことだと聞くと、ルードルは微笑みを浮かべた。
「デルフィナに聞きました。あの子は私の一番弟子。本からも世界からも、よく学ぶ子でした。悩み迷う時期が長かったのですが、自分の道を見つけたようで安心しています」
ルードルは自慢気に話すと、「さて」と話を切り替えた。
「それで、ゴーレムを作るきっかけの話をしてもらえますか?」
「デルフィナから聞いたんじゃねぇのか」
「聞きましたが、リットさん。あなたの口から発する言葉を聞きたいのです。別の人から聞いただけでは、億万の言葉を使って説明されても、話が変わってしまいますから」
リットは魔女の面倒臭さに年齢は関係ないと改めて感じると、干天が起きたことから、グリザベルが四精霊のバランスが崩れたのを突き止めたこと。サラマンダーとノームに会ったこと。ゴーレムを作ることに決めたこと。グリザベルはデルフィナと協力して、ノームを入れるゴーレムを作っていること。マーはまだ試作段階にも入っておらず、ここにはサラマンダーの力に耐えうる水を含ませた土を探しに来たこと。自分が知っていることは全て伝えた。
ルードルが黙って何か考えているその横では、シーナが呆れたと目を細ませていた。
「リットさん……あまり精霊に関わると死にますわよ……」
「知り合いにも言われたよ。ウンディーネはともかく、向こうから関わってくるんだからしょうがねぇだろ」
「薄情なようですけど、逃げ出すことも大事ですわよ。英雄気取りは身も心も滅ぼしますわ」
「オレだってな、自分の町に影響がないことを確信してりゃほっといた。今オレの家に高価な酒がどれだけあるか知ってるか? 魔女が作ったデルージに、ウンディーネが作ったデルージ。それに、獣人の酒コボルドクローが並ぶ予定だ。これを一夜でパーにされてたまるか」
「お酒も身も心も滅ばしますわよ……」
「人間関係もそうだ。上下に恋愛。巻き込まれた方は溜まったもんじゃねぇ……。師弟もな」
「マーとお姉さまは上手く言っていないんですの? 最近コウモリ便でも愚痴が多いようですけど」
「こっちと逆ってだけだ。グリザベルはやたら干渉するからな。根が寂しがりのせいだろ。で、こっちは放任。オレにまで放任主義を決め込んでどうすんだよ」
ルードルが黙ったままなので、リットはコップを爪でコツコツと叩いた。
「リットさん……」
シーナは師匠に無礼な振る舞いはやめてと睨んだが、ルードルは気にしないでいいとシーナを手で制した。
「構いません。シーナも少しは見習ったほうがいいですよ」
「人の心に土足で踏み込んでくる人をですか?」
ルードルは「ええ」と頷いた。「リットさんは足跡の残し方を知っているお方です。今の世の中、そういった人は稀有な存在ですよ」
「だとよ。なんなら靴を貸してやろうか? 汚れてるから、存分に足跡をつけて回れるぞ」
リットはお酒がまわりすっかり上機嫌になっていた。
「おばさまぁ……」
シーナが困った顔をすると、ルードルはそれがおかしくてたまらないと笑った。
「シーナにはまだ少し難しいかも知れませんね。ですが、人の心の開かせ方は色々あるのですよ」
「こんな乱暴に叩かれたら、かえって心を閉ざしますわ……」
「そうかも知れませんね。ですが、勝手に入ってくる泥棒と間違うことはありませんよ」
「強盗かも知れねぇけどな。金目のものはいらねぇから、酒を出せってな」
リットは一人で笑うと勝手におかわりを注いで飲み始めた。
「ほら、面白い人じゃないですか」
「面白過ぎるのですわ……。魔女のお酒を造るのにもどれだけ苦労したか……」
「それはそれは……とても良い経験が出来ましたね」
ルードルににっこり微笑まれると、シーナは「それは――まぁ……」と頷くしかなかった。あの出来事が、魔女としてレベルアップ出来たのは確かだからだ。
「シーナ、明日はあなたも手伝ってください。きっとまた良い経験が出来ますよ」
元からマーの頼みなので手伝うつもりだったシーナだが、ルードルに含みのある言い方をされたので、不安と期待が同時に湧き上がってきた。




